小児神経学会のランチョンセミナーで聞いてきたのが、林隆先生の「最新の脳科学で探るADHDの薬物療法~Default Mode NetworkとFunctional Connectivity」という講演だった。
脳は体を動かしたり読書したりなど意識的な行動をしているときに活動し、何もしないでぼーっとしているときはただ休んでいると考えられてきたが、fMRI(機能的MRI)などの観察から、ぼーっとして見える時の脳も活発に活動していることがわかってきた。しかも、この安静時の脳活動は、意識的な日常生活活動時に使われる脳活動の20倍にも達する。つまり、アクティブな活動中には鎮静化しており、休息時には活発に興奮する神経細胞群が脳内に存在するのである。解剖学的には左右の大脳が合わさった内側面が主な部位で、前頭葉内側面、後部帯状回、楔前部、頭頂連合野の後半部、中側頭回などである。
この安静時の脳活動のベースラインを示す領域はデフォルト・モード・ネットワーク(Default Mode Network;DMN)と名付けられ、ひとつのネットワークとして同期しながら活動する。DMNは自分のことを考えたり、将来の出来事への準備に関っているらしい。さらに、ADHD、自閉症、統合失調症、鬱病、アルツハイマー病などはDMNと重なる領域に異常が見られることから、DMNの異常と病気が結びつく可能性も示唆されているとのこと。
ふと思った。
母がエンドレスに「櫛もあった櫛もあった」を繰り返すが、それは何もしていないときのこと。
昨日、デイケアのバスを待っている母の言葉を観察してみた。
「櫛もあった櫛もあった櫛もあった…バスまだだろかね…櫛もあった櫛もあった櫛もあった」と、途中でウソみたいにはっきりした自発的な会話が入るのである。
DMNの異常があるから、黙しているべきときに言葉がくりかえされるのかもしれない。
そして、自閉症の子で不安になると不自然におしゃべりになる子がいるが、母も不安や恐怖が根底にあって言葉を繰り返しているのかも。
そして、母は「自分が自分でなくなる」とか「家族に迷惑をかけている」などの不安をきっと持っているにちがいない。
自閉症の子たちと同じようなDMN異常によるおしゃべり……たぶん不安を打ち消そうとするためのおしゃべり、と考えたら、母のつぶやきをずっと暖かく見られるようになった。
そしてもうひとつ。
瞑想熟練者は、DMNが活動しているとき、自己監視、認知制御に関わる部位もアクティブになっており、瞑想している間は、脳は休憩をしている状態とほぼ同じであるということがfMRIでわかっている。
つまり、もし母が「櫛もあった」のエンドレス状態になっても、自宅にいるかぎり誰の迷惑にもならないのだから、それを気にする人自身の精神の問題になる。もし熟練した瞑想ができれば、「櫛もあった」に苛まれずに過ごすことができるはず。
母が「櫛もあった」と言ったら、DMNが異常活動状態で、不安なんだな言葉を発していると落ちつくんだなと、理性的に考えを巡らす。
そして、静かに瞑想しながら母のその行動に対して「昔の母と別人みたいで見ていると悲しいな辛いな」という気持ちが沸き上がったところで、認めて放す、を繰り返そうと思った。
昨日はそうやってマインドフルネス瞑想を試してみた。
その中で、はっと気づいたことがあった。
母が「櫛もあった」の言葉を止めても、私の頭の中で「櫛もあった」がリフレインされているのだ。母が今言った言葉ではなく、私の頭の中でリフレインされたものに、自分が苛まれているのだ。
だから、私が苛まれている気持ちを、認めて、放す。
それをやったら、ちょっと楽になったような気がした。
創作の種は、ほんっと、あっちこっちにころがっている。
今日もびよよよ~~ん (*^ __ ^*)