8月15日(土)、終戦の日。横浜の最高気温35.9℃(本年度最高)
を記録。
午後、久しぶりに早慶戦(--我が方からいうと「慶早戦」にな
るのだが。)の野球中継を視聴。
今年は、一発勝負の「真夏の早慶戦」。観客は3000人限定。
「2-2」となったところで、ここらで一服と、日課の昼寝。
寝ていると、テレビが何やら騒がしく。
追いつ追われつの結果、延長10回タイブレークに。
昼寝から覚めると、慶應が「5-3」で勝っていた。
肩を組んでの「丘の上」が聴かれなかったのは残念?
10回表に勝ち越し。
慶應 うっすら涙の堀井新監督 スポーツはいいですね~。
堀井哲也監督(58)は、静岡県出身。韮崎高校~慶應大学~三菱自
動車川崎~三菱自動車岡崎(監督)~JR東日本(監督)。
昨年12月、慶應大学野球部の監督に就任。
私と同じ「寅年」だ。
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<時事放談--人それぞれ?>
この日(8/15)の「産経抄」(→こちら)には、
終戦の日を前に、またもやこの言葉を聞くとは思わなかった。「一兵卒の立
場だが、期待に沿うよう努力する」。国民民主党の小沢一郎衆院議員は13日、
立憲民主党の枝野幸男代表と会談し、両党の「合流新党」への協力を要請さ
れた。・・・・・・政治家が言う一兵卒とは、いったい何なのだろうか。
と書かれていた。
そういえば、今から23年前、平成9(1997)年3月3日付の産経新聞
に、江藤淳(1932-1999)が「帰りなん、いざ--小沢一郎君に
与う」というタイトルで、
今こそ君は新進党党首のみならず衆議院の議席をも辞し、飄然として故郷水沢
へ帰るべきではないのか。・・・・・・水沢で想を練り、思索を深めつつ改稿した
『日本改造計画』第二版をひっさげて、捲土重来、国民の輿望(よぼう)を
になって議政壇上に復帰する日が、そう遠いものとも思われない。
と書いたことを思い出す(江藤淳『月に一度』p129)。
この30年を振り返れば、8党会派連立政権の細川内閣が「数合わせ」
で成立したのは、平成5(1993)年(小沢一郎は、当時与党新生党
代表幹事)。
あまり思い出したくないが、民主党の圧勝で鳩山内閣が誕生したの
が平成21(2009)年(小沢一郎は民主党幹事長)。
はたして(新)立憲民主党を核とする政権はできるのだろうか。
新党は、社民党、共産党にも声を掛けるのかしらん。
--一寸先は闇?
立憲民主党と国民民主党(の大半)が合流して、「民主党」へ先祖
返り?旧民主党の同窓会かな?
余談だが、(新)立憲民主党には、「73歳(比例)定年制」はある
のかしらん。
江藤淳『月に一度(完全版)』(1999/9/30初版)
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慶應のご出身なのですね(^・^)
「音楽」の項目を見ていただくと・・・・・・。