私は子供の頃に両親が離婚をして父親の元で育ちました。父方の祖母が健在でしたので、おかずを持ってきてくれたりいろいろ世話をしてしてくれました。これも「孫が可愛そう」ということだったのでしょう。兄は社交的で外でよく遊んでいたのですが内向的な私は学校の以外ではあまり外で遊ばないタイプの子供でした。その気質はずーっと今まで続いていますが…。
今ではよく世間で語られるよいうになっていますが「ひとり親世帯の貧困」。これは「母親の片親世帯」に限らず私の育った所のように「父親の片親世帯」でも同様です。まっ、貧乏で憐れんだのか近所の方が夕方おかずを持ってきてくれたりしました。ありがたいことです。
さて、離婚当初はどなたか分からないけど噂して回って白眼で見られたり子供ながらに知ってて知らぬ振りして学校で明るく振る舞ったりしていましたが、今もそういう境遇の子供はそんな風にしてずいぶん無理している子は多いはずです。そんな世間の「うら/おもて」を強烈に意識させられると『人間不信』は当然植え付けられるわけです。私は物持ちが良いですから今でもそんな考えを持ってます。物持ちが良い割には人付き合いは非常に短い。すべては「どうせこの関係もすぐに終わる」「終わって当然、持続は時間の無駄」という観念ですから長続きするわけがない。卑怯なもので相手に言わせるように仕向けるか、自分から去って行くか、どちらにせよ「短期」です。ある意味「短気」なのか…。
こんなの自分の身にならないんだろうけど「独りが楽」というわけです。この歳になる「突然死」ということが頭をよぎりまして『独居死』なんてこともあるのかな?と。アパートで腐ってたらねぇ…。
まっ、人間死に様は選べませんから。あっ?選べると思ってました?
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