先週、ドライボックスの中に長いこと眠っていた、フィルムカメラ35m&中判、望遠ズームレンズを専門店に買取を依頼したら、想像以上の買取金額となり、あっという間に買取金額が振り込まれた。ネットと宅配業者の驚くほどのスピード感に戸惑う。
フィルムカメラは、いまだクラシック器機好みの若い女性やハイエンドユーザーなどに需要があるとかで、ちなみに、並品相当として2万円で買い取られた35mのニコンFMチタンが6万円台で、良品相当として5万数千円で買い取られたフジフィルムの69版は9万円台で販売されているのを、別の業者だがネットで確認した。
「買い手があれば、売り手もある」
「捨てる神あれば、拾う神あり」
この20年間ほとんど手に触れることのなかった機材たち、もし、オイラが忽然としてこの世を去るようなことがあれば、何も知らない家の者に「家庭用ごみ」として整理されてしまう可能性もあったのだから、オイラの行為は、彼等の命をすくってやった「善行」なのだろう。と、言い聞かせることにしたい。
小人は、世間から言うとはした金かもしれないが、思いもよらない現金収入気を良くして、ドライボックスを点検したところ、この30年ほどまったく使用していないフィルムカメラ用マニュアルレンズや、この先あまり利用しないと思われるデジタルカメラにも使えるオートフォーカスズームレンズなど7点ばかりが、「値が付く」ことをネットで確認したので、彼等も売りに出すことにした。
ほとんど使用しておらず、長いことドライボックスに入れていたので、キズやカビがほとんどない良品か並品で査定されるのだろうし、またすこしのはした金が手に入れば、野鳥や自然観察に向いた新しいカメラ購入の一助にでもしよう。
それにしても、すべて新品で買ったこれらのレンズたち、オイラにはほとんど役に立ってくれなかったので、いらぬ散財だったし、彼等を使いこなしてやれずに悪いことをした。
この世のどこかに、彼等を拾ってくれる神さまがおられることを祈って、きれいにレンズを掃除してから、一個づつ緩衝材に丁寧に包んで買取専用段ボールに入れて「ありがとう」と言って送り出そう。
残るは、花と星空撮影用のÐ750くんと必要なレンズ数点、野外持ち出し用のコンデジのG3Ⅹくん、とスマホのカメラか。本当に必要なカメラとレンズたちを必要最小限手元に置くことにして、生きていこう。
散歩をすれば、トチノキの下はトチの葉の枯れ葉に埋め尽くされていた。
捨てられた葉っぱは、トチの根元を温め、微小生物たちの糧ともなってくれる。
「捨てる神あれば、拾う神あり」か・・・
日本百名山MYSONG 19 飯豊山
【深田百名山を読んで】
(日本百名山から抜粋)
「飯豊という個性的な山名で、私は古くからこの山に心を惹かれていた。しかしそれは大変不便で、普通ではちょっと行けないように印象された。(中略)
東京の登山者たちの間に飯豊がしきりに口にされだしたのは、近年のことである。磐梯朝日国立公園の範囲の中にこの山塊が含まれて以来、急速に開けてきた。諸方から登山路がつけられ、山小屋が建ち、地元の宣伝も加わって、飯豊は魅力のある新天地となった。
その開発に力のあったのは、長年この山に入りびたっている新潟の住人藤島玄さんであろう。玄さんの言によると、日本のどの山もつまらない。飯豊のような山は他にないというのである。
夏の一週間、その玄さんの案内で私は飯豊の全主稜を歩いて、その言に偽りのないことを知った。大きな残雪と豊かなお花畑、尾根は広々として高原を称揚するように楽しく、小さな池がいくつも散在して気持ちのいい幕営地に事欠かない。ことに感服したのは、その主脈の峰々がいずれも堂々と独立して、まるで一城のあるじのように大きく見えたことである。」
玄さんや家族と歩みし一週を楽園とせし飯豊の神々
【深田百名山登頂の思い出から抜粋】
(前略)
飯豊本山、たしかにどっしりとした風格があり、本山とするに異論はないが、オイラの心の中では「飯豊いいで・いいとよ)と何だか分からない神さまの山よりも、大日如来を祀った大日岳のほうが「オシ」だ。主要稜線から離れ、すっくとそびえる孤高の山を愛す。
(中略)
夏のある日、再び孤高の大日岳の山頂に立って日本海に沈む夕日を眺めていたい。
いいとよの だいにちほうにひとりざし ひをみおくらむ つきさえゆくまで
安達太良の峰から残雪の飯豊連峰を望む