このところゴルフの本を読んでいる。岩井合宿までの往復6時間で、中
部銀次郎『悠々として急げ』を読んだ。
「悠々として急げ」とは、言うまでもなく、初代ローマ皇帝アウグストゥス
の言葉--"Festina lente"である。一般には「ゆっくり急げ」と訳され
ているようだ。
以前にも書いたが、中部銀次郎は昭和17(1942)年生まれの天才ア
マチュア・ゴルファーである。平成13(2001)年、食道癌のために、惜し
くも59歳10か月で亡くなった。中部さんが亡くなっていたことを知った時
にはショックを覚えたものだ。
大洋漁業の中部一族は、父と銀次郎を含む3兄弟のハンディを全部足
しても10に満たないものだった。
この本は、中部さんの、自叙伝というか履歴書という趣のあるものだが、
○中村寅吉さんは言うのである--「なあ、銀、ゴルフはな2オン2パット
でもパー、3オン1パットでもパー、4オン0パットでも同じパーなんだよ」
●これほど正確なショットを打てる杉原(輝雄)さんが、飽くことなく、黙々
とボールを打ちつづけていることに驚きもし、打たれた
など、おもしろい話が満載である。
○ゴルフはパーオンしなければ、パーが取れないと思ってしまうが、超一
流のプロでさえ、パーオン率は7割がいいところである。グリーンをはず
したところからが勝負だということを教えてくれる。
●中部さんは、杉原輝雄がフェアウェイ・ウッドで200ヤードは離れたキャ
ディーの足下にボールを正確に集めるのに、いつまでたっても練習を止
めな いことに驚き、自分はプロにはなれないと思ったという。
余談だが、私の父も昔の砧ゴルフ場で一日中パットの練習をする中村
寅吉を見ていた。
これと似た話は、陳清波が初めてベン・ホーガンの練習を見た時のもの
だ。ベン・ホーガンが遠くにキャディーを立たせてショットの練習をして
いる。キャディーはほとんど動かないで飛んでくるボールを拾う。そのう
ち、ミス・ショットをしたのか、ボールがスライスして、キャディーが場所を
移動した。ところが、次からその場所へピタリとフェード・ボールを運び続
けるのを見て陳清波はビックリしたという。たしか、英国ウェントワースで
のカナダカップの時ではなかったかしらん。
1960(S35)年、メリオン・ゴルフクラブ(Par70、6694Y)での世界アマ
チュア選手権に参加した中部さんは、4日間とも80を切れなかったのに、
当時アマチュアだったニクラウスが11アンダーで回ったことに衝撃を受
けたことも具体的に書かれている。
その中部さんが、NHK TVの番組でニクラウスと対決したのはよく覚えて
いる。場所は横浜CCだった。ニクラウスのタイミングは、スローモーション
で分析すると、ドライバーからショートアイアンまでまったく同じだった。本
書によれば、それは昭和48(1973)年11月28日のことだったという。ニ
クラウスは初めて回る横浜CCを8アンダーの64で回ったが、中部さんも
39-34の73で回った。
--NHKのアーカイブスで視ることはできるのかしらん。
中部さんは私より8歳年長なだけだから、今生きていれば、今年73歳に
なるはずだ。それでもまだまだお若いのに本当に残念だ。
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