今年も12月14日に新潟港で「追悼集会」を行うとの知らせがありました。北朝鮮への「帰国」第一船が出てから51年になります。
「北」を命がけで脱出してきた人々と交流するようになって「北」に閉じこめられて居る人々のことがいっそう切実に感じられるようになりました。
友人たちが企画した心のこもった集会です。
妻と娘と3人で今年も参加させてもらいます。
ご都合のつく方がおられたら連絡してください。ご一緒しましょう。
第2回「あの日を忘れない」新潟港追悼集会
●主催 移民政策研究所人道移民支援センター(代表・坂中英徳)
協力 平和を願う僧侶の会(代表・善光寺住職 若麻績敬史)
ソプラノ歌手 田月仙(チョン ウオルソン)
ミュージシャン 朴保(パク ポー)
● 日時 2010年12月14日(火) 13:30~14:30
● 場所 新潟市新潟港 中央埠頭
● 式次第
1 追悼式
(1) 開会 追悼の辞 13:30
(2) 遺族代表あいさつ 13:35
(3) 追悼法要 13:40 献花
(4) 追悼の歌 14:00
田月仙さん
朴保さん
2 日本政府への要請文の発表 14:20
●参加申し込み
参加費(東京⇔新潟往復新幹線代昼食付き お一人様13,900円)
参加ご希望の方は、別添の申込書に必要事項をご記入の上、メールまたは
FAXにてお申し込みください。改めて、旅行代金の振込先をお知らせいたします。
※参加申込締め切り日 2010年12月9日(木)
■ 問い合わせ先
一般社団法人移民政策研究所 TEL 03-3453-5901(土日祝を除く午前10時-午後5時)
E-MAIL office@jipi.or.jp 担当 事務局 小牧美和
【趣旨】
新潟港から975人の在日朝鮮人と、その日本人妻らを乗せた帰国第一船が『地上の楽園―北朝鮮』に向けて出港した日から51年目を迎えようとしています。
希望に燃えて北朝鮮に移住した人々は、彼の地で計り知れない苦難と悲劇に翻弄され続けています。彼ら帰国者たちは資本主義思想を持ち込む者として北朝鮮政府から最下層の身分に指定され、想像を絶する迫害を受けています。
しかし、その後1984年まで帰国事業は続き、新潟港から9万人以上の人々が北朝鮮へ渡って行ったのです。強制収容所で亡くなった人、行方不明になった人、処刑された人など日本への望郷の念を抱きながら無念の死を遂げた人は1万人をはるかに超えると推定されています。
日本人妻たち(1831人)は、今なお里帰りさえ許されず、ほとんどが70代となり、死んだらせめて遺体を「日本に向けて埋葬してほしい」と言っているそうです。
あの日、熱狂の中、帰国者を2000人のマンセーの掛け声とドラの音で見送った新潟港にて北朝鮮で犠牲となった人々の霊を慰める追悼法要を営みます。
そして帰国運動の惨禍を風化させることのないよう、今も北朝鮮に軟禁されている帰国者全員の解放をめざしてつとめることを霊前に誓いましょう。
●川越だより「新潟港2009年12月14日」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20091215
「北」を命がけで脱出してきた人々と交流するようになって「北」に閉じこめられて居る人々のことがいっそう切実に感じられるようになりました。
友人たちが企画した心のこもった集会です。
妻と娘と3人で今年も参加させてもらいます。
ご都合のつく方がおられたら連絡してください。ご一緒しましょう。
第2回「あの日を忘れない」新潟港追悼集会
●主催 移民政策研究所人道移民支援センター(代表・坂中英徳)
協力 平和を願う僧侶の会(代表・善光寺住職 若麻績敬史)
ソプラノ歌手 田月仙(チョン ウオルソン)
ミュージシャン 朴保(パク ポー)
● 日時 2010年12月14日(火) 13:30~14:30
● 場所 新潟市新潟港 中央埠頭
● 式次第
1 追悼式
(1) 開会 追悼の辞 13:30
(2) 遺族代表あいさつ 13:35
(3) 追悼法要 13:40 献花
(4) 追悼の歌 14:00
田月仙さん
朴保さん
2 日本政府への要請文の発表 14:20
●参加申し込み
参加費(東京⇔新潟往復新幹線代昼食付き お一人様13,900円)
参加ご希望の方は、別添の申込書に必要事項をご記入の上、メールまたは
FAXにてお申し込みください。改めて、旅行代金の振込先をお知らせいたします。
※参加申込締め切り日 2010年12月9日(木)
■ 問い合わせ先
一般社団法人移民政策研究所 TEL 03-3453-5901(土日祝を除く午前10時-午後5時)
E-MAIL office@jipi.or.jp 担当 事務局 小牧美和
【趣旨】
新潟港から975人の在日朝鮮人と、その日本人妻らを乗せた帰国第一船が『地上の楽園―北朝鮮』に向けて出港した日から51年目を迎えようとしています。
希望に燃えて北朝鮮に移住した人々は、彼の地で計り知れない苦難と悲劇に翻弄され続けています。彼ら帰国者たちは資本主義思想を持ち込む者として北朝鮮政府から最下層の身分に指定され、想像を絶する迫害を受けています。
しかし、その後1984年まで帰国事業は続き、新潟港から9万人以上の人々が北朝鮮へ渡って行ったのです。強制収容所で亡くなった人、行方不明になった人、処刑された人など日本への望郷の念を抱きながら無念の死を遂げた人は1万人をはるかに超えると推定されています。
日本人妻たち(1831人)は、今なお里帰りさえ許されず、ほとんどが70代となり、死んだらせめて遺体を「日本に向けて埋葬してほしい」と言っているそうです。
あの日、熱狂の中、帰国者を2000人のマンセーの掛け声とドラの音で見送った新潟港にて北朝鮮で犠牲となった人々の霊を慰める追悼法要を営みます。
そして帰国運動の惨禍を風化させることのないよう、今も北朝鮮に軟禁されている帰国者全員の解放をめざしてつとめることを霊前に誓いましょう。
●川越だより「新潟港2009年12月14日」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20091215