2月15日(水)、京都駅より「2つの特別拝観奈良・京都」のそ
の1--知恩院へ向かう。
知恩院は、法然上人が没した地に建てられた、浄土宗の総本山だ。
ちなみに浄土宗の本尊は阿弥陀如来(念仏は南無阿弥陀仏)。
浄土宗徒だった徳川家康の保護を受け、江戸時代に拡張した。
三門から御影堂へ進み、通常は非公開の「大方丈、小方丈、方丈
庭園」を拝観する(→こちら)。むろん内部は撮影禁止だ。
<ざっくりした年表>
(平安時代)
1133 法然上人誕生
1175 法然上人東山吉水の地に草庵。
(鎌倉時代)
1212 法然上人入滅。弟子たちが大谷に廟堂を築く。
1227 比叡山の宗徒が大谷廟堂を破壊。
1234 法然上人の弟子源智が再興~「知恩院」。
(安土桃山時代)
1575 正親町天皇より浄土宗本寺の承認。
1585 豊臣秀吉より寺領190石
(江戸時代)
1603 徳川家康知恩院を永代菩提所とする。
1619 徳川幕府三門、経蔵を造営(2年後竣工)。
1633 火災、三門、経蔵は被災せず。
1639 徳川家光による御影堂再建
1641 大方丈、小方丈建造
(明治以降)
1910 阿弥陀堂再建
1974 権現堂再建
2002 三門、御影堂が国宝に指定される。
○建築物の国宝は三門と御影堂。重要文化財は経蔵、集会堂、大
方丈、小方丈、唐門等。
14:03 駐車場方向より三門を眺める。
14:03 三門(国宝) 高さ24m。現存の三門(山門)で最大。
14:04
14:04 「女坂」へ
14:04
14:05 山門
14:06
14:06 「女坂」を上る。
14:07 「念ずれば 花ひらく (坂村)眞民」
14:08
14:08 御影堂(国宝)
14:09 御影堂の左側から靴を持って上がる。
14:11 経蔵(重要文化財) 御影堂側より
14:11 御影堂から集会堂、そして大方丈へ
廊下は「鴬張り」でギシギシ。
(注)「知恩院の七不思議」→こちら。
14:12
14:12 集会堂(重要文化財)
14:13
14:16 受付を通って
○「特別公開」の大方丈、小方丈を見学→こちら。(撮影禁止)
大方丈:徳川将軍が来られた時のために造られた。書院造。鶴の
間を中心に、上・中・下段の間、松の間、梅の間、柳の間、鷺の
間、菊の間(「抜け雀」)、竹の間があり、襖絵は狩野派による。
小方丈:6室から成り、水墨画が描かれている。
それぞれ、説明員(ボランティアさん?)による説明を受ける。
14:37 御影堂へ戻る。
14:38 御影堂より見た唐門
14:39
14:40 「忘れ傘」
14:40
14:42 阿弥陀堂
14:45 正面から見た経蔵
14:45 宝仏殿 1992年建立
14:46 御影堂(国宝)正面
14:47 多宝塔 1958年建立
14:45 阿弥陀堂
14:49 梅の花と阿弥陀堂
方丈庭園を飛ばしてしまったので、あわてて方丈庭園へ戻る。
14:55 方丈庭園
14:55 方丈庭園 造られたのは江戸時代になってから?
14:56 「大方丈」の説明
14:56
14:57 三代将軍家光御手植の松
14:58 「小方丈」の説明
14:58
14:59
14:59
14:59
15:00 権現堂へ
15:00 「葵」のご紋
15:00 権現堂 家康、秀忠、家光の位牌がある。
15:03
15:03
15:04
15:04
15:05
15:06
15:06 唐門(重要文化財)
15:08 経蔵(やや遠景)
15:10
15:11
15:11 泰平亭
15:11
15:12 帰りは山門を見ながら「男坂」を下りる。
15:12
15:13
15:14
15:15
15:15
15:15 西側三条方向
15:16 三門前
15:17
15:19 駐車場に戻る。
最新の画像[もっと見る]
-
4/5 拡大コミュニケーション企画委員会 17時間前
-
4/5 拡大コミュニケーション企画委員会 17時間前
-
4/5 拡大コミュニケーション企画委員会 17時間前
-
4/5 拡大コミュニケーション企画委員会 17時間前
-
4/5 拡大コミュニケーション企画委員会 17時間前
-
4/5 拡大コミュニケーション企画委員会 17時間前
-
4/5 拡大コミュニケーション企画委員会 17時間前
-
4/5 拡大コミュニケーション企画委員会 17時間前
-
4/5 拡大コミュニケーション企画委員会 17時間前
-
4/5 拡大コミュニケーション企画委員会 17時間前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます