どうしてあるのかはハッキリと分からないのですが、明治から昭和までの古い新聞が資料館に保管されていました。たぶん、ずいぶん前に村誌を作るための資料として(どっかのコンサルさん)に依頼して‘山江’に関する記事を集めたのではないかと思われます。“山江”という「語」があるページがコピーしてあります。
それを綴じて冊子になっているものが保管されていたのです。それをめくりながら見ています。興味深いのは写真のような広告です。記事よりも面白く見ることができました。いまは見れなくなった商品もありますが「仁丹」などは今でも売ってある商品です。この新聞は。(九州新聞)(大正14年2月13日号)です。
この新聞の2月10日号には、「尾崎電気落成式」という記事が載っています。興味ある記事なので全文を。
「球磨郡山江村廣裏十里の大村にして人吉町の東方山岳重壘の間にあり而して大字山田、城内區の如きは人吉町を距ること里餘にして從て電燈の供給も容易なるも同村大字尾崎區並に万江區は供給不可能にして隔世の観あるより先般來同地の有志発起にて尾崎電気私用組合なる会社を組織し山田川の上流に発電所を設置しこれが需用を達成すべく計画中なりしが此程全く竣成せしを以て來る十一日の紀元節を卜し其開通式を挙行すべく準備を整へ居れり」とあります。100年近く前の文章は読みづらいし、漢字もよくわかりません。新聞のコピーなので画数が多い字はつぶれていてよく読めません。したがって少し間違って読んでいるかもしれません。
しかし、このことは確かなことで、なぜかしら山江は山田も万江も奥地から電気点灯しているのです。面白い記事を見つけました。コピーしてあって字が小さいので自分の目には悪い作業です。
今日は一日中雨が降って家の中での“歴史探偵ごっこ”でした。明日は外に出ます。
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