陳舜臣に言わせれば「歴史は勝者によって書かれる」という。中国の
二十四史などはその典型ではなかったかしらん。どこのとは言わない
が、共産党の作る共産党史などもこの類かもしれない。
「その時代」を「現在」から忠実に再現、記録することは難しいのかも
しれないが、山田風太郎の昭和54(1979)年作品『同日同刻--太
平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日(間)』(ちくま文庫)は、文字ど
おり当時の記録としておもしろい。
当時、「現場」にいた人には、その「時」がどのように見えて、どのよう
に行動したのか?--同時代史と言ってもいいのではないかしらん。
言い換えれば、その「時」の「オンリー・イエスタデイ」と言ってもいいの
かもしれない。
半藤一利『日本のいちばん長い日』は初版が昭和40(1965)年だか
ら、もしかすると、それにヒントを得たものかも・・・・・・。
『日本のいちばん長い日』は、終戦8月15日の、主として日本国内の
動きを記録しているが、本書『同日同刻』は昭和16年12月8日と昭
和20年8月1日~15日の日米などの動きを書いたものだ。さまざま
な書物から切り抜いたものと言えるだろう。すべて欄外に引用文献
が書かれている。
昭和16年12月8日日本が真珠湾を攻撃。以下本書より抜粋。
ハワイ時間午前7時53分
「トラトラトラ。・・・・・・」「ワレ奇襲ニ成功セリ」。
ワシントン時間午後1時50分
ノックス海軍長官「そんなバカなことのあるはずがない!ハワイでは
なく、フィリピンの間違いではないか!」
チャーチル回顧録
「アメリカが完全に戦争に入ったことを知った。われわれはこの時に
戦争に勝ってしまった」
元外相松岡洋右
「三国同盟の締結は僕一生の不覚だった」
太宰治
「ラジオは、けさから軍歌の連続だ。放送局の無邪気さに好感を持っ
た」
ワシントン午後10時
ルーズベルトは愛用の切手収集帳を操っていた。ただ「困った、と
ても困ったことになった」とだけ、つぶやいていた。
日本時間午後
幸田露伴は文に言った。「考えてもごらん。まだ咲かないこれからの
男の子なんだ。なんといっていいんだか、わからないじゃないか」
作家伊藤整は「私は急激な感動の中で、妙に静かに、ああこれでい
い、これで大丈夫だ、もう決まったのだ、と安堵の念の湧くのを覚え
た」と書いた。
等々。
真珠湾攻撃から74年の日に。
山田風太郎『同日同刻』ちくま文庫
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