今月のはじめ、主たる年金の振込先となっている金融機関のキャッシュカードを亡くしていることに気づいた。
あわてて、その金融機関に連絡したら、さいわい二週間前に振り込まれた年金等の残高は、「無傷」であることを確認し、カードを止めてもらい、再発行の手続きを依頼した。
その金融機関は、なぜか、もう暮らすことはないだろうに、いまだ沖縄に本店がある。
書類での手続きとなったので、1週間後、再発行申請書を送ろうと、近所のコンビニで運転免許証の裏表コピーをおこない封筒に同封した。
数日後、最寄りの警察署より封書が届いた。「あなたの運転免許証が落としものとして届けられています。身分証明書を持参して受け取りにおいでください。」との内容。
「ああ、そうかコンビニのコピー機に置き忘れしてしまったのか」、手持ちのウォレットを確認して実際運転免許証がないことに気づいた。
そんな、いろいろなことがあって、おとつい運転免許証を受け取り、コンビニにお礼もしたし、本日、やっとあたらしいキャッシュカードも届いて、日常に戻った。
落とし物、忘れ物が年を増すごとに増えてきたような気がする。(このような意識は、いまだ認知症ではないことを証明する。)
いまや、ほとんどの買い物や決済はスマホだけで可能である。
キャッシュカードやクレジットカード、不必要な現金などは、持ち歩かない方がいいと学習した。
だが、そのスマホ自体を落としたら・・・?(スマホはいつも、フック付きストラップにつないで衣類に固着させているのだが、完ぺきではないだろう。)
旅に出る時に限って「何を持っていくか」考えようぜ。
片平キャンパスの大銀杏の樹下は黄色の海だ。カロテノイドの海とも・・・(スマホ撮影)
「日本百名山MYSONG」 17 朝日岳
【深田百名山を読んで】
(抜粋)
「その後私は三十四年ぶりで大朝日岳に登った。(中略)頂上に立ったが霧のため全く眺めはなかった。三十四年前には、一点の雲もない快晴で、完全無欠の日の出を拝した。そして大朝日のピラミッドの影が日本海に大きく倒れているのを眺めて、ひどく感激したものであった。
山形の生んだ歌人結城哀草果氏は、年六十になって大朝日岳に登り、左のような規模闊達な歌を残している。
奥羽山脈に接して太平洋に出る日の
荘厳をわが生涯の奢りとぞする
太平洋に日は昇りつつ朝日岳の
大きな影日本海のうへにさだまる
私は実際を見ているから、これらの歌に特に共感できるのである。」
大朝日の山上で太平洋から昇る日を眺められるということか。いま深田さんを読んではじめて気づいた。何月に朝日に登れば「太平洋から昇って日本海に沈む」事実を確認できるのだろうか。そうしたチャンスをめざして再訪しようか。
ひむがしの 海より出づる日はにしの 海に入りけり 朝日の連嶺
【深田百名山登頂の思い出から抜粋】
「今は、稜線上のテント禁止となった朝日連峰、昨年秋、コロナの心配があるものの、そのせいで空いてそうな山小屋を経由してしばらくぶりに学生時代に歩いたコースをたどろうと朝日鉱泉に予約を入れようとしたが、季節運行のバスが終わっていた。今年の秋ころから、また小屋は混みだすのだろう。思い出登山の日はやってくるのだろうか。大朝日岳近くの草むらに、45年前のトマトジュースのカンカラがまだ錆びて埋もれているだろうか。」
雪渓に 隠れたジュースのカンカラは 夢みているか 草紅葉揺れ
船形山頂より朝日連峰を望む 2019.5.25