秋飯(あきめし)としての炊き込みご飯を、キャンプを想いながらメスティンで焚くシリーズ。
きのうは、市販のキノコ(ブナシメジ、エノキ、マイタケ)に焼き鳥の100円缶詰、ニンジン、アブラゲなどを加え、白だし、酒、みりん、塩少々などの調味料で炊いた。具が多いので、一合の米を三合炊きのラージメスティンで約40ミリ㍑のエタノール(菊川66)で17分ほど、美味しく炊けた。1合は多いけど、腹いっぱいいただいた。
登山愛好家なら天然のキノコと行きたいところだが、数十年前山岳会に所属していた当時以降、山でキノコ狩りをしていない。アミダケ、ブナハリダケ、ナラダケ以外は自信がない。山岳会員なら必ずだれかキノコに詳しい人がいて、毒とそうでないキノコを見分けてくれたものだが、一人歩きだと図鑑を片手にのキノコ狩りでは自信がない。
そんなことで、いまやスーパーの野菜コーナーにさまざまな栽培キノコが並んでいるので、それらでがまんすることにしている。
昨日は入れなかったが、ヒラタケ、エリンギなどもおいしいキノコであり、この秋に第二弾と行きたい。
さて、秋飯あとは・・はらこめしか、何もかも食材は高騰しているが一度だけはこさえてみるか。
(日本百名山MYSONG) 13 岩手山
【深田百名山を読んで】
秋田出身の日本画家平福百穂の短歌、岩手のうんだ歌人石川啄木の短歌、同じく宮澤賢治の詩を取り上げながら、岩手山の賛歌を繰り広げている。
(本文抜粋)
「北へ向かう急行が盛岡を出て間もなく、左側に、ポプラ並木の梢越しに見えてくる岩手山は、日本の汽車の窓から仰ぐ山の中で、最も見事なものの一つだろう。
(中略)
岩手が生んだ幾多の人材、それらの精神の上に岩手山が投影せずにはおかなかっただろう。雄偉にして重厚、東北人の土性骨を象徴するような山である。かつての名門盛岡中学の少年たちは、これを仰ぎながら学び且つ遊んだ。石川啄木もその一人であった。後年流離の生活を送った彼の眼底には、いつも北上川の岸辺から望んだ岩手山の姿があったに違いない。
ふるさとの山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
盛岡の風景は岩手山によって生きている。一つの都会に一つの山がこれほど大きく力強く迫っている例は、他にないだろう。
(後略)」
盛中の 少年たちを羨みて 登山家仰ぐ 岩手山かな
【深田百名山登頂の思い出から抜粋】
「少し体が復元されて体力がついたら、賢治さんが青年時代にやったみたいに、盛岡市内から歩き始め、岩手山神社~馬返しコース夜通し歩いて山頂でご来光を仰いでみたい。星の輝いている夜に疲労のため絶命しても、それはそれで本望というものだろう。その折は、銀河鉄道に乗り遅れないようにしたい。」
盛岡発 岩手山頂駅で降り 乗り継いでいく 銀河鉄道
2020.9.5 焼け走りにて