さる日曜日、賢治さんの映画を観るために水沢駅に下りたが、上映時間まで間があったので水沢天文台を歩いた。駅から20分ばかり、広大な水沢公園を抜けたところ。
わざわざ天文台に行ったのは、映画のパンフレットに、下記のような添え書きがあったからだ。
「賢治の当時、水沢の緯度観測所に、マイクロメーターで星の通過が見られる天頂儀が備えられていました。賢治は、1924年3月24日、釜石線の鱒沢駅で降り、五輪峠を越え人首泊。25日早朝、遠く水沢の街を臨み、乗り合い自動車を乗り継ぎ、岩谷堂から北上川を渡り、緯度観測所につきました。妹トシの死後1年半のことでした。天頂儀と雲量計を駆使し、3月25日の正午きっかりに、「いまやわたしのまなこも冴え(晴天恣意)」真昼ながらアンドロメダの連星が天頂を通っていったと確信しました。互いの重力で引き合うオレンジ色の2等星とブルーの6等星です。トシと自分の星が、天の真ん中を通っていったのです。」
水沢の緯度観測所が、今の水沢天文台だ。賢治さんが訪れた当時の建物が記念館として残されていたが、今は直径20メートルの巨大な電波望遠鏡が主役の観測所となっている。どこかでみた望遠鏡かなと思ったら、何と石垣島にあった望遠鏡の仲間だったのだ。国立天文台は、水沢・小笠原・鹿児島入来・石垣島の4観測所とチームを組んで「銀河系のすべてを観測できる直径2300kの電波望遠鏡」という能力で観測しているとのこと。
賢治さん当時の光学式観測の天頂儀や雲量計がどのようなものか想像がつかんけれども、それでも当時の最先端技術で星の運行を観察していたようで、観測所を訪れた賢治さんは目を輝かせながら観測所技師の説明を受け、真昼に天頂をすぎゆくアンドロメダ座の連星を「観測できた」のだろう。
こんどゆっくり記念館を訪問し、1924年の観測の仕組みを教えてもらおう。
アンドロメダ座の乙女のつま先にあるというオレンジ色の2等星アルマクと寄り添うようにブルーに光る6等星のとはどのようなものか。
A’s balconyのサイトで見させていただいた。美しい。賢治さんは、いつどうやってこの美しい連星をみつけて、自分とトシを重ね合わせたのだろう。もっと調べてみよう。あの美しい童話「双子の星」もこの連星だったのかな。
深田百名山MAYSONG 8 幌尻岳
【深田百名山を読んで】
(百名山より)
「私たちがその急斜面の圏谷を登り始めた時、霧が一切を包んでしまったが、身のまわりには、あたり一面黄色く見えるほどウサギギクが咲き群れていた。稜線に達し、肩を越えて、霧の中を幌尻の頂上まで行った。」
ポロシリの 霧の圏谷歩むころ 群れては揺らくウサギギクかな
【MAYSONG】
(深田百名山登頂の思い出より)
幌尻岳には、83年に旭川の山岳会メンバー数人と1度、北海道を離れて数年後に八戸の山岳会の先輩たちと3名で1度、額平川コースから登った。
高らかな声あり 北の仲間らの 糠平の沢 幌尻の風
山と渓谷2021新年号より