「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ和尚のお説教 「多分再論、確認『幸福論』」

2023年10月31日 21時13分25秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
『幸福論』と書いてしまうと哲学書みたいな感じですが、そんな難しいことを書けるような頭ではないので(ご存じのように)、ごく簡単なことですが、意見の分かれるところの話になると思います。ハイ
「幸せ」というと、それぞれ違うと思います。ですが現代日本人においては典型的なモデルがあるように思えます。
「お金」
「社会的地位(出世)」
「結婚(家族・恋人)」
「住居」
「健康」などなど
上記のことで大半は表せているのではないでしょうか?

ここに例としてあげる男性は
「収入が少ない」
「非正規雇用」
「独身/結婚歴なし」
「狭い賃貸マンション暮らし」
「障害者」
「近年手術を数度している/五十代」というお方
みなさんがこれらの条件を見たときに「この人は不幸だ」と思うでしょうか?(どこかで聞いたような人ですが...)
では、この人の「不幸」は誰が決めるのでしょうか?
裁判所?国会?国民の過半数?身内?友達?近所の人?
この人の「不幸」は誰にも決定権はないのです。逆に言うと周りの環境から「私は不幸だ」という、その人の主観ではない所からその人の主観が脅かされるようなことは、本当の不幸というものです。簡単に言うならば「自分は不幸だ!」と考えるようになれば、それで終いです。自分の「不幸」の決定権は自分であって周りの人たちではない。「自分が幸せだ」と思えば、どんな環境であろうと、その人は幸せです。逆に自分は不幸だ」と思えば、例え円満な家族をもって、いっぱいお金を持って、大きな屋敷に住んで、社会的地位があって、健康であっても、その人は不幸なんです
幸せの定義に統一的なものは無いと私は考えます。
世間的に不幸に見えても、自分の心が満たされていれば堂々と肩で風切って歩けば良いのです。例え、路上生活者であっても。
周りは人を自分以外の人間を「不幸」というレッテルを貼りがち余計なお世話ってなもんです。





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