川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

湾岸生活(2)

2008-04-23 18:00:29 | 父・家族・自分
20日(日)
 副作用出始める。緩やかな症状で苦痛はないが一日中横臥。妻と夕食。

21日(月)
 午後、若い娘さんが現れたので誰だろうかと少しとまどった。よく見れば顔色のよい順子(すんじゃ)。高一で出会って31年が過ぎたという。夏の日にサンダル履きで錦糸町の家庭訪問をしたのがありありと思い出される。
 ある時から僕は父のいないこの人のパパということになった。病気入院中のお母さんには申し訳ないことだが、僕もいいよということで可成りの年月が経つ。ただ存在するだけで、親らしいことは何もしてやれないが大切な娘である。苦労の続く人生をへこたれることなく生き抜いている。近頃は築地でも働いていて、様子を見に来てくれた。
 5月17日には僕には孫に当たる美順(みすん)の結婚式。既にひ孫も生まれている。みんなの喜びの日に僕も存在する喜びをわかちあいたい。


22日(火)
 勝義さん。久しぶりに元気な顔を見せていただいた。喉の手術も成功し、昔の声が蘇った。生まれと育ちは違うが、僕とほとんど同じ途を歩いてきた。今は週4日、工業高校で日本語を教える。今日は朝から3時間授業をしてこられた。インド、中国、フィリピンから来た生徒達。朝早くから出かけて、相変わらず、職人的完璧を期す授業を行っているのであろう。定年で解放感に浸って、遊んでばかりいた僕とは大違いである。
 お見舞いに大相撲48手を描いた手ぬぐいをいただいた。僕は相撲は好きだが、こどもの時からまわしを締めたことはなく、技もよくは解らないままに、実況のまねごとをしたりする。小学校の時、朝の教室で治雄君がよく相撲を教えてくれた。土俵に上がる機会が一度もなかったことは今となっては残念な気がする。八代という町で子どもたちが大人の指導を受けながら、土俵に上がる風景を見たことがある。いいなーと思って立ち去れなかった。小学生が相撲を取れる環境を整えたらどうだろうか。なにか、大切なものが得られるような気がする。妻と夕食。食欲なし。

23日(水)
 同室のHさんは僕と同じ治療。一日先行。もうスッカリげんき。僕はまだすっきりとは行かない。一日横臥。でも、夕方になってパソコンに向かう元気が出た。