今の学習対象は大きく括って(くくって)『差別問題』です。
その中でも目下、学習しているのは「被差別問題」です。
「そんなこと辞めておけ」という先輩高齢者の方がいらっしゃるかもしれませんが、
これは今もなお敢然としてこの日本に残っている
「恥部(あってはならぬ恥ずべきところ)」なのです。
例をひとつあげてみましょう。
年頃の男女がお付き合いをしていて、両者が「もうそろそろ結婚を前提に・・・」
と思っていたところ、男性が両親に相談をしました。
-・-・-・-・-・-・-・-・-
親「その女性はどこの人なんだ。」
男性「×××に住んでいる人だよ。」
親「あそこはダメだ!だから」
男性「って何?
親「卑しい人たちだ。その女性との付き合いも結婚も許さん。」
-・-・-・-・-・-・-・-・-
男性は親の言葉に従ってあえなく交際を打ち切りました。
さて、問題です!
いわゆる「民」と「一般市民(と言われる方)」は何が違うのでしょう?
これを答えられる方はそうは居ないはずです。
だって、答えは「民も一般市民も違いは無い」からです。
「敢然として今も『』は存在するじゃないか!!」と言われる方々がいると思いますが、
それはその時々の権力者なり行政政府が自分達の都合上、
勝手にその区域に住まわせたのです。
DNAから言っても差は無いし、在日朝鮮人・韓国人もそうです。
『』といえば、よく世間では「平家の落ち武者の集落」なんてよく耳にしますが、
あれも実のところ「」と言われた区域なのです。
ちなみに私の母方の家は「平家」だったと言われていますが、
そういう意味では私も「民」なのでしょう。
あともう一つ例を挙げますと、「同和教育」というのがあります。
辞書にはこうあります。
「同和教育=被差別の解放を目的とする教育。歴史的・科学的認識に基づいて,
差別の実態を明らかにし,差別を許さない国民を育てるための一切の教育活動。」
なんだか難しい・・・
要するに『今まで差別されてきた「被差別」の解放の為の教育活動』と言うわけだ。
もともと「」という言葉は、昭和天皇が即位された際の勅語
「・・・人心惟レ同シク民風惟レ和シ汎ク一視同仁ノ化ヲ宣ヘ・・・」から取ったもの
これは元号を採用する際に「昭和」と「」が最終選考まで残っていたとされる。
この「」はご存じのように企業名にも使われている。
この問題を遡ったり、それぞれの意味を知ることにより、
いかに「差別自体」馬鹿げているかわかってくる。
一方的に「差別する側」が悪いといっているわけでは無く、
「差別された側」にも様々な問題がある。
この問題、「鶏が先か、卵が先か」の問題になってきそうだが、
『区別・差別・蔑視・隔離』の方が先なのだろう。
それ故に被差別民も反抗的になったり、「一般市民」潜り込もうとしたのではないか?
まだまだ私の学習は続きます。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
その中でも目下、学習しているのは「被差別問題」です。
「そんなこと辞めておけ」という先輩高齢者の方がいらっしゃるかもしれませんが、
これは今もなお敢然としてこの日本に残っている
「恥部(あってはならぬ恥ずべきところ)」なのです。
例をひとつあげてみましょう。
年頃の男女がお付き合いをしていて、両者が「もうそろそろ結婚を前提に・・・」
と思っていたところ、男性が両親に相談をしました。
-・-・-・-・-・-・-・-・-
親「その女性はどこの人なんだ。」
男性「×××に住んでいる人だよ。」
親「あそこはダメだ!だから」
男性「って何?
親「卑しい人たちだ。その女性との付き合いも結婚も許さん。」
-・-・-・-・-・-・-・-・-
男性は親の言葉に従ってあえなく交際を打ち切りました。
さて、問題です!
いわゆる「民」と「一般市民(と言われる方)」は何が違うのでしょう?
これを答えられる方はそうは居ないはずです。
だって、答えは「民も一般市民も違いは無い」からです。
「敢然として今も『』は存在するじゃないか!!」と言われる方々がいると思いますが、
それはその時々の権力者なり行政政府が自分達の都合上、
勝手にその区域に住まわせたのです。
DNAから言っても差は無いし、在日朝鮮人・韓国人もそうです。
『』といえば、よく世間では「平家の落ち武者の集落」なんてよく耳にしますが、
あれも実のところ「」と言われた区域なのです。
ちなみに私の母方の家は「平家」だったと言われていますが、
そういう意味では私も「民」なのでしょう。
あともう一つ例を挙げますと、「同和教育」というのがあります。
辞書にはこうあります。
「同和教育=被差別の解放を目的とする教育。歴史的・科学的認識に基づいて,
差別の実態を明らかにし,差別を許さない国民を育てるための一切の教育活動。」
なんだか難しい・・・
要するに『今まで差別されてきた「被差別」の解放の為の教育活動』と言うわけだ。
もともと「」という言葉は、昭和天皇が即位された際の勅語
「・・・人心惟レ同シク民風惟レ和シ汎ク一視同仁ノ化ヲ宣ヘ・・・」から取ったもの
これは元号を採用する際に「昭和」と「」が最終選考まで残っていたとされる。
この「」はご存じのように企業名にも使われている。
この問題を遡ったり、それぞれの意味を知ることにより、
いかに「差別自体」馬鹿げているかわかってくる。
一方的に「差別する側」が悪いといっているわけでは無く、
「差別された側」にも様々な問題がある。
この問題、「鶏が先か、卵が先か」の問題になってきそうだが、
『区別・差別・蔑視・隔離』の方が先なのだろう。
それ故に被差別民も反抗的になったり、「一般市民」潜り込もうとしたのではないか?
まだまだ私の学習は続きます。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村