昨年11月、還暦記念と称して大山へ登った。それからほぼ1年。10月9日(日)、
ふたたび大山へ挑戦した。普段はまったくトレーニングしていないのではたして
登れるか不安だったが、なんとかゆっくりと登ってきた。大山は11月中旬に紅葉
(こうよう)の季節を迎える。
秦野駅(小田急)→蓑毛(みのげ)バス停(標高310m)→ヤビツ峠(761m)→
大山山頂(28丁目、1252m)→16丁目石柱→阿夫利神社下社(1丁目)→ケ
ーブルカー下社駅→ケーブルカー追分駅→こま参道→大山ケーブル駅バス停
→伊勢原駅(小田急) (蓑毛ルート写真満載!)
小田急線内の「ねえ、大山に行こうよ。」、「来てよかったね。大山」
8:05 秦野駅着
秦野駅北口
ヤビツ峠行バス停 バスはどんどん来る
8:35 蓑毛(みのげ)バス停 標高310m
大山山頂まで、を登る
8:45出発 千里の道も一歩から 誰でも「一歩一歩」
8:51 左;ヤビツ峠 右;下社 日向薬師
ボーイスカウトのキャンプ
9:15 最初は比較的ゆるやかな上りで歩きやすかった
9:28 道幅1m弱の山道から下(九十九(つづら)折りを歩いてきたところ)を
見る こんなところでも滑落すると死ぬ危険性がある
9:30
9:47 小さな子供も登っている
10:06 落石注意!
10:12 ヤビツ峠 地図上「1時間15分」表示のところを1時間25分(水飲み、写
真撮影込み)で歩いてきた
こんなところでアップルパイが出てくるとは思わなかった
ヤビツ峠の休憩ベンチ (10分強の休憩)
ヤビツ峠バス停
10:25 ヤビツ峠出発
10:26 ちょっと行くとこんな休憩場所も
10:27 台風15号の爪痕?根こそぎ
歩きやすい
10:37 これも台風15号の爪痕かしらん?
10:41
10:42
10:43 このあたりは歩きやすい
10:51 クサリ場 でも大丈夫!
10:58
11:05
11:33
11:34 「25丁目」の三叉路地点
11:35 もうダメ~、先に行って~
11:41 山頂の鳥居が見えてきた ヤッタ~
鳥居を左に行くのがコツ→お弁当が食べやすい場所へ
(頂上付近は座る場所もない)
11:45 ヤビツ峠~山頂 地図上表示「1:10」を1時間20分(休憩込み)で歩い
た 止まると体が冷えるので、薄手のセーターをリュックに入れておくといい
11:46 二ノ塔、三ノ塔、塔ノ岳方面 富士山はまったく見えない
12:14 大山山頂1252m
12:14
12:16 頂上の阿夫利神社奥社
伊勢原方面
小田原方面
12:18 これより下山開始
12:19 大山には シカしか いなかった(笑)
12:31
12:47 富士見台
江戸時代には富士見台に茶屋があった
12:59 16丁目の大石柱 強力が担ぎ上げたというからビックリ!
16丁目のにぎわい
厚木、海老名方面?
13:10 天狗の鼻突き岩
13:15
13:18 足がガクガク
13:49 下りのラッシュ 下りの方が怖い
13:52 白山神社
13:54
13:57 片開きの門
天神様
国学の祖 権田直助(1809~1887)の像
平田篤胤に神道、国学を師事 明治時代には阿夫利神社の宮司にもなった
13:59 山頂~阿夫利神社 地図表示「1時間」を休みつつ1時間40分
モミジの紅葉はまだまだ
内山岩太郎(1890~1971)の像
内山さんは戦後の神奈川県知事 日本の国際連合加盟にも貢献した
14:05 大山ケーブル下社駅 思ったほどの行列ではなかった
14:10発の臨時便 私はケーブル 家内は徒歩で下山
14:17
14:41 キャラブキの大津屋さん
右;「東京繁栄講 講和発効 登拝四十年記念 昭和二十七年六月吉祥」
左;「江東栄盛講 起講四十周年記念 昭和二十八年八月六日」
14:47 こま参道にある豆腐料理の和仲荘(わちゅうそう)
和仲荘の庭
みなさん豆腐料理を食べている
山かけ豆腐とゴマ豆腐
右 蒸し豆腐
15:30 ここで筆者登場
和仲荘(わちゅうそう)さんの玄関にあったちらし
15:44 大山ケーブル駅バス停 長蛇の列
大山ケーブル駅バス停付近 右が登山口
16:02発伊勢原駅北口行バス
帰りの満員バス
16:28伊勢原駅到着
この日、一日で19428歩だった
相模大野駅にあった「メトロもみじ号で 大山を歩こう」ポスター
「例年紅葉の見ごろは11月中旬~です。」
* * * *
10月10日(月・祝) 体育の日。47年前のこの日は東京オリンピックの開会式だ。
ぼくは中学2年生だった。当日の晴天、古関裕而作曲のオリンピック・マーチ、最
終聖火ランナーの坂井義則さん、昭和天皇の開会宣言など昨日のことのように
覚えている。
平成23年のこの日、早起きの後、昨日の疲れか午前中1時間ほど昼寝をする。
チャーチルは戦時中も昼寝をしていたようで、さすが大人だ。
午後から大山の筋肉痛を押して、新百合ヶ丘のテアトロ・ジーリオ・ショウワへ東
京交響楽団の川崎定期を聴きに出かけた。2階席への階段を上がるとふくらはぎ
が痛かった。
東京交響楽団川崎定期第32回
<プログラム>
1.ドビュッシー 「夜想曲」よりシレーヌ (作曲:1897~1899年)
2.シェーンベルク ピアノ協奏曲 (作曲:1942年)
3.ラヴェル ダフニスとクロエ(全曲) (作曲:1909~1912年)
指揮;ジョナサン・ノット
ピアノ;小菅 優
合唱;新国立劇場合唱団
合唱指揮;三澤洋史(ひろふみ)
コンサートマスター;大谷康子
1.ドビュッシー 「夜想曲」よりシレーヌ (作曲:1897~1899年)
午後2時、女声合唱団20人に続いて、オーケストラが入場。その後、大谷さんが
ニコニコしながら入ってきた。準備ができたところで、ジョナサン・ノットが登場。初
めて見るが長身だ。180cmはあるだろうか。
指揮台に立つや、さっと音楽に入った。暗譜だ。いかにもドビュッシーといおうかフ
ランス音楽--盛り上がりそうで盛り上がらない。少し「海」を思い出させた。女声
合唱のヴォーカリーズがなかなかよかった!
2.シェーンベルク ピアノ協奏曲 (作曲:1942年)
協奏曲の指揮台に譜面がおかれているのは珍しくないが、ピアノにも譜面が!
譜めくりの男性も入ってきた。30分弱の単一楽章。小菅さんのピアノからスター
ト。即物的、唯物的な音が続く。ピアノの譜面は譜めくり氏がどんどんめくる。あ
るところは小菅さん自身がめくった。
ノットはオーケストラの右を見たり、左を見たりめまぐるしい。棒やピアノの譜めく
りが一歩間違うとめちゃくちゃになるだろう。そんな、69年前の「現代曲」だった。
終わるや、私の横の方から男性が「バーッ」と叫んだ。その方はいつも「バーッ」で
ある。
3.ラヴェル ダフニスとクロエ(全曲) (作曲:1909~1912年)
ppp開始、フルートが夢幻的なイメージ--物語の始まりだ。じわじわと f へ移
行する。f も上品で、これまたいかにもフランス音楽。軽い柔らかな指揮だった。ノ
ットは譜面台に譜面を置いていたが、ほとんど譜面を見ない熱演。
泡がはじけるような、ディズニーのアニメに妖精が出てくるような音楽だ。随所の
フルート(甲藤さちさん)が見事だった。最後には合唱もパーカッションも“全員参
加”で熱狂的な fff へ向かっていった。
演奏が終わるとほうぼうからブラボーの嵐となった。大谷さん以下オケもノットに
大拍手。ノットはシャイなイギリス人かしらん、ひょこんひょこんと頭を下げた。
ジョナサン・ノット49歳恐るべし。ノット(ノー)・グッドならぬ、ベリー・グッド!だっ
た。
開演前のステージ 向かって右奥が合唱団席
新百合ヶ丘駅前の“林”
来シーズンの東響定期が発表になった。マーラーの歌曲を順次取り上げる。
「子供の不思議な角笛」、「大地の歌」、「さすらう若人の歌」、「リュッケルトによる
5つの詩」、「亡き子をしのぶ歌」などファンにはたまらない企画だろう。
* * * *
10月16日(日) 季節外れの暑さ。9時半の開館に合わせ、図書館へ。
『文藝春秋』11月号「田中角栄の恋文」を読む。立花隆氏の「これは歴史の一級
資料だ」という解説付きであるが、はたしてそれほどのものかしらんと感想を持っ
た。
今月号の大型企画「100歳まで元気な人の秘密」に中曽根康弘氏が登場。田中
氏も中曽根氏も大正7(1918)年の生まれだが、小泉信三の、戦死した長男信
吉も同じ年の生まれ。そして私の亡父も同じ大正7年生まれだった。
ちなみに小泉信三は私の祖母と同じ明治21(1888)年生まれ。そんな世代だ
った。
「由美かおる 起床後20分の呼吸法」がおもしろかった。
青弓社という出版社から『日本の合唱史』という本が出ているが、その中に含ま
れる「私の合唱人生」(浅井敬壹全日本合唱連盟理事長)がおもしろい。
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