まだ若く、経験や技術の未熟な頃の敗退の記録です。ルート図の黄点線は現在歩行が禁止されています。また青点線はルートを間違って歩いたものです。決して真似はされないようにして下さい。
197?年3月9日
8:00→12:00→15:00→18:00
天候 曇り 晴 曇 雨
気温 -5℃ -10℃ -5℃ 3℃
コースタイム
大山寺8:20→11:00大山山頂12:30→ユートピア14:00→阿弥陀滝15:50→川床小屋18:00→大山寺19:30
バスが大山寺に着くと休憩も取らずに夏道コースより登り始める。七合目付近より上はガスがかかり見えないが、必ず山は笑ってくれると信じてゆっくりと高度を稼ぐ。6合目までは積雪が2~3mあったが踏み跡がしっかりしているのでアイゼン無しで登った。6合目からは雪が凍っており、時折突風が吹き危険なため元谷側の足場の良い所でアイゼン、スパッツ、オーバーズボンを着け、頂上に向う。
八合目よりガスと強風にあおられ進路を阻まれるがルート確認の赤布が竹に付けてあるので心強く、慎重に進む。さらに歩くと大山山頂小屋の煙突が2本見え片方の煙突から小屋の中に入ると外部がほとんど雪に覆われているため非常に温かい。まずコーヒーを飲んで休んでいると、3~4パーティ(10名程度)いた中の一人が「あなた」を口ずさむ。冬山にアタックする山やの中にもこんな余裕がある人がいると思うと一瞬心がなごむ。
十分な食事と休憩を取った後、今日の目的である縦走が可能かどうか様子を見る。今シーズン中に積雪季大山縦走を胸に秘めていただけに祈るような気持で空を見上げていた。その時点ではとても縦走出来るような状態ではなく他のパーティは下山の準備をしていた。しばらく待機していると少しづつガスが切れ、風も弱くなってきたので、2パーティが完全装備で縦走に出発した。
最初はやり過ごすつもりだったが、M氏とのお互いの冒険心が燃えてきて話し合った結果、風は強いがバランスに注意をすれば飛ばされることもないという判断で縦走を決定した。その時はやるぞ!という気持ちが強く不思議と恐怖心はなかった。縦走を開始した直後に突風が吹いたが慎重に進むことにする。バランスやアイゼンの爪にも注意する。今回ザイルは準備していないので転落すると命取りにもなりかねない。特に剣ヶ峰までは難所で気が抜けない。父から譲り受けたピッケルがバランス保持に役立ち、父が危険から守ってくれると思うと心の支えにもなった。
雪屁が神秘的な美しさで連なっていたが十分に堪能する余裕もなく、剣ヶ峰を過ぎた足場の良い所でカメラに収める。天狗ヶ峰を過ぎ象ヶ鼻に着くとガスも完全に晴れ、北壁全体が浮き上がってきて、かって味わったことのない込み上げ、M氏と手を取り合い喜びあった。早速北壁をバックに写真を撮る。お互い笑みをたたえて・・・。
意気揚々としてユートピア小屋に着くとM氏は名作を取るべく次々にシャッターを切る。目を三鈷峰に転じてみると南斜面を利用し、2~3人のパーティが雪上訓練をしており、私達も訓練を重点とした山行を組まなければと反省した。
ユートピアで小休止の後、宝珠尾根~大山寺のルートを下る予定だった。ユートピアから剣谷に下った時、上宝珠へのトラバースは予想したより急峻であり、また雪崩の恐怖心で一刻も早くこの斜面より脱出しなければと思った。気がついてみると本能的にシリセードで剣谷を一気に下降していた。急斜面からの脱出は成功したかに見えたが、この判断は致命的なミスだった。宝珠尾根へのエスケープルートは鋭い谷により断ち切られ、長い剣谷の谷筋を下降する以外にルートは取れなかった。
途中生々しい雪崩の跡が5~6ヶ所あり、醜い爪痕を残し、縦走の喜びもつかの間、落胆の色は隠せない。両側の斜面は庇が入っており風の音にもピリピリしていた。雪崩の恐怖から逃げるように下降を続けたが軟質の雪のため思うように足が進まず焦燥感は募るばかりだった。ワカンの装着も考えたが急斜面のため無理だった。
阿弥陀滝上部まで出た時は前後不覚で前進も後退も出来ないと思われた。しかし冷静になろうと自分に言い聞かせ、辺りを見渡すと左岸の小尾根が急峻ではあるが巻けそうだ。ピッケルでしっかり確保し、アイゼンで慎重に足場を切り、巻いて下降した。さすがにこの雪壁は時間もかかり体力も消耗した。
さらに下降を続けると谷の底に雪解けの水が流れており、転落に注意しながら右岸、左岸と渡渉を繰り返す。沢の下降には相当時間を費やしており、また尾根の斜面もこのあたりでは登れそうだった。現在地の確認と見通しをつけるために尾根に登ると右手手前に川床小屋が確認出来た。その川床小屋を目指して進む時は日も暮れかけていたが、やっと脱出したという安堵感で一杯だった。
また、大山寺まで3.2kmという道標を見つけると先ほどまでのスタミナを消耗した体にも幾分元気が出たようだ。小屋の中で軽食を取り、雨具を付けて小雨と暗闇の中を大山寺へと向う。製材所跡を過ぎるとロッジ大山の明りを頼りに最後の力を振り絞って進む。ロッジ大山で小休止し、コーラを飲んでいると私達の状況を察して、従業員のSさんよりカレーと日本酒でもてなしを受ける。後で代金を払おうとすると無事に帰れて良かったと言われ受け取られなかった。過分な処遇に対してお礼の言葉も見つからなかったが精一杯の態度で感謝の意を表した。
Sさんは剣谷は夏場は近寄れず、雪があったから通れたと言われた。私達も技術や経験の未熟さを恥じた。Sさんに今後はもっと訓練もして山に入ることを約束し、名刺も交換してロッジ大山を後にした。
大山寺に着くと最終バスはすでに出ており、大山口よりタクシーを呼ぶ。大山寺よりタクシーで米子駅に向かう時体は濡れて冷たかったが、胸中は今日の感動が去来し、自然と雪山賛歌の一節を口ずさんでいた。
「山よさよなら ごきげんよろしゅ また来る時には笑っておくれ・・・・」
後日談・・・ロッジ大山に着く直前は20~30mぐらい歩いては倒れこむといった疲労困ぱいだったように記憶している。また、阿弥陀滝においては過去遭難者も出ている。今考えるとぞっとする記録です。こんな経験も重ねながら性懲りもなく山にのめり込んでいったようです。無理はいけません。ご安全に!