かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

海から登る山 SEA TO SUMMIT

2022-11-15 19:15:48 | 日記

50年以上にわたる山歩き人生の中で、百名山を海抜ゼロ米から山頂を目指したのは、利尻山と富士山だけかもしれない。開聞岳は、海ぎわの山であるが、車で登山口まで行ったのでちがう。

海抜ゼロ米の海から山頂までめざすことを、「SEA TO SUMMIT」というのだそうだ。

先日、七大陸の最高峰の「SEA TO SUMMIT」にチャレンジしている登山家のことをBSでやっていた(すみません名前忘れました)が、そんな途方もないことは彼らに任せておいて、日本では、富士山はともかくとして、島の山なら屋久島宮之浦岳と利尻、海近くの山だったら開聞岳と鳥海山ぐらいで、実行するのはそんなにむつかしいことではない。屋久島と鳥海は、これからやってみたい。海岸で小さなボトルに海の水を汲んでいき、山頂でそれを撒くという、神事みたいなことをやってみたい。

MY SONGを詠うため、あらためて深田さんの百名山を読んでいたら、深田さんは、鳥海山初登のころ、まだ麓にバスが走っていなかったので、吹浦の海岸から登ったとあることを思い出した。「深田百名山登頂の思い出」でオイラもそれにならうことを期していた。

深田んさんは4月にスキーを持参して登ったとあるので、いまの吹浦登山口である大平山荘あたりからは、春の雪をスキーで踏んでいったのだろう。それはできないとして、できるだけ早めに、できれば来シーズン、吹浦の海岸から鳥海をめざそう。吹浦から今の鳥海ブルーラインを通り、吹浦口から山頂を目指すコースは、この吹浦にある鳥海山大物忌神社(ちょうかいざんおおものいみじんじゃ)の参拝道にもなっていて吹浦の集落にその神社があり、登山口に中社、山頂に本社が祀られているのでこの古式ゆかしい道を歩かないわけには行かない。

だが、深田さんは信仰というよりも、「まだ登山バスが開通していなかったので、やむをえない」という事情で吹浦駅のある海抜ゼロ地帯から登ったということで、、その後開通した登山バスは、いつごろからだろうか、マイカーの普及で今は運行されなくなっていて、このオイラも実は「もう登山バスが運行されなのでやむをえない」という、結論として福田さんと共通する事情で海抜ゼロを選択するもので、「参詣=神事」は、とってつけたきれいごとの理由なのかもしれない。

とにかく、そうだな、七月か八月の残雪とお花の時期、まず寒さを気にせず眠れる砂浜で仮眠して暗いうちに単調なブルーラインを登り、夜明けごろいまの登山口から山頂をめざし、途中、鳥海のやまふところの小屋も利用しながら、花や星をウォッチしながら、のんびり上をめざそう。じつは神社が営む御浜や山頂の小屋を利用したことはなく、下山口に使いたい湯の台コースには滝ノ小屋という魅力的な小屋もある。コロナも収まっているなら、ぜひ利用してみよう。

 

数少ない「SEA TO SUMMIT」山。貴重な存在だ。どんな風景が待っているだろうか。

 

鳥海山大物忌神社

 


日本百名山MAYSONG  15 鳥海山(ちょうかいざん)

【深田百名山を読んで】

(日本百名山から抜粋)

「標高は東北の最高峰とはいえ、わが国の中部へもってくると、決してその高さを誇るわけには行かぬ。しかしその高さは海ぎわから盛り上がっている。山の裾は海に没している。つまりわれわれは、その足元から直ちに二二四〇米を仰ぐのであるから、これは信州で日本アルプスを仰ぐのに劣らない、

 

ここにして浪の上なるみちのくの鳥海山はさやけき山ぞ   斎藤茂吉

 

初めて私が鳥海に登ったのは、その海ぎわの吹浦(ふくら)という漁村からであった。『奥の細道』の中の「吹浦の砂磧」に出てくる涯てしのない砂浜を見てから登山にかかった。今は山腹までバスがあるが、そのころにはまだそんな広い道がなく。私は海抜ゼロ米から足を踏みださねばならなかった。」

 

鳥海のバスなきころの幸として 涯なき浜より細道を行く

 

深田百名山登頂の思い出から抜粋

コロナが収まったら、山頂の小屋をはじめ、山上の小屋を繋いで、じっくりとこの山の魅力を味わいたい。もう登山口にバスが走っていないが、富士のゼロ合目からのぼる感覚で海岸沿いの駅からスタートしてみよう。深田さんが最初に登った時のように吹浦海岸の砂浜を眺めてから。

バス走り バス途絶えたる吹浦浜 涯てなき砂ふみ 鳥海に行かむ

 

   

              船形山頂から五月の鳥海

コメント