「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ和尚のお説教 「『49歳もはや初老』について考えるのこころだぁ〜」

2022年08月11日 12時29分27秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
人生100年時代と言われておりますが、厚生労働省が2021年9月に発表したとろころによると日本全国の百歳以上の人口は86510人!その内約9割弱が女性ということだそうです。百年前というと大正11年「グリコのお菓子発売」「未成年者飲酒禁止法公布」「アインシュタイン来日」「大隈重信国民葬」「ソビエト社会主義共和国連邦成立」「日本共産党結成」「水平社宣言」などなど、社会は今も昔も激変していたようです。もちろん昭和六年から始まる日中戦争から昭和十六年の日米開戦という激動の時代をくぐり抜けてきた世代であります。
前説がいつものように長くなりましたが、現代人が生産活動に従事できるのは定年から考えて六十五歳。働き盛りといえば三十代後半から五十代半ばあたり、生気みなぎるのは二十代から三十代半ばといったところでしょうか?しかし、『脳の萎縮』は三十代から始まると言われています。生殖能力の減退は男性で三十五歳から、女性は二十八歳からと言われております。おそらくピークは十代後半から二十代半ばではないでしょうか?しかし、三十代後半になっても五十代になっても「まだまだ私は!」という諦めの悪い人は多い。往生際が悪いとしか言いようがない。『減退=老い』を認めようとしないので「さて、明日から出勤しなくていいですよ」となるとなんの準備もしてこなかった「企業戦士」はとまどい家庭では煙たがられる。一億総活躍社会といっても働ける人とそうでない人も居ることは確かで人生の老境で働くことに執着することにどこまで意味があるのか疑問です。「リタイヤしても居場所がない、探してこなかった、『老い』をイメージ出来てなかった」。今、スポーツでは「マスターズ大会」などが十年くらい前から盛んで年齢別で競っていますが、老醜を晒していることこの上なしです。老いればそこに役割や過ごし方があるわけで、「現役への未練」や「競技に間に合わなかった」人たちの未練たらたらの大会になっています。気持ちと加齢による頭脳、体力の減退という現実を受け入れずにいる。六十代で競技に目覚めて優秀な成績を修めた人が過酷なトレーニングが祟って廃人のようになってしまった例があります。これは衰えている体という現実とそれを受け入れない自分との乖離を自覚しないまま突っ走ったことの悲劇と言えるでしょう。ボーボワールの言葉を借りれば「老い=醜いもの」と若い頃に考えていて、いざ自分がその年齢になったときに「私は違う」という往生際の悪さが邪魔をして「老い」のイメージを描いてこなかったということ。
これは「中途障害者」にも言えて「障害を負う前の自分にきっと戻れる」という『幻想』に取り憑かれて現実を直視出来ず、障害の軽減を邪魔するのである。
この「老い」と「中途障害者」は自分の立っているところを否定していることが不幸な現実を招いているのである。現実に即した生き方を模索するほうがより現実では豊かな人生を送れるだろう。




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