言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

学ぶということ

2018年11月09日 | 教育
     

 「学ぶ」ということについての格差を教員現役の頃から感じていました。都会と田舎の格差です。いま、多くの方が思っている‘学力’と言っていいと思います。やはり都会の方が学ぶ場所としては「得」していると思います。都会だと人もモノ多いです、多いというだけで学べることも豊かです。私がよく例に出すのは(あまりいい例えではないのですが)、都会には‘駐輪場’はあるが田舎にはないということです。田舎には‘自転車置き場’はあっても‘駐輪場’はないのです。だから、私のような田舎者が都会に行って(ちゅうりんじょう)という言葉を聞いても意味も分からないし漢字でも書けないと思います。そんな差がたくさんあり過ぎるのです。

 駐輪場ならまだしも文化的施設が田舎には少ないのです。野球場などのスポーツ施設もです。文化的やスポーツイベントに触れたければ時間をかけて出かけていかねばならないのです。ちょっと大きなハンディです。先日出かけた「蒙古襲来絵詞展」も1時間半ほど車で出かけなければなりません。高速代も往復4000円ほどかかります。この展示会で子ども向けのワークショップが計画されています。「自分だけの蒙古襲来絵詞を作ろう!」とありました。小中学生先着20名定員です。たぶん、人吉球磨の子どもたちは誰もいかないでしょう。熊本市周辺の子どもたちだけと予想されます。ほら!また、ここにも格差が!!
 こんなことの積み重ねが中学生、高校生~大人になったときにボディブローのように効いてくるのです。その経験を50年ほど前に私は経験しました。

 ちょっとだけでも足しにならないかと思って、ほとけ展の関連イベントとして‘子ども文化財探検隊’をしようと呼びかけました。希望をとったら2名だけでした。2名ではちょっと?ということで昨日になって中止にしました。せっかく企画したのに!という残念さがありました。でも内容的に2名では意味ないと判断したのです。今日になって2名も手を挙げてくれたのだから、やるべきだったかなとも反省しています。
 今の子どもたちは忙しいのです。しかし、少ない学ぶ機会を逃していたらそれこそ格差は広がるばかりです。自分から進んですることも‘学び’です。大人ももう少し背中を押してやったほうがいいのかもしれません。どうしても消極的な田舎の子どもたちです。‘学力’というのは‘学ぼうとする力’でもあります。がんばれ!田舎の子どもたち!です。負けるな!です。

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