川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

田中正造 「気力ヲ以テ見レバ竹槍」

2010-11-05 06:57:29 | 川越・近郊
 11月2日(晴れ)

 第11回きいちご移動教室の下見。主に大型観光バスの通路・駐車場の確認が目的。

① ●渡良瀬遊水池展望台http://www.go2park.net/photo/yanakako_tower.html

 快晴で筑波はもちろん富士山まで見える。足下の遊水池、葦原の景観はいうまでもない。遊水池誕生のいわれも一応勉強できるように説明板がある。

② ●田中正造銅像(栃木市藤岡町)http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/kiyo40_34.htm

 11月7日はカラオケ大会で駐車場が利用できないとのこと。近づくのは無理かな。

③ ●田中正造の墓(佐野市厄除け大師)http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/sanposano2.html
 
 佐野・厄よけ大師に寄ったら正造の墓があった。啄木の歌碑も。葬式には5万人もの人が集まったという。本堂で護摩を焚いて祈祷が行われている。炎がただならぬ気配。こんな風景は初めて見る。当日、時間が許せば是非寄ってみたい。

④ ●田中正造旧居http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/sanposano2.html

 ボランティアガイドの丁寧な説明を受けた。正造の父の代から母屋には医者を住まわせ、地域のこどもたちの教育の場としても利用させていたという。

 正造は闘いの生涯でこの家にはほとんど住まなかったが、近郷近在の旧家に闘争資金の借金の山を作ったという。そのため疎遠になった人も少なくないが、後の世になって正造の真価が知れ渡るようになってからは村がひとつになってその顕彰に当たるようになったらしい。

 正造の代になって母屋は医者に贈与し、父・義母と妻は隠居所の2階で生活したという。

 ここを訪ねるのは?十年ぶりだが昔とは様相が変わっていた。大きな道路が通り、建物が移設されているからだろうか。それでも正造の大きな遺影の前に立つと感動で涙がにじんでくる。「義人」という言葉があるが、この人にこそふさわしい言葉だろう。

 世界中の人々に知って欲しい、我が日本の偉人だと思う。僕はこの言葉を若いときから心に刻んできた。

 
  ウカト見レバ普通の原野ナリ
  涙ヲ以テ見レバ地獄ノ餓鬼ノミ
  気力ヲ以テ見レバ竹鎗
  臆病ヲ以テ見レバ疾病ノミ

死を賭して明治天皇に直訴する三日前に甥に当たる原田定助という人に書き送った手紙にある言葉だ。鉱毒で汚染された毒野を目の前にしても見る人の「目」によって見えてくるものが違うのだ。「同情」「臆病」ではなく「気力」をもってみる生き方を貫いた人の言葉だ。

 是は現実に向き合うすべての人に贈られた言葉だ。「気力を以て見れば竹槍」。

 旧居を管理する方が裏庭の柿をもいでおみやげに持たせてくれた。当日はここから足利に向かう。交通事情がただただ心配だ。アウトレットなるものが出来て休日の国道は車が数珠繋ぎになるらしい。