昭和35(1960)年頃だったか、夏のある日、家族が住む社宅のグ
ラウンドで映写会が催された。
映画は、新東宝の『明治天皇と日露大戦争』(昭和32年)。主演
はアラカンこと嵐寛寿郎だった。
日露戦争は明治37-38(1904-05)年だから、今から思えば、映写
会はそれから50年余のことだった。
日露戦争の遠因は、簡単に言うと、ロシアの南下政策だ。
日露戦争の10年前に日清戦争があった。そこで清は日本に遼東半
島を譲渡することになった。しかし、露仏独の三国干渉により、
遼東半島を返還(「臥薪嘗胆」)。
しかるに、その後、ロシアは遼東半島の旅順・大連を清より租借
する。
その後、明治33(1900)年、北京で義和団の乱が起こり、北清事
変に発展。連合軍はこれを制圧、明治34年、北京議定書が結ばれ
る。
この時、ロシアは満州を占領し、その独占的権益を清に承認させ
る。
日本には韓国問題もあり、一方で日露協商論もあったが、最終的
には日英同盟を締結。
しかし、日英同盟締結後もロシアは満州から撤兵せず、日本とロ
シアの交渉は決裂し、明治34(1904)年、日露戦争に突入した。
開戦半年後、ロシアのウィッテはハーディング英国大使に述べて
いる。
「(ロシアによる)満洲および韓国の併合のほかに、日本は永久に戦闘力を
奪われねばならず、太平洋沿岸におけるロシアの優劣は保障されなければな
らぬとの見解には誰もが一致している。それには、日本に対して艦隊を所有
することを禁止する条件が課されなければならない」(*)
明治35年、ポーツマス条約が締結された。
日本が満州に進出するのはこの頃からと言えるのかしらん。
ちなみに、戦前は奉天会戦、日本海海戦にちなみ、3月10日が陸軍
記念日、5月27日が海軍記念日となっていた。
岡崎久彦『小村寿太郎とその時代』(PHP文庫/2003)(*)
吉村昭『ポーツマスの旗』(新潮文庫/1983):小村とウィッテの
外交交渉が詳述されている。
原田敬一『日清・日露戦争』(岩波新書/2007)
川島真『(中国)近代国家への模索』(岩波新書/2010)
小林和幸編『明治史講義(テーマ篇)』(ちくま新書/2018)
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●みずほ銀行のシステム障害に人為的ミス。
システム部門は関係者以外よく分からないところだが、私の経
験では、システムトラブルのほとんどは人為的ミス(ヒューマ
ンエラー)だ。
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