川越市の鈴木啓介です。
我が家でも「大揺れ」を初めて体験しました。義母宅を含め被害はありません。関東大震災を体験した義母は落ち着いたものでした。
各地との電話は通じません。東北など各地の人々の無事を祈ります。 11日18時
夜になって横浜駅西口に近い息子から電話がありました。自宅も「BAR招福堂」も被害はないとのことです。20時50分
川越市の鈴木啓介です。
我が家でも「大揺れ」を初めて体験しました。義母宅を含め被害はありません。関東大震災を体験した義母は落ち着いたものでした。
各地との電話は通じません。東北など各地の人々の無事を祈ります。 11日18時
夜になって横浜駅西口に近い息子から電話がありました。自宅も「BAR招福堂」も被害はないとのことです。20時50分
昨日、東京高裁が卒業式で君が代の強制に従わなかった教職員を懲戒処分にしたのは職権濫用で取り消せという判決を出しました。都教委の命令そのものは「合憲」とお墨付きを与えたのですから、「原告勝訴」と喜んでばかりはいられません。
しかし、友人たちの良心に基づく、やむにやまれぬ行動を正当なものと認め、処分は不当と判決しました。これは原告たちの長年の闘いが独善的なものではなく、民主主義と人権の確立・擁護に寄与してきたことを裁判所も認めざるを得なかったことを示しています。
学校を上意下達の権力機関に再編してしまった石原都政にこの判決が打撃を与えることが出来るかどうかは未知数です。教育委員会は上告し、その姿勢はますますかたくなになるかもしれません。
石原知事は今日、四選出馬を表明すると伝えられています。石原路線を死守したいと頑張るつもりでしょう。
これからが勝負時です。民主主義と人権の確立・擁護を目指す人々がイデオロギー的な偏向・呪縛から自らを解放し、より広範な市民の支持を獲得出来るかどうか。それがカギだと僕は思います。
昨日は土肥隆一という人が醜態をさらし、石原支持勢力を大いに鼓舞しました。こんな人に権力を任せられないというのはごく自然なことです。
「贖罪意識」に絡み取られ、歴史と現実をありのままにとらえられなくなった人の犯す取りかえしのつかない誤りです。左派の友人たちの多くに同質の弱点があります。
都知事選挙を前にして、「民主主義と人権」を旗印とする市民派は石原知事に対抗できる候補を擁立できるでしょうか。
東京「日の丸・君が代」処分取消訴訟(一次訴訟)原告団・弁護団
1 本日(3月10日)、東京高等裁判所第2民事部(大橋寛明裁判長)は、都立学校の教職員168名が卒業式等の国歌斉唱時に校長の職務命令に従って起立斉唱・ピアノ伴奏しなかったために懲戒処分(1名が減給、167名が戒告)されたことに対し、処分の取消しと国家賠償を求めた事件につき、教職員らの請求を棄却した第一審東京地方裁判所判決を取消し、懲戒処分を取消す逆転勝訴判決を言い渡した。
2 本件は、東京都教育委員会(都教委)が2003年10月23日付で全都立学校の校長らに通達を発し(10・23通達)、卒業式・入学式等において国歌斉唱時に教職員らに対し、指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること、伴奏すること等を命じて、「日の丸・君が代」の起立斉唱強制を進める中で起きた事件である。
都教委は、卒業式等の国歌斉唱時に起立斉唱またはピアノ伴奏せよという校長の職務命令に違反したとして、控訴人らを戒告・減給等の懲戒処分とした。
3 判決は、控訴人らの不起立行為等は、自己の個人的利益や快楽の実現を目的としたものでもなく、生徒に対し正しい教育を行いたいなどという歴史観ないし世界観又は信条及びこれに由来する社会生活上の信念等に基づく真摯な動機によるものであり、少なくとも控訴人らにとっては、やむにやまれぬ行動であったということができる、と判示した。
さらに、「歴史的な理由から、現在でも『日の丸』・『君が代』について、控訴人らと同様の歴史観ないし世界観又は信条を有する者は、国民の中に少なからず存在しているとみられ、控訴人らの歴史観等が、独善的なものであるとはいえない。また、それらとのかかわりにおいて、国歌斉唱に際して起立する行動に抵抗を覚える者もいると考えられ、控訴人らも、1個人としてならば、起立を義務づけられることはないというべきであるから、控訴人らが起立する義務はないと考えたことにも、無理からぬところがある」と判示した。
そして、控訴人らの行為によって卒業式等が混乱したという事実はなかったこと等も踏まえ、結論として、不起立行為などを理由として懲戒処分を科すことは、社会通念上著しく妥当を欠き、重きに失するとして、懲戒権の範囲を逸脱・濫用するものであるとして違法であるとし、控訴人らに対してなされた各懲戒処分を取り消した。
一方で、10・23通達及び職務命令は、憲法19条及び20条に違反せず、改定前教育基本法10条の「不当な支配」にもあたらないと判断した。
また、損害賠償請求については認めなかった。
4 私たちは、判決が、本件懲戒処分を裁量権逸脱として取り消したことを、高く評価する。
一方で、「日の丸・君が代」を職務命令をもって強制することを憲法19条違反、改定前教育基本法10条違反と判断しなかったことについては、承服しがたい。
5 都教委は本件において下された司法判断を上告せずに受け入れ、すべての教職員に対する懲戒処分を撤回するとともに、直ちに10・23通達を撤回し、教育現場での「日の丸・君が代」の強制をやめるべきである。
この判決を機会に、教育現場での「日の丸・君が代」の強制に反対するわたしたちの訴えに対し、皆様のご支援をぜひともいただきたく、広く呼びかける次第である。
2011年3月10日
なぜ、オール5にするか 鈴木啓介(1971年7月『池商新聞』)
1 オール「5」提案の波紋
(つづき)
「私は考えてみると今までテストというものを目標にする以外の勉強はしたことがないように思います。政治経済とか、倫理社会とか、そういうような科目については、五段階でも何でも、評価するということは出来るわけがないと思います。人間一人一人の考えについて、点数などつくわけないし、ついても、それは信じられるようなものではないと思います。
この間、担任の先生と面接したとき、今の勉強についてどう思うかと問われました。私はテストのための勉強でしかないと言いました。が、今はそれしかしようがないし、今まで、生まれて十七年間、そういう方法でしか、勉強したことのない私には、とても他の目標での勉強なんて思いもよりません。それだけ私たちは、昔からずっと目的をあやまって、それになれて、テストの時期になれば勉強するといったように、機械的なものになってきてしまっているのではないかと思います。」
私の風変わりな提案は、「オール5ショック」とでもいった波紋を投げかけたようだが、そのような中でIさんはこのように書いた。
「十七年間、テストのためにしか勉強しなかった」「他の目標での勉強なんて思いもよりません」などという告白に目を通したとき、私はあらためてショックを受けていた。
こうした、さまざまな生徒諸君との出会いの中で、授業とは何であるのか、教師である自分の存在は、ほんとうはどんなものであるのかということが、はじめて、見えてくるような気がした。
Sさんは「先生が評価できずにつけたものを、私たちは黙って受け取らなければいけないのか。評価することはむずかしいと思います。ならなぜ、この数字を与えるのか。まだ、つけない方がいいと私は思います。だけど、こう書いたら先生は困ってしまいますね。点を付けるのが先生の役目ですから。」と指摘したが、現実の教師ー生徒の関係の中では「点を付けるのが先生の役目」だというもっとも本質的な自分の姿を発見したのである。
「教師は真理の伝達者である」などといった教育や教師を定義することばにとらわれて生きてきた私には、こんな当たり前の現実さえ、はっきりとは見えなかった。すでに誰かが作り上げた言葉の世界、つまり、自分の現実の生活との対決のないきれいな言葉の世界に、自分がどんなに深く入り込んでいたかを感じずにはいられなかった。
点数を付ける、つまり生徒の成績を評定し、単位の認定をするーそうした権力こそが、正に教師を教師たらしめ、現実の教師ー生徒の関係を律している。この権力とのたたかいを始めることなしには、教師ー生徒の関係のうえに成り立っている授業を変えることは出来ない。それが私なりの結論だった。
私は、直ちに成績評定をする権限や単位を認定する権限を放棄することは出来ないが、そのような権力との闘いを前に述べたような形で始めようと思った。
それは同時にMくんをはじめ、多くの諸君のように、現実の中に開き直る生き方と対決することでもあると思った。現実の中に開き直ることは結局、現実を肯定し、『単位の奴隷』に自ら甘んずることではないか。そのことはやがて『賃金の奴隷』や『地位の奴隷』に甘んずることにつながるだろう。
生徒諸君は『単位を求める生徒』としての自分の姿を屈辱をもって認識し、そのような自らとの対決を始めなければならない。
資本主義の社会で生きていく限り、誰もが、単位や賃金や地位やの奴隷であることから免れることは出来ないが、そうした自らの屈辱的な現実との対決を内にはらみ続けなければ、何者の奴隷になることをも拒否する力を育んでいくことは出来ない。教師も生徒も、それぞれが自分を教師たらしめ、生徒たらしめているものとの闘いを持続し、その闘いのうめき声を響きあわすのでなければ、人間として学び会う喜びは見いだせないのではないかと考えた。
Mくんの言葉で言えば「授業は友と語り、自分を見つめる絶好の場である」ような状態に少しでも近づけたいと思った。週2回、否応なしにある政経の時間を「点を付ける役目」として過ごすことに私はとても耐えられないと思った。
与えられた教科書、与えられた教室、厳重な出席管理、与えられた集団(クラス・学年)、そして通知簿、内申書、進級、卒業などといった恐ろしい仕組みを考えるとき、見通しなどあるはずがなかった。
あれから一年有余、旧三年生がともかく「全員5」で卒業し、新三年生と否応なしに相まみえることになった。基本的には旧年度の方針を継続しながら私なりの反省のうえに、一学期の授業を進めてきたわけだが、ここに、評定について、私の考えてきたことを披瀝して、諸君の積極的な批判と学習者としての自立を訴えたい。(つづく)