「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

『差別』は『火(卑)』の無いところ』から煙が立ち上る-日本の『恥部』を晒す

2016年02月15日 06時23分12秒 | 日本の「恥部」を晒す
今の学習対象は大きく括って(くくって)『差別問題』です。

その中でも目下、学習しているのは「被差別問題」です。

「そんなこと辞めておけ」という先輩高齢者の方がいらっしゃるかもしれませんが、

これは今もなお敢然としてこの日本に残っている

「恥部(あってはならぬ恥ずべきところ)」なのです。

例をひとつあげてみましょう。

年頃の男女がお付き合いをしていて、両者が「もうそろそろ結婚を前提に・・・」

と思っていたところ、男性が両親に相談をしました。

-・-・-・-・-・-・-・-・-

親「その女性はどこの人なんだ。」

男性「×××に住んでいる人だよ。」

親「あそこはダメだ!だから」

男性「って何?

親「卑しい人たちだ。その女性との付き合いも結婚も許さん。」


-・-・-・-・-・-・-・-・-


男性は親の言葉に従ってあえなく交際を打ち切りました。

さて、問題です!

いわゆる「民」と「一般市民(と言われる方)」は何が違うのでしょう?

これを答えられる方はそうは居ないはずです。

だって、答えは「民も一般市民も違いは無い」からです。

「敢然として今も『』は存在するじゃないか!!」と言われる方々がいると思いますが、

それはその時々の権力者なり行政政府が自分達の都合上、

勝手にその区域に住まわせたのです。

DNAから言っても差は無いし、在日朝鮮人・韓国人もそうです。

『』といえば、よく世間では「平家の落ち武者の集落」なんてよく耳にしますが、

あれも実のところ「」と言われた区域なのです。

ちなみに私の母方の家は「平家」だったと言われていますが、

そういう意味では私も「民」なのでしょう。

あともう一つ例を挙げますと、「同和教育」というのがあります。

辞書にはこうあります。

「同和教育=被差別の解放を目的とする教育。歴史的・科学的認識に基づいて,

差別の実態を明らかにし,差別を許さない国民を育てるための一切の教育活動。」

なんだか難しい・・・

要するに『今まで差別されてきた「被差別」の解放の為の教育活動』と言うわけだ。

もともと「」という言葉は、昭和天皇が即位された際の勅語



「・・・人心惟レシク民風惟レシ汎ク一視同仁ノ化ヲ宣ヘ・・・」から取ったもの

これは元号を採用する際に「昭和」と「」が最終選考まで残っていたとされる。

この「」はご存じのように企業名にも使われている。

この問題を遡ったり、それぞれの意味を知ることにより、

いかに「差別自体」馬鹿げているかわかってくる。

一方的に「差別する側」が悪いといっているわけでは無く、

「差別された側」にも様々な問題がある。

この問題、「鶏が先か、卵が先か」の問題になってきそうだが、

『区別・差別・蔑視・隔離』の方が先なのだろう。

それ故に被差別民も反抗的になったり、「一般市民」潜り込もうとしたのではないか?


まだまだ私の学習は続きます。







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