かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

富士山まもなく山開き

2018-06-23 09:20:49 | 日記

 ことし、はじめて富士山山開きにあわせて山頂を踏もうとしているが、2007年か8年の山開き前の6月末に、すでに営業していた7合目の鳥居荘に宿泊し、翌朝吉田側山頂に到達し、富士吉田の浅間神社まで駆け足で下りている。風雨の強い山頂で、ずぶぬれになって転げるようにUターンしたと記憶しているが、それでも三重からきたという女性と途中まで登ったし(その方は途中で引き返したんだったか)、黙々と登ってくる単独登山者ともすれ違った。当時は、1ヵ月後に控えた「富士登山競争」の練習のために登っていたのだが、冷たい風雨に打たれてまったく暗闇の中を行動したにもかかわらず、えも言われぬ快感を味わっていた。

今年は、気象協会の10日間予想ではまずまずなのだが、梅雨時日本列島、風雨の仕打ちは覚悟の上で登らなければならない。精進湖からのんびりした計画を立てているが、同行のM君は、「富士登山競争」にエントリーしているというのだから、おじさんたちペースにやきもきするのだろう。まあ、そんなときは先を急がせて、また降りてこさせてまた登らせてみよう。富士吉田側の山小屋の予約状況は、まだ余裕なので、昨年7月末に登った頃の騒然とした賑わいはないと予想しているが、小屋に泊まらぬ弾丸登山の外国人が多数登ると予想されるので、どうなっているか登ってみないと分からない。

NHKBSで放映した、日本百名山スペシャル「山女特集」を見ていたら、女性野球選手の片岡安祐美さんがガイドの橋谷さんと三つ峠を登っていた。三つ峠からの富士は富士吉田登山コースを正面に見る。10日後に、あそこのルートを辿って頂に立っていると想像するだけでも、えも言われぬ快感がまたぞろ湧きあがる。あそこの頂から三つ峠の二人に手を降ってみようかな。

 

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2329/2409308/index.html

ガイドの橋谷さんと片岡安祐美さんが山頂から富士を仰ぐ。 (テレビ画面を撮影)

 

三つ峠山頂からの富士 たぶん5月ころの撮影か 4月末より雪が少ない。 (テレビ画面を撮影)

 

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2018年夏至は石垣島で過ごす

2018-06-21 20:11:04 | 日記

2018年6月21日は、日本全国夏至。1980年代に過ごした北海道釧路市の本日の夜明けは3:43、日の入り19;05とある。1日の日照時間15時間21分。あれから40年近くたった今日という日は、沖縄県石垣島に滞在中。本日の夜明け5:55、日の入り19:34.日の入りが釧路と30分しか違わないのに、日の出は2時間以上離されている。夏は、石垣島の敗北である。

あの時を覚えている。釧路のスナックを出たのは未明の2時30分過ぎ。もはや、薄明の状態だった外を酩酊状態で帰ったが、果たして職場に行ったのだろうか。その朝。あの時、40年後熱帯夜の石垣島で夏を過ごしていると予想できただろうか。ちなみに、釧路市の本日の最低気温10度、最高気温14度。石垣島の厳冬期でも何年に一度しかない大寒波である。石垣島の本日は、最低27度、最高32度。気温では勝っている。(と、争ってもどないせん)

とにかく、日本列島は長いのである。亜寒帯と亜熱帯を一つ国で味わえる。そんな国で40年を過ごせてしみじみとよかった。

昼休み、ひさびさ漁港の椰子の木陰で弁当を広げる。南風が心地よく、ちっとも暑くない。ただし、目の前の自販機から、食後「セブンティーンアイスのチョコミント」を130円で買ってきて「なめる」。暑さのためすぐに解けていくので「なめた」。

宮良のリュウキュウクマゼミは、日曜日から鳴き始めている。昨年は、徳之島に行くまで聞けなかったので、10日以上は早いが、平年より1週間遅い。梅雨明けも間近か。

 

お気に入りの椰子の木陰のランチスペース

 

思い出のチョコミント。宮古島では、バイク練習中よく食べました。

 

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きらクラ録音始末

2018-06-18 10:12:34 | 日記

 

         

 

 2018年6月16日千葉県で震度4、昨日、群馬県で震度4、そして本日大阪で震度6、大きな地震が続いている。千葉県のものは、「スロー地震」といってプレートの沈み込みによる近未来を予測可能な地震(でも怖い)であるが、群馬と大阪は活断層によるものとされている。環太平洋の火山も今年になって活発で、日本なら新燃岳と桜島、中米はグァテマラと本日はガラパゴズ、ハワイのキラウエア。今年になってからの気象庁の震度4以上の地震を検索したら、わが近隣の西表島もあったし、鳥取西部、新潟も記憶に新しい。あの忌まわしい警報音は、新潟と群馬はラジオで、大阪は、本日TVで生で聴いて、2011年の恐怖が甦った。昨日は、万勢山の天文台まで「きらクラ」を聴きながら往復している間、チャイコフスキーの「序曲1812」のクライマックスなる号砲が鳴り響く直前にアラームがなった。そのまま、地震報道へと続き「きらクラ」は最後まで中断された。同番組を最後まで聴こうと今朝の再放送を録音設定していたのだが、・・・何と今朝は、放送開始から30分(昨日は1時間30分)で忌まわしいアラームが高鳴った。結局この番組、日本全国のリスナーが最後まで聴けなかったのだから、何らかの救済措置はNHKさんのことだからやってくれるのだろうが、それにしても地震に、火山、まったく予断の許さない状況となってきたのではないか。返す返す、地球は生々流転の生きた星という覚悟が必要であって、あちこちの地殻のひずみから生じる何らかのメカニズムが、国境を越えてマグマを噴出させたり、大きな揺れを引き起こしているのであって、ちっぽけな存在であるオイラタチは、より謙虚にならざるを得ない。

が、報道では9歳の女の子と80代の通学見守隊の男性が、ブロックの下敷きになり命を落としたというが、何とも不条理でその時刻、その場所にいなければなんともなかったのに・・とかわいそうになってきた。(合掌)

(ただし、 この種の不条理は、天災による不条理でなく明らかに人災的様相を見せるだろう。報道映像を見る限りプールのブロック塀が指定通学路の真上にあって、鉄筋による補強が十分でなかった危険きわまる塀だったのではないか。たしか、何年か前の宮城沖地震でも同じように小学生が犠牲となっていて、ブロック塀の問題性が明らかになった。まだ、原因究明がなされないで、軽々とした発言はできないが、明らかに強度不足だったのでは。まさか、安全といわれる小学校の設備がそんなことであってほしくない。)

 

 

 2018年6月16日までの震度4以上の地震

 http://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/index.php

 

 

          

本日夜明けの「空の名残」のスケッチ編集。不気味な朝焼けではないのだったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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空の名残り

2018-06-17 17:03:59 | 日記

 

 

 

 

ここに引っかかっている。石垣市立図書館から、徒然草を読み直そうと改めて角川書店版「徒然草全注釈」(安良岡 康作先生著)上下を借りてきて、枕元で「第二十段」まで読み進めたところ、その内容に引っかかっている。1文のみの非常に短い段なのだ。

オイラが意訳すると、

誰だったか、世捨て人が言った言葉、「ああ、もうこの世からしがらみがなくなって何も思い残すことはないんじゃが・・・ただな、【空〈そら〉の名残〈なごり〉】のみが心残りなんじゃ。」ほんとにそうだよね。

 

なんじゃこら。

この【空〈そら〉の名残〈なごり〉】って、何だ? 評釈も他説あるのだというが、安良岡先生は、読んで字の如し派で「文字通りSKYの意だろう。」と述べられている。あらゆる古典を研究されている権威なのだから間違いはないのだろうが、どうも壮大でしっくりとこない。名残とは、余韻とか思い出とかという意味だろが、SKYの思い出では、抽象的過ぎないだろうか。まあ、世捨て人って仏門に入って毎日暗い堂宇で、難解なお経を紐解いては念仏を唱える生活者だから広い空の下で生活できないのは心残りだなあと思う気持ちは抽象的でもなんでもなく、よく分かるのだが、仏門に入る予定のないオイラにはイマイチしっくりこない。

で、どうだろう。世捨て人を定年後に社会とのしがらみがなくなりつつある現代的世捨て人的オイラ的から立場からこの【空の名残】を【宇宙からいただいた花鳥風月の感動】と言う意味に解することに。


今朝も来てくれました。感動君。

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FINISHERタオル

2018-06-16 13:26:51 | 日記

 この4月15日に開催予定だった石垣島トライアスロンは、大雨のためスタート直前に中止となったが、「あのフィニッシャーズタオルはどうしたのだろう。」と訝しげに思っていた。大会中止のアナウンスのほか、ゴール地点に行けばタオルを配られるという情報が聞こえてこなかったので、そのまま家に帰って、タオルなど、それ程ほしいものではないのだから、それっきり忘れていたが、時折思い出し「あのタオル、まさか来年に配るわけにも行かないだろうに、選手に配ればよかったのになあ、どうして大会事務局は気が利かなかったのだろう、製造業者に回収させて、繊維にしていくばくかの資金を回収したのかな、それとも、大会関係者に一人10枚ぐらい配ってタオルケットにでもさせたのかな。」などへんな疑いを持っていた。

徳之島大会のようにフニィッシャーポロシャツなんかだと、惜しい気持ちにもなるのだが、家には、過去のフニィッシャータオルが有り余っていて、今度の引越しの時どうしようか雑巾にでもしようかなどと失礼な計画を練っているような代物なのだが、もらえないと何かさびしい気持ちにもなっていた。(ちなみに、柔らかくて大きいものだから、枕カバーにしているが、二枚もあれば洗濯して何回も使えるから、これ以上必要ない。)

そうこうしているとき、大会事務局から今頃になって一枚のはがきが届き、タオルは当日ゴール地点で配ったが、全員に配れなかったので、もらえなかった選手はメールで事務局に連絡すれば送付するとの情報が届いた。くれると言うのならもらいましょうと意地汚い本音が表れて、すぐさまメールを昨日午前に打ったら、なんと本日午前もう宅配された。ハヤッ。

大会事務局は、直前の中止でエイドで出す飲食物やバナナなどすでに準備をしており、何の特にもならなかっただろうが、宅配費用やハガキ代まで追加して、もらえなかった選手に届けてくれた。オイラみたいな、よこしまで意地汚い野郎にまで。

(ジーン)

・・・・改悛し、このFINISHERタオル、真の意味でのトライの終わりを告げる記念すべき1枚として残しておこうっと。そうだ、家にある大型タオルは縫い合わせてタオルケットにしよう。色あせるまで使い切って、棺おけに入る時くるんでもらおっと。人生のFINISHERに。




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