5月1日 晴後曇
コースタイム
大崩山荘8:40→瀬戸口谷出合10:00→12:10お姫山12:45→1:00五葉岳1:15→鹿納山14:30→石塚16:45→大崩山荘19:20
今日のコースは今回の計画では一番長いコースになる。何かあればビバークするつもりで食料も多めに準備し山荘を出発した(瀬戸口谷までの記録は省略)。瀬戸口谷は他の沢に比べると傾斜も緩く、水量も少ない静かな沢だった。途中、黒滝と言われる滝が1ヶ所のみだった。その滝も5mぐらいでなんなく登れる。水の少ない沢だけに巻き道もほとんどなく、ケルン伝いに登っていくと沢が段々と広くなり、庭園を思わせるような緑のじゅーたんが美しい。そこで一息し時計を見ると12時近くになっていた。まだ今日の行程の3分の1ぐらいで、これから先の距離が歩けるか不安がよぎるが、日程的には余裕があるためそのまま歩くことにした。更に上流に詰めると尾根筋に至るルートらしきものにケルンがあり、これに従い登ることにした。このあたりになると沢が開け、広くなっているのでどこがルートなのか分かりにくい。登るとルートも消失し、モーレツなスズタケのヤブになっている。いまさら引き返すわけにはいかない。尾根を目指し、尾根づたいにいけばお姫か五葉のピークに立てると思い、ヤブこぎを続けていると尾根筋に出る。だがうっそうと茂る原始林の中で見通しは利かないが西の方に進路を取りヤブこぎすると岩場の下にきた。その時アケボノツツジが群生していたのでピークも近いと思い岩場を登り切ると、はたしてそこがお姫山のピークだった。
北の方に五葉岳が見えるので間違いない。お姫で朝作ったおにぎりとみかんの缶詰を流し込み、五葉岳に向かう。五葉岳に着き、一息入れていると傾山かた来た縦走パーティ2名と出会う。今朝より初めて人と話し寂しさを紛らわす。そうゆっくりとしておれずお姫に引き返し鹿納山に向かう。しばらく起伏の少ない尾根筋を歩くと鋭い岩峰を見せる鹿納山が現れてくる。このあたりから雲の動きが活発になりガスがかかってきたが、天気予報と風向きから判断すると大きくは崩れないだろうが、ビバークは避けたいのでコースの検討をする。今日の予定は鹿納山を経て権七小屋谷→三里河原の予定だったが、沢歩きは時間がかかり、午前中も沢を歩いている。沢歩きもやや嫌気もさしているので、鹿納山より石塚までの尾根ルートに変更した。鹿納山の特徴である3つのピークを過ぎると石塚へと急いだが、このルートが今回歩いたなかで一番労苦を強いられた。何しろ道と言ってもけもの道と同じであり、幅は肩幅小、高さは胸の高さであとは2mぐらいのスズ竹がすきまのないように茂っている。大崩山群は高度はあまりないものの奥深く入ると沢、ヤブこぎの連続となるので初心者には難しい。ジャイアント馬場みたいに大きいか、身長1mぐらいであればいいのだが、丁度スズ竹が顔の位置に来るので最初はこぎながら進んだ。その内に腕がだるくなり、背を丸くして歩いた。おまけに所々大木が倒れており、ルートを寸断しているので、迷いそうになったことも2、3度、こんな深い山で方向を失うと命取りになる。ほとんど休まず、自身にむちうつような気持で進み、石塚まで着くと良く歩いたものだなと自分ながら感心したほどだった。石塚でピンチ食を除いて残った食料を全部口に放り込む。湧塚を過ぎるとあたりが暗くなり、ヘッドランプの明かりを頼りに重い足取りで山荘へと急いだ。
5月2日 天候 晴
コースタイム
山荘9:00→喜平越谷出合10:00→鞍部11:00→喜平越谷出合12:00→山荘12:00
今日は喜平越谷から観音滝まで往復するつもりだったが、あまり変化のない(ほとんど巻き道)喜平越谷を詰め、尾根に入ると昨日と同じようなスズ竹のヤブであり、道も迷路みたいになっていた。観音滝はあきらめて引き返し、昼過ぎより昼寝をすることにした。
16時に起きてツエルトを撤収していると、夕食の準備をしていたHHCのT、Y両氏に出会う。今朝山荘下のテン場に着き、それから今まで昼寝をしていたらしい。私も山荘にもう一泊することにし、夕食を共にして、両氏の計画コースの情報を伝えることにした。登山者の少ない山で仲間に会えるなんて嬉しいね。山談義に話が弾んだ。
翌日、ゆっくりとした後下山し、山口へと車を走らせた。
・・・当時軽自動車を持つのが精一杯だったので360ccの車で往復しました。当然高速道はなかった。遠かったなぁ!これにて大崩山彷徨記3部作は完結です。
大崩山は2003年、2004年、当時行けなかった観音滝へは藤河内渓谷から入り行くことが出来た。
大崩山は当時も岩峰と沢のきれいな山だったが、今でもその魅力は失われていない。五葉岳やお姫山、鹿納山は今では登りやすくなった。だが鹿納山から石塚までの尾根歩きは今でもヤブ漕ぎとガイドマップに記してある。
最近では山中で米を炊くようなことは無くなったが、記録にもあるように朝晩米を炊き、お昼のおにぎりなども自分で作っていた。また生卵なども数個持参し、ゆで卵や卵料理にしていたことを思い出した。コッフェルで米を炊くことなどは朝飯前?だったが今では水や火加減など忘れてしまい当時のようにうまく炊ける自信はない。