50代になるまで深田さんの「偉大なる通俗」というコピーや列を織り成してアリンコのごとく登る登山客の映像をみて、見向きもせず、近隣への立ち寄りもしなかったオノコが、あの2004年の富士登山競争エントリーを契機に取り付かれるように毎年富士方面に足を向け始める。
富士登山競争、2004~2010年まで連続7回のエントリー。うち3度めの正直で2006年に初完走。翌年も完走。翌年は、雨のため五合目まで。その翌年から2回DNF。力の限界を感じてお終いとする。
この間、何年だったか。河口湖マラソン完走。富士五湖ウルトラマラソン112k、80k地点でリタイア。
UTMF(ウルトラトレイルマウントフジ)、2011年の第1回大会にエントリーできるも、震災のため中止。2012年にエントリー権が確保されたことで出場し、48時間の関門寸前で奇跡の完走。
UTMF2013、中間地点のこどもの国で、次の関門に間に合わないと判断しリタイア。
UTMF2014、山中湖の第2関門であえなく時間切れ。杓子山付近でけが人が出たため後続が1時間以上渋滞したせいだ!と自己正当化して山中湖の平野から忍野までとぼとぼ歩いた。このあと、UTMFは、あきらめた。出場権も確保できない。
山麓から登る富士山に取り付かれ始めたのはいつだったのか。最初は、富士登山競争の練習を兼ねて、富士吉田の北口浅間神社からの遥拝道を2、3度山頂まで上り下りした。
次に、裾野市の須山浅間神社からの遥拝道から宝永山。2012年UTMFの前だったか。
2016年には、石垣島の人々などを誘って、ふたたび北口浅間神社から登頂。
2017年、4月は、富士山1周120kウルトラウォーキング。相当に打ちのめされて16時間でゴール。7月末に後輩と田子の浦の海抜ゼロから村山口コースを24時間かけ朦朧として山頂へ。
そして、2018年STY(静岡から山梨まで92k)は、「ご案内の通り」あえなく第2関門でアウトとなったが、その前の1週間精進湖にキャンプをし、STYコースなどを堪能。富士をあちこちから眺めつくしたな。いやというほど。
懲りずに、2018年、7月1日の山開きに山頂に立ちたいとの衝動で、2名の仲間を誘って精進湖登山口へこの月末に出かけようとしている。途中の3合目、武田百合子さんの「富士日記」にでてくる怖い顔した(と娘の花子が言った)マリア像にも立ち寄ってお祈りしたいな。
富士山麓とシーズンの山頂付近は、世界遺産登録後、すごいことになっていて、外国人で押すな押すなの賑わいであるが、山麓からのコースや、周辺の展望の山々はまだまだ静かなので、2019年以降も、まだまだ、富士の麓に出かけていくのだろう。この富士バカは、
とりあえず、2019年は、富士五湖ウルトラ100kの完走をめざし再び富士山麓へ。ついでに、UTMFでの暗い記憶しかない山中湖周辺の山々と愛鷹山系に出かけようか。ああ、バカ、バカ、バカ。
(追記)
ちょうど、この7月1日に富士登山を特集した「BS実践日本百名山」の公開収録が富士吉田であるそうだが、ううーん、工藤夕貴さんにお会いしたいが、スケジュール的にちょっと厳しいか。
http://www4.nhk.or.jp/100yama/243/

ここから、山開きに行ってきます。