10月21日(月)、会津若松の「まちなか周遊バスあかべぇ」のバ
ス停「飯盛山下」で下車。
飯盛山一帯を散策(既述)後、再び飯盛山下バス停から「あかべ
ぇ」に乗る。
周遊バス「あかべぇ」は時計回りだ。
会津若松で、最低限観ておきたいところとしては、
□飯盛山
□鶴ヶ城
だが・・・・・・
午後3時近く、行き当たりばったりで、「次はどこへ?」と思案。
鶴ヶ城には時間が足りない?
結局、「飯盛山下」から比較的近い「奴郎ヶ前」バス停で下車。
滅多に行けない穴場(?)、近藤勇の墓参りを目指す。
*新選組の近藤勇(→こちら)は、1834年現・調布市の生まれ。1868年板橋で
処刑されている。今年は、生誕190年、没後156年。
会津若松天寧寺には土方歳三が遺体の一部を葬った墓がある。
14:58 奴郎ヶ前バス停着
14:59 バス停近くに大きな案内板あり。
15:00 ここで左折。
4月25日は近藤勇の命日で、この日は会津若松ライオンズクラ
ブが墓前祭を行っている。
15:02
15:04
15:04
15:05 階段を上る。
15:05 お墓が並んでいる。
15:06
15:07 天寧寺
15:07 WARNING(クマの絵)にドキリ
15:07 近藤勇之墓
このお墓は、会津藩の手によって建立されたが、それは会津藩主松平容保公
京都守護職中、新選組はその支配下にあり、挺身幕府の為に力をつくした。
また、土方歳三など一行が会津に来て戦闘に参加した際、この墓を参拝した
と伝えられる。
15:09 道をまっすぐ上っていく(本当はここで左折だった?)。
15:09
15:10
15:11 田中家墓所
15:11 かなり上ってきたが、近藤勇の墓は見当たらず引き返す。
15:17
下りてきたところで、農作業をしている男性(軽乗用車)に
「お忙しいところ失礼ですが、このあたりに近藤勇の墓はないで
しょうか?」
「あ、そこに案内標識がありますよ」
「本当だ。有難うございます」
(下から来て左折だ)。
15:17 標識に沿って進む。
15:18 かなり古いお墓 元禄十六年
15:18 ちょっとした山道
15:19
15:19 道なりに上っていく。
15:20 いささか勾配きつし。こんな奥にあるのかしらん?
15:21 高齢者にはキツイ?
15:21 あれがそうかしらん?
15:22 あった、近藤勇の墓 (分岐点より5分)
15:23
15:23
15:23
この写真はWikipedia「天寧寺」には掲載されていない(10/29)。
15:24 近藤勇の墓 左は土方歳三の慰霊碑(R2[2020]年建立)
15:25 墓前で合掌。お花が供えられていた。
15:26
15:29
15:30
15:33 元へ戻る。
15:35
若い人が私同様、道に迷っているようだったので、
「近藤勇の墓は行かれましたか?」
「それが分からなくて・・・・・・」
「そこの案内標識に沿って、かなり上って行くとありますよ」
「有難うございます。行ってみます」
(上の写真)
15:38
15:38
15:39
15:39
15:41 空き地(売地?)
15:43 バス停付近まで戻ってきた。
15:49
15:49 「奴郎ヶ前」バス停
15:58 あかべぇ来たる。
近藤勇の墓参りに意外と時間がかかった。
早めにホテルにチェックインしようと、会津若松駅に戻る。
16:36 会津若松駅に戻る。
16:37 JR会津若松駅
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