かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

ひまわり “SUNWARD” をリフレインしながら・・・・

2023-10-11 19:04:29 | 日記

昨夜は、漫然として、Youtubに映し出されるパレスチナ・ガザ地区の町並みをライブ映像で見ていた。

どちらの方角を映し出している映像なのかさっぱりわからないが、3分から5分の間隔で黒煙と時折火柱があがり、少し遅れて鈍い爆発音めいた音が聞こえた。ライブ映像の奥で、何かモスクの中の禱りのような男のダミ音も微かに聴こえた。

イスラエルのミサイルは何を狙っているというでもなく、ただ無差別にガザの市街地にありったけの砲弾を浴びせ続けているというにしか理解できなかった。何か恐怖で怯えたものが無差別に空に向かって発砲するかのように。

こんな時、また、わが耳奥で、みゆきさんの「ひまわり"SUNWARD”」のシャウトが聴こえてきた。

昨年3月あの熊野古道の山小屋で雑音交じりのNHKラジオから聞こえてきた、みゆきさんが戦争の不条理を歌った歌である。ロシアの理不尽なウクライナへの暴力に、いいようのないかの国の「冷徹」さに悪寒を感じながら冷たい三月の雨音を涙まじりで聴いていたっけ。

どうしてヒトは、隣人同士でかくも残虐な行為に及べるのだろうか。今回のかの国は、隣人同士ではなく長年抑圧され続けた囚人と看守という立場なのか。

宗教や民族の違いやこれまでの紛争の歴史がわからないととうてい理解不能ではあろうが、今回のパレスチナ自治区のハマスの行為とそれに反応するイスラエルの行為は、なんのためらいもない暴力の連鎖の一コマであって、いいようのない「冷徹」というものを感じる。それは、やがて来るAI時代の「冷徹」も前触れなのだろうか。いや、それが有史以前から繰り返されてきたヒトの本来の「冷徹」なのだろうか。

ロシアといい、パレスチナ紛争といい、毎年のように、ただただ、ヒトの世の愚かさを感じながら、まだまだ、この老後を生きて行かねばならぬのか。(辛い)

SUNWARD(形容詞・副詞で”太陽の方向の、に”)

たとえ どんな名前で呼ばれるときでも

花は香り続けるだろう

たとえ どんな名前の人の庭でも

花は香り続けるだろう

 

どこにでも、だれにでも降り注ぐ「太陽の光」、それを「神さま」というのではないか。花たちは、ひまわりたちは、そう言っている。そこには民族も宗教もないよ。

 

今宵、ひまわり”SUNWARD”の入っているみゆきさんの「ここにいるよ」のアルバムを聴きながら、秋の長夜を過ごそう。(瞬きもせず → 泣いてもいいんだよ → 負けんもんね → 時代 →・・ )

 

ぶるぐれさんのYoutubで

 

マリー・クレール・アランのオルガンで  バッハコラールBWD731

 

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好日・佳日・秋日和

2023-10-03 18:03:04 | 日記

2023年10月3日、秋日和。

この日は、野草園に行って三つ、いや四つかな、うれしいことが重なった。

ひとつ、野草園は市内在住の65歳以上のものは入場無料であることが分かった。なんと、これまで年に数回も訪問していたのに気づかなかった。(実は悲しいことに違いないが、これからは道草散歩コースに小銭入らずで加えられたのでめでたいこととしよう。)

ひとつ、旅の途中に立ち寄ったか、二頭以上のアサギマダラさんに出会い、フジバカマにくつろぐ写真と動画を撮影させていただく。これから、南の国へ旅立つのだろう。「しっかりなぁ!」

ひとつ、エゴノキの実に足繁く通うヤマガラさんをしっかりと観察できた。固い有毒の殻に覆われたこの実を、なぜかヤマガラさんは大好きなようだ。今日は、メジロさんには逢えなかった。

ひとつ、帰る途中森の中でいまだ鳴いているツクツクボウシさんを聴く。おそらくわが人生で一番遅い時なのではないだろうか。東北の10月3日である。ちなみに、いまだ金木犀の香は流れてこない。

 

 

こんな晴れた日に、大好きな生き物たちに出会えたので、帰り際コンビニに立ち寄りビールを買った。なんともつつましい人生であろうか。それでよし。

 

おまけに、ムラサキシキブの宝石の実を散りばめよう。いい日だった。

 

 

   

   

 

   

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

    

 

 

 

Youtub動画で

 

 

 

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美しい秋の宝石を求めて歩く

2023-10-02 19:35:07 | 日記

先週野草園をあるいたとき、エゴノキの樹上で小鳥たちのざわめきを感じた。小鳥たちが足繁く枝を飛び回っていた。素早すぎて目視できないので、P950くんのズームのお世話になって確認したら、ヤマガラさんとメジロさんが来ていた。

そういえば、ヤマガラさんは白くまんまるいエゴノキの実を起用に両足で押さえて、クチバシで皮をむいて中の種子をいただくことは知っていたが、その場を写真で記録することはできなかった。

エゴノキの実は大きすぎて、小さなメジロさんには無理だろうと思っていたが、連写で撮れた写真に何やら加えたメジロさんが写っていた。エゴノキの枝にとまっているのだから、木の実の一部だろうか。あるいはヤマガラさんが割いた木の実をちょっこりいただいたのかもしれないが、それはメジロさんに失礼だから、またあの木の所に出かけて観察しよう。

 

10月になって、やっと涼しくなったので、青葉の森を歩いた。この秋は、木の実に重点を置いて森の美しい宝石たちを図鑑にしようか。

まず、美しいムラサキシキブやヤブムラサキの実を求めたが、今日はどの株にも確認できなかった。どうしたんだろう。もう熟して落ちたのか、小鳥たちの食べ物となったのか、少し歩いて様子を見よう。あのエゴノキの枝にも白いまんまるい実は確認できなかった。

わずかに、オトコヨウゾメとアオハダの赤い実、あと同定はできていないがアブラチャンと思われる青い実、熟れてたら木の実を割ってみて油分が含まれているか確認しよう。

晴れたら森を歩く、やっと再開だ。暑かったねこの夏。

 

    

  この時季、ヤマガラさんに会いにエゴノキの樹下にいこう。

 

     

              エゴノキに来ていたメジロさん

      

          メジロさん、何をくわえているの

 

     

        オトコヨウゾメは、誰も食べないのかな

     

 アオハダは、クマが木の実を食べるために木に登るので、「クマノリ」という別名があるとか。

 小さい木の実なのでいっぱい食べないと満足しないだろうが、ブナの実が不作の今年は、もしかしたら樹上のクマさんを観察できるかもしれない。

 

     

          やや色づいたこの木の実はアブラチャンだろうか

 

 

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