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林健太郎『ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの』(中公新書)

2015-11-08 05:00:00 | 近現代史

なぜ、当時もっとも先進的、民主的なワイマール憲法下からヒトラーと
いう独裁者が生まれたのか?

その先駆的な研究として、岡義武東大教授(当時)の『独逸の悲劇』
(文春学藝ライブラリーH27/6/10復刊)がある。これは、早くも終戦
の翌年(?)にまとめられている。


林健太郎東大教授(当時)による本書は、岡義武氏の次の世代による
ワイマール共和国の研究である。ちなみに岡義武氏は明治35(1902)
年生まれ、林健太郎氏は大正2(1913)年生まれである。


本書は、ワイマール共和国(1919-1933)の歴史を描いた古典的
名著と言えるだろう。文章も上手く、現在でもその価値は失われて
いない。

ナチス進出の要因は、整理すると、
1.ヴェルサイユ条約(*)への不満
2.共産主義への反対
3.経済的不安
4.反ユダヤ運動
(田中荊三、平山栄一『ヨーロッパ現代史』p146)
 (*)ヴェルサイユ条約によって、ドイツは、
    1.すべての植民地を失う
    2.アルザス・ロレーヌをフランスに返還
    3.ポーランドなど周辺国に国境地域を割譲
    4.ラインラントの非武装化
    5.軍備制限(徴兵制廃止、陸軍10万人以下など)
    6.巨額な賠償金を課せられた
だろうが、

林健太郎氏は「ワイマル共和国失敗の原因」として、
1.過酷なヴェルサイユ条約
2.世界経済恐慌
は重要な外的要因だが、
3.国制上の欠陥 ヒトラーの首相就任が大統領の任命だった。
 (第1党とはいえ、過半数を占めていたわけではない!)
4.国会が機能していなかったこと。政党は、国民政党としての、本来
 の役割を果たせなかった。 
5.ドイツ国民が、ビスマルク以来、官僚の支配になれ、権威服従的だ
 った
と分析している。

1932.7総選挙;ナチス党が第1党230議席(過半数には至らず)
1932.11総選挙;ナチス党第1党196議席
1933.1ヒンデンブルク大統領、ヒトラーを首相に指名(*)
(*)ワイマール憲法では、大統領に首相の指名権があった。現在の
   日本より戦前の日本に近いと言えるかしらん。
1934.8ヒンデンブルク死去
1934.8ヒトラー総統兼首相

それにしても、ヒトラーは、「当時の」ドイツが生んだ「ならず者」
だった、と言えるかもしれない。
これは、ソ連のスターリンとてまったく同じことが言えるだろう。

独ソ不可侵条約(1939)などは、「ならず者」が握手したようなもの
で、むき出しな言葉で表現するとしたら、暴力主義者、暴力団の一時
的な手打ちだったと言えるだろう。

条約は、信頼できる国と締結しなければ意味がない・・・・・・のでは。


むろん、歴史と政治は別で、私は「歴史を(今日の価値観で)裁いて
はならない」という立場だ。



ヒトラーの研究は世界中で(?)行われているが、今日では細分化専
門化されているようだ。



林健太郎『ワイマル共和国』(中公新書)


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