昨日は好天に恵まれたので、自転車でこども動物自然公園までいって遊んできました。キリンのいるひろばの観察舎でキリンと一緒に昼食をした風景を想像できるでしょうか。目の前で草をはむキリンと対面してコンビニで買ったそばを30分懸けて食べました。ぼくの頭上2・3mであのキリンがぼくの方を向いてゆっくりゆっくり草をはむのですよ。
http://blog.ecity.ne.jp/kodomozoo/blog/detail/33669.html
往復4時間、動物公園3時間。帰りはもうくたくたになってあちこちで休み休み自転車を漕ぎました。でも、心地よく一日が過ぎていきました。
元さんの書かれた貴重な文章をもう一つ紹介します。ぼくはこういう文章を書くことができる青年と出会えたことをほんとうに誇りに思います。冷静で、優しさに満ちた在日コリアン3世です。教育とはどういう営みでなければならないのか、誰もが静に自らに問うべきです。
今日はぼくも「声明」案を書かねばなりません。その馬力がでてくるのかなあ。
ある在日の告白(3)
元 智慧 (『木苺』123号 05年7月)
民族学校の教師
日本の学校であろうと、民族学校であろうと、人は青春時代に様々な教師に巡り合うものである。また、どの様な教師に巡り合うかで、人生が少なからず左右される場合も大いにあり得ると言っても過言ではない。特に、中学や高校では進路の問題が切実な問題となり、その際、教師が果たす役割は非常に大きい。
私も例に洩れず、この時期は大いに悩み、苦しんだ。しかし、そこは民族学校。様々な弊害や試練が待ち受けていた。
さて、民族学校では、私の様に小中高と一貫して進む者もいれば、途中で日本の学校に転入する者も少なからず存在した。理由としては、やはり進路の問題が最も多く、特に日本の学歴社会のレールに乗るためには、出来るだけ早い内より方向転換した方が良いのは、火を見るよりも明らかである。
この頃に自らの進むべき道が明白であるならば、ある意味においていずれの学校を選択しても良い様なものであるが、しかし大多数の生徒は中学の時、それ程真剣に進路問題を捉えている訳ではない。従って、特に問題意識を持たぬまま、歳月だけが過ぎ去っていく。
しかし、日本の学校に転入する場合、事はそう簡単な事ではないのである。現在の事情は、多少変わっているであろうが、当時は幾多の障害を乗り越えなければならなかったのである。
その障害とは、一つに教師の妨害がある。何しろ、表向きには日本の国民と手を取って、共存すべしなどと豪語しているものの、実際の教育では、日本は敵国であり、日本国民は忌むべき存在であると説いているのである。
教師というよりも学校全体が、生徒が日本学校へ流れ込む事を阻んでいるのである。様々な形でそれは表れるが、例えば親が総連などの組織にいる場合、推薦入試の際の推薦状を書いてもらえないなどである。
民族学校では、高校進学の際、生徒から進路相談を受ける事はない。生徒たちは、ごく当たり前にそのまま民族高校に進むものであると普段より刷り込まれており、全体主義の中では、個人の進路や将来などどうでも良い事なのである。
最も問題ある事の一つに、教師自身が一度も日本の社会に出ず、民族系の大学を経て教壇に立つ事が何とも嘆かわしいのである。(そういった意味では、日本学校の教師の中にも同じ様な場合もあるが…。上記の理由により、民族学校の場合は教員免許を取得する事なく、教壇に立っている。)
従って、もし仮に生徒から進路について相談を受けたとしても、それに対応しうる能力を持ち合わせていないのが実状である。自らの世界の全てが、北朝鮮であり、総連である人に、これから日本の社会、さらには世界にはばたこうとする生徒に対する人材育成の心持は、そもそも微塵もないのである。
彼らにとって人材育成とは、組織の中でのそれであり、またそういった事は、国や組織に仕える者こそ、優れた人材なのである。そこに、個人の夢や希望、能力などはもはやどうでも良い代物なのである。
今でもある教師の言ったセリフが忘れられない。「民族教育において、人材育成とは総連の幹部を育てる事である。クラスの中に、そういう者がある一定の割合で存在し、その他の者はもはや学校とは関係がない。」
また、校内暴力に関して言えば、日本の学校ならば暴力を振るった教師は当然処分を受けるであろうし、ニュースに流れ、問題になるであろう。しかし、民族学校では、生徒に対する暴力は日常茶飯事であったし、ほとんど表沙汰になる事なく、繰り返されていた。
教育とは、人として正しい道を歩むためのもの。その教育の場での、この様な人間を人間として大切に扱わない教師と学校。それは、紛れもなく北朝鮮や総連の戦略なのである。
総連が掲げている標語、「一人は全体のために、全体は一人のために」というものがある。あの独裁国家を民主主義と謳っている愚かなる体制同様、この様な有名無実な標語は、上記の様に現実と余りにもかけ離れている。やはり、人生とは全ての局面において、自らの意思によって判断・選択し、決定する。これこそ、真の民主主義、そして自由ではなかろうか。
民族学校の教師とは、この様に生徒一人ひとりの人生をないがしろにする人が多い。人の人生がどうでも良いという事は、言ってみれば自らの人生もそれ程大切に考えていないのである。個人の人生よりも、国家や組織を優先する学校を学校と呼べるであろうか。
私がいつも考える事は、まず人間が大切であるという事。それ以上でも以下でもない。また、人間が生きるという事は一体どういう事なのかを教えない教師も、到底教師とは言えないのではなかろうか。
非公然組織「学習組」
拉致問題発覚以降、民族学校から消えたとされるものがある。現状は分からないが、当時高級学校(日本の高校に当たるもの)に入学すると、学校側よりあるものに“勧誘”される者が少なからずいた。
私もその一人なのであるが、ある放課後、担任に呼ばれ、こう切り出された。
「君、学習組に入る気はないかね?」
「学習組?」
「そうだ。名誉ある盟員になれば、祖国のために貢献する事が出来る。」
「はぁ。で、そこではどの様な『学習』をするのですか?」
「金日成主席の教えについて、さらに深く学び、祖国に命を捧げるために、身も心も鍛錬に鍛錬を重ねるのだ。どうかね?」
「…。折角のお誘いですが、お断り致します。純粋な教養の為の学習ならともかく、その様な活動に身を投ずる事には、興味がありませんので。」
「(やや怒った表情で)そうか、分かった。仕方がない。しかし、今日のこの事はくれぐれも口外しない様に。最高機密の一つなのだから。何も聞かなかった事にしておいてくれ。」
「学習組」とは、北朝鮮と朝鮮労働党に絶対の忠誠を誓う北朝鮮直轄の「革命組織」で、 在日朝鮮人系の朝銀信用組合に強い影響力を行使してきたとされる、メンバー約2,000人(当時)から成る、非公然組織である。
通常、日本の社会、特に会社や学校においては、一切の政治・宗教活動は禁じられている筈である。それは、過去の戦争に対する猛省に拠る所が大きいと思われるが、集団がある特定の思想に染まった時の恐ろしさは、計り知れないものがある事を知っているからであり、当時の日本の軍国主義を始め、ナチズムやスターリン主義はその最たる例である。
しかし、ここへ来て、また新たな動きがある様である。総連が、解散していた「学習組」の復活・再編を進めているという情報が流れた。総連の資金調達や組織の強化・引き締めなどの他、拉致事件や核開発問題で、日朝間の正規ルートによる交渉の行き詰まりを受け、対日工作を強化する狙いがあるそうである。その翌年には、ミサイル開発に使用可能な機械をイランへ輸出したとして、 警視庁が摘発した都内の工学機器製造会社による不正事件にも関与した他、対韓国工作も担当していた事が明らかになっている。
また、公安当局によると、「学習組」は日朝首脳会談直前、つまり拉致問題発覚直前に、金正日の指令で解散したとされている。総連の中でも、秘密工作機関として公安当局にマークされていた学習組解散の背景には、北朝鮮の「民主化イメージ」を打ち出す戦術があったとも言われている。
「学習組」は、校内においても「最高機密」という扱いであった。従って、その活動も秘密裏に行われ、その様子は茶番そのものであったが、盟員の各々は何ら疑いを持つ事なく、活動していく事となる。金日成思想を唯一の思想として。
高校時代などは、年齢を重ねたとは言え、まだまだ自らの人生観の確立には至っていない場合がほとんどであろう。また、在日社会は、マイノリティーであり、かなり閉鎖的な社会である。ある意味、その「温室」で育った現在の三世や四世の大部分は、ある年齢に達するまで、外界を知らずに育つ。現在、民族学校の教壇に立つ者などが、良い例であろう。民族系の大学を出るまでの16年をその中でのみ過ごし、日本のこの厳しい社会を全く知らずに来た未熟者に、次の世代を担う子どもに、一体何を伝える事が出来るであろうか。
終戦から、60年が過ぎようとしている現在でも、世界各地では紛争が絶えない。米ソの冷戦はとうの昔に終焉を迎えたが、宗教が絡んだテロリズムという新たな脅威が出現している。
在日の子どもたちが、自らが背負った歴史的背景を知る事は確かに切実な問題である。しかし、世界はこの在日社会、さらには北朝鮮が中心で動いているのではない。複雑な世界情勢を常にグローバルな視点を持って見つめ、その中で自分たちはどの様に生きるべきなのか。
この様に、民族教育の問題点の一つは、常に在日や北朝鮮社会を中心にしか見ないという点である。それでは、いくら言語教育や歴史教育を施した所で、何の意味も持たない無益なもので終わってしまう。
緊迫した世界情勢が刻々と変化する中で、この様なシステムが崩壊する日は、そう遠くない。
北朝鮮、万景峰号、そして朝鮮総連
朝鮮総連の傘下にあるのは、何も朝鮮学校などの教育機関だけではない。その中には、金融機関、出版社、保険会社、さらには歌劇団や歌舞団にまで及ぶ。
数年前、公的資金投入や破綻などで話題となった朝銀の全国組織「在日本朝鮮信用組合協会(朝信協)」は、民族系の金融機関である。因みに民族系の金融機関とは、在日朝鮮人・韓国人たちから預金を集め、在日系企業や市民への融資を行っている金融機関を指す。また、「朝銀」という名前が付いたものが北朝鮮(総連)系で、韓国(民団)系には「商銀」という名が付いている。
当局直属の機関であり、全国各地の朝銀は総連に人事権を握られた機関であった。この朝銀の存在こそが、総連、さらには金政権をも支えていたと言っても過言ではあるまい。何故ならば、朝銀は莫大な預金をせっせと本国へ送金しており、それがミサイル開発や核開発の温床となっている可能性、何よりも、民族を破滅へと向かわせる金一族にとっての資金源ともなっている可能性がある事はほぼ間違いないと見られている。多くの国民が餓死していく中で、彼らだけが私腹を肥やしているのである。
送金ルートは、大方次の通りである。現金の場合は船で北朝鮮まで運ぶのが一般的、日本へ寄港する北朝鮮の万景峰号で、北朝鮮への親族訪問などで乗船する人の手荷物に、数千万円ずつ入れ運ばせて無事持ち出す事が出来る。また、日本各地の海岸に接岸する北朝鮮の密入工作船に運び込み、持ち帰るというルートもある。
万景峰号には、私も数回乗船した事があるが、友人の中には決して少なくない額を親や親族から預かり、本国に持ち込むケースが多く見られた。因みに、私が持ち込んだ物資は、ほぼ全て当局に没収されたのであるが…。
帰国運動により北へ渡った者を持つ在日の多くには、現在でも北朝鮮へと送金している者が少なくない。本国の紙幣などは紙屑同然であるし、北朝鮮では外貨(主にドルや円)しか流通が出来なくなっている状態である。送金された金銭が、当局へと没収されるのはまず間違いなく、また物資なども、一部の特権階級の中で横流しされているのが実状である。
この様な、北朝鮮への送金システムの歴史は古くに遡る。それにより、総連の一部のトップたち、北朝鮮特権階層の資金となり、総連の故・韓徳銖議長ら一族も、本国での贅を尽くした生活ぶりが時折伝わって来た事を思い出す。
しかし、何と言っても先に述べた在日朝鮮人の帰国運動が何よりの原点である。帰国した10万近い者の多くは日本に親族を残して海を渡った。金日成の狙いの一つは、彼らを“人質”に取り、多くの在日から莫大な金をむしり取る事であった。
日本においての著しい差別に耐え切れず、藁をも掴む思いで海を渡り、そこに待ち受けていたものは、日本のそれより遥かに厳しい差別と貧しい生活であった。何一つ自由はなく、反抗した者は即刻、収容所へと送られる。生き長らえた者は人質として利用され、また、日本に残った在日も北朝鮮により翻弄された者は後を絶たない。全財産を没収され、無一文になった者も大勢いる。
新潟発の船には、現在でも親族訪問の為に乗る人が多数存在する。何を思い、決して安くない代金を支払い、繰り返し訪問するのか。私には、到底理解出来ない事である。はっきり言って全くの無意味である。
しかも、親族訪問の際の面会日時や場所などは、全て当局によって決められ、徹底的に監視が付く。焼け石に水とは、まさにこの事。あの政権を打倒しない限り、あの国への金や物の流れは一切断ち切るべきである。さらに、総連支部や分会など小規模集会での募金、朝銀の預金、そして民族学校の教職員の給料や生徒の学費など、何かしらの形でこれら全てのものから北朝鮮へ送られる資金が集められる。
有史以来、一体どこに自らの国民を人質に取り、海外の同胞から金を奪い、軍事最優先の独裁政権を維持する為に使った政権があっただろうか。歴史上、最も非人道的で、自国民を微塵も愛さず、有名無実な社会主義体制を維持する愚かな国家が、現在まで地球上に存在し得ている事は、これはもはやこの国だけの問題ではなく、地球の恥である。
個人的には、総連は日本の中にある第二の北朝鮮であると思っている。いや、見方を変えれば総連なくしては北朝鮮の現在までの存続はあり得なかった様に思う。空前絶後の愚かなる体制は、チャウシェスク政権の様に民衆によって打倒されるべきであり、それを支え続けた総連の大罪は、もはや拭い様がない。
http://blog.ecity.ne.jp/kodomozoo/blog/detail/33669.html
往復4時間、動物公園3時間。帰りはもうくたくたになってあちこちで休み休み自転車を漕ぎました。でも、心地よく一日が過ぎていきました。
元さんの書かれた貴重な文章をもう一つ紹介します。ぼくはこういう文章を書くことができる青年と出会えたことをほんとうに誇りに思います。冷静で、優しさに満ちた在日コリアン3世です。教育とはどういう営みでなければならないのか、誰もが静に自らに問うべきです。
今日はぼくも「声明」案を書かねばなりません。その馬力がでてくるのかなあ。
ある在日の告白(3)
元 智慧 (『木苺』123号 05年7月)
民族学校の教師
日本の学校であろうと、民族学校であろうと、人は青春時代に様々な教師に巡り合うものである。また、どの様な教師に巡り合うかで、人生が少なからず左右される場合も大いにあり得ると言っても過言ではない。特に、中学や高校では進路の問題が切実な問題となり、その際、教師が果たす役割は非常に大きい。
私も例に洩れず、この時期は大いに悩み、苦しんだ。しかし、そこは民族学校。様々な弊害や試練が待ち受けていた。
さて、民族学校では、私の様に小中高と一貫して進む者もいれば、途中で日本の学校に転入する者も少なからず存在した。理由としては、やはり進路の問題が最も多く、特に日本の学歴社会のレールに乗るためには、出来るだけ早い内より方向転換した方が良いのは、火を見るよりも明らかである。
この頃に自らの進むべき道が明白であるならば、ある意味においていずれの学校を選択しても良い様なものであるが、しかし大多数の生徒は中学の時、それ程真剣に進路問題を捉えている訳ではない。従って、特に問題意識を持たぬまま、歳月だけが過ぎ去っていく。
しかし、日本の学校に転入する場合、事はそう簡単な事ではないのである。現在の事情は、多少変わっているであろうが、当時は幾多の障害を乗り越えなければならなかったのである。
その障害とは、一つに教師の妨害がある。何しろ、表向きには日本の国民と手を取って、共存すべしなどと豪語しているものの、実際の教育では、日本は敵国であり、日本国民は忌むべき存在であると説いているのである。
教師というよりも学校全体が、生徒が日本学校へ流れ込む事を阻んでいるのである。様々な形でそれは表れるが、例えば親が総連などの組織にいる場合、推薦入試の際の推薦状を書いてもらえないなどである。
民族学校では、高校進学の際、生徒から進路相談を受ける事はない。生徒たちは、ごく当たり前にそのまま民族高校に進むものであると普段より刷り込まれており、全体主義の中では、個人の進路や将来などどうでも良い事なのである。
最も問題ある事の一つに、教師自身が一度も日本の社会に出ず、民族系の大学を経て教壇に立つ事が何とも嘆かわしいのである。(そういった意味では、日本学校の教師の中にも同じ様な場合もあるが…。上記の理由により、民族学校の場合は教員免許を取得する事なく、教壇に立っている。)
従って、もし仮に生徒から進路について相談を受けたとしても、それに対応しうる能力を持ち合わせていないのが実状である。自らの世界の全てが、北朝鮮であり、総連である人に、これから日本の社会、さらには世界にはばたこうとする生徒に対する人材育成の心持は、そもそも微塵もないのである。
彼らにとって人材育成とは、組織の中でのそれであり、またそういった事は、国や組織に仕える者こそ、優れた人材なのである。そこに、個人の夢や希望、能力などはもはやどうでも良い代物なのである。
今でもある教師の言ったセリフが忘れられない。「民族教育において、人材育成とは総連の幹部を育てる事である。クラスの中に、そういう者がある一定の割合で存在し、その他の者はもはや学校とは関係がない。」
また、校内暴力に関して言えば、日本の学校ならば暴力を振るった教師は当然処分を受けるであろうし、ニュースに流れ、問題になるであろう。しかし、民族学校では、生徒に対する暴力は日常茶飯事であったし、ほとんど表沙汰になる事なく、繰り返されていた。
教育とは、人として正しい道を歩むためのもの。その教育の場での、この様な人間を人間として大切に扱わない教師と学校。それは、紛れもなく北朝鮮や総連の戦略なのである。
総連が掲げている標語、「一人は全体のために、全体は一人のために」というものがある。あの独裁国家を民主主義と謳っている愚かなる体制同様、この様な有名無実な標語は、上記の様に現実と余りにもかけ離れている。やはり、人生とは全ての局面において、自らの意思によって判断・選択し、決定する。これこそ、真の民主主義、そして自由ではなかろうか。
民族学校の教師とは、この様に生徒一人ひとりの人生をないがしろにする人が多い。人の人生がどうでも良いという事は、言ってみれば自らの人生もそれ程大切に考えていないのである。個人の人生よりも、国家や組織を優先する学校を学校と呼べるであろうか。
私がいつも考える事は、まず人間が大切であるという事。それ以上でも以下でもない。また、人間が生きるという事は一体どういう事なのかを教えない教師も、到底教師とは言えないのではなかろうか。
非公然組織「学習組」
拉致問題発覚以降、民族学校から消えたとされるものがある。現状は分からないが、当時高級学校(日本の高校に当たるもの)に入学すると、学校側よりあるものに“勧誘”される者が少なからずいた。
私もその一人なのであるが、ある放課後、担任に呼ばれ、こう切り出された。
「君、学習組に入る気はないかね?」
「学習組?」
「そうだ。名誉ある盟員になれば、祖国のために貢献する事が出来る。」
「はぁ。で、そこではどの様な『学習』をするのですか?」
「金日成主席の教えについて、さらに深く学び、祖国に命を捧げるために、身も心も鍛錬に鍛錬を重ねるのだ。どうかね?」
「…。折角のお誘いですが、お断り致します。純粋な教養の為の学習ならともかく、その様な活動に身を投ずる事には、興味がありませんので。」
「(やや怒った表情で)そうか、分かった。仕方がない。しかし、今日のこの事はくれぐれも口外しない様に。最高機密の一つなのだから。何も聞かなかった事にしておいてくれ。」
「学習組」とは、北朝鮮と朝鮮労働党に絶対の忠誠を誓う北朝鮮直轄の「革命組織」で、 在日朝鮮人系の朝銀信用組合に強い影響力を行使してきたとされる、メンバー約2,000人(当時)から成る、非公然組織である。
通常、日本の社会、特に会社や学校においては、一切の政治・宗教活動は禁じられている筈である。それは、過去の戦争に対する猛省に拠る所が大きいと思われるが、集団がある特定の思想に染まった時の恐ろしさは、計り知れないものがある事を知っているからであり、当時の日本の軍国主義を始め、ナチズムやスターリン主義はその最たる例である。
しかし、ここへ来て、また新たな動きがある様である。総連が、解散していた「学習組」の復活・再編を進めているという情報が流れた。総連の資金調達や組織の強化・引き締めなどの他、拉致事件や核開発問題で、日朝間の正規ルートによる交渉の行き詰まりを受け、対日工作を強化する狙いがあるそうである。その翌年には、ミサイル開発に使用可能な機械をイランへ輸出したとして、 警視庁が摘発した都内の工学機器製造会社による不正事件にも関与した他、対韓国工作も担当していた事が明らかになっている。
また、公安当局によると、「学習組」は日朝首脳会談直前、つまり拉致問題発覚直前に、金正日の指令で解散したとされている。総連の中でも、秘密工作機関として公安当局にマークされていた学習組解散の背景には、北朝鮮の「民主化イメージ」を打ち出す戦術があったとも言われている。
「学習組」は、校内においても「最高機密」という扱いであった。従って、その活動も秘密裏に行われ、その様子は茶番そのものであったが、盟員の各々は何ら疑いを持つ事なく、活動していく事となる。金日成思想を唯一の思想として。
高校時代などは、年齢を重ねたとは言え、まだまだ自らの人生観の確立には至っていない場合がほとんどであろう。また、在日社会は、マイノリティーであり、かなり閉鎖的な社会である。ある意味、その「温室」で育った現在の三世や四世の大部分は、ある年齢に達するまで、外界を知らずに育つ。現在、民族学校の教壇に立つ者などが、良い例であろう。民族系の大学を出るまでの16年をその中でのみ過ごし、日本のこの厳しい社会を全く知らずに来た未熟者に、次の世代を担う子どもに、一体何を伝える事が出来るであろうか。
終戦から、60年が過ぎようとしている現在でも、世界各地では紛争が絶えない。米ソの冷戦はとうの昔に終焉を迎えたが、宗教が絡んだテロリズムという新たな脅威が出現している。
在日の子どもたちが、自らが背負った歴史的背景を知る事は確かに切実な問題である。しかし、世界はこの在日社会、さらには北朝鮮が中心で動いているのではない。複雑な世界情勢を常にグローバルな視点を持って見つめ、その中で自分たちはどの様に生きるべきなのか。
この様に、民族教育の問題点の一つは、常に在日や北朝鮮社会を中心にしか見ないという点である。それでは、いくら言語教育や歴史教育を施した所で、何の意味も持たない無益なもので終わってしまう。
緊迫した世界情勢が刻々と変化する中で、この様なシステムが崩壊する日は、そう遠くない。
北朝鮮、万景峰号、そして朝鮮総連
朝鮮総連の傘下にあるのは、何も朝鮮学校などの教育機関だけではない。その中には、金融機関、出版社、保険会社、さらには歌劇団や歌舞団にまで及ぶ。
数年前、公的資金投入や破綻などで話題となった朝銀の全国組織「在日本朝鮮信用組合協会(朝信協)」は、民族系の金融機関である。因みに民族系の金融機関とは、在日朝鮮人・韓国人たちから預金を集め、在日系企業や市民への融資を行っている金融機関を指す。また、「朝銀」という名前が付いたものが北朝鮮(総連)系で、韓国(民団)系には「商銀」という名が付いている。
当局直属の機関であり、全国各地の朝銀は総連に人事権を握られた機関であった。この朝銀の存在こそが、総連、さらには金政権をも支えていたと言っても過言ではあるまい。何故ならば、朝銀は莫大な預金をせっせと本国へ送金しており、それがミサイル開発や核開発の温床となっている可能性、何よりも、民族を破滅へと向かわせる金一族にとっての資金源ともなっている可能性がある事はほぼ間違いないと見られている。多くの国民が餓死していく中で、彼らだけが私腹を肥やしているのである。
送金ルートは、大方次の通りである。現金の場合は船で北朝鮮まで運ぶのが一般的、日本へ寄港する北朝鮮の万景峰号で、北朝鮮への親族訪問などで乗船する人の手荷物に、数千万円ずつ入れ運ばせて無事持ち出す事が出来る。また、日本各地の海岸に接岸する北朝鮮の密入工作船に運び込み、持ち帰るというルートもある。
万景峰号には、私も数回乗船した事があるが、友人の中には決して少なくない額を親や親族から預かり、本国に持ち込むケースが多く見られた。因みに、私が持ち込んだ物資は、ほぼ全て当局に没収されたのであるが…。
帰国運動により北へ渡った者を持つ在日の多くには、現在でも北朝鮮へと送金している者が少なくない。本国の紙幣などは紙屑同然であるし、北朝鮮では外貨(主にドルや円)しか流通が出来なくなっている状態である。送金された金銭が、当局へと没収されるのはまず間違いなく、また物資なども、一部の特権階級の中で横流しされているのが実状である。
この様な、北朝鮮への送金システムの歴史は古くに遡る。それにより、総連の一部のトップたち、北朝鮮特権階層の資金となり、総連の故・韓徳銖議長ら一族も、本国での贅を尽くした生活ぶりが時折伝わって来た事を思い出す。
しかし、何と言っても先に述べた在日朝鮮人の帰国運動が何よりの原点である。帰国した10万近い者の多くは日本に親族を残して海を渡った。金日成の狙いの一つは、彼らを“人質”に取り、多くの在日から莫大な金をむしり取る事であった。
日本においての著しい差別に耐え切れず、藁をも掴む思いで海を渡り、そこに待ち受けていたものは、日本のそれより遥かに厳しい差別と貧しい生活であった。何一つ自由はなく、反抗した者は即刻、収容所へと送られる。生き長らえた者は人質として利用され、また、日本に残った在日も北朝鮮により翻弄された者は後を絶たない。全財産を没収され、無一文になった者も大勢いる。
新潟発の船には、現在でも親族訪問の為に乗る人が多数存在する。何を思い、決して安くない代金を支払い、繰り返し訪問するのか。私には、到底理解出来ない事である。はっきり言って全くの無意味である。
しかも、親族訪問の際の面会日時や場所などは、全て当局によって決められ、徹底的に監視が付く。焼け石に水とは、まさにこの事。あの政権を打倒しない限り、あの国への金や物の流れは一切断ち切るべきである。さらに、総連支部や分会など小規模集会での募金、朝銀の預金、そして民族学校の教職員の給料や生徒の学費など、何かしらの形でこれら全てのものから北朝鮮へ送られる資金が集められる。
有史以来、一体どこに自らの国民を人質に取り、海外の同胞から金を奪い、軍事最優先の独裁政権を維持する為に使った政権があっただろうか。歴史上、最も非人道的で、自国民を微塵も愛さず、有名無実な社会主義体制を維持する愚かな国家が、現在まで地球上に存在し得ている事は、これはもはやこの国だけの問題ではなく、地球の恥である。
個人的には、総連は日本の中にある第二の北朝鮮であると思っている。いや、見方を変えれば総連なくしては北朝鮮の現在までの存続はあり得なかった様に思う。空前絶後の愚かなる体制は、チャウシェスク政権の様に民衆によって打倒されるべきであり、それを支え続けた総連の大罪は、もはや拭い様がない。