「2」から後は『池商新聞』11月8日号に掲載されました。教頭だった岩井利雄先生の「教育に含まれる二つの真理と評価」という論文も載っています。
なぜ、オール5にするか 鈴木啓介(1971年7月『池商新聞』)
(つづき)
2 教師の真理を打倒することこそ
私たち教師は「真理を教える」ものとされている。真理という言葉は科学や道徳、文学等々といいかえてもよい。授業は真理の代弁者であることになっている、私の手によってすすめられる。
もっとも、今日では私が真理だと考えることを教えることは困難である。文部省(国家)が学習指導要領というものを定め、この範囲内で教えよと私たちに強制しているからである。また、文部省が厳重な検定をした教科書を使わなければならないと法律によって強いているからでもある。何人かの教師が指導要領を逸脱して教えたというので懲戒免職になるといったこともおこっている(福岡県伝習館高校など)。つまり、教室では文部省(国家)の考える真理が教師の真理として教えられているのである。
国家の真理とは何か?
私はそれを今の社会で支配的な立場にいる人々にとっての真理だと思う。また、別の言い方をすれば、今の社会で多くの人に受け入れられている真理であるといってもよい。従って、そこでは、支配される人々にとっての真理は、また、今はまだ少数の人々にしか支持されていない真理はほとんど教えられることがない。
例えば、同じようにこの学校に学んでいる在日朝鮮人の生徒諸君が私たちの想像もできないような条件の中で生きているにちがいないのだが、このような諸君にとっての真理が教えられたということがあっただろうか。朝鮮語という民族の言葉を奪われ、本名をさえ明かすことが困難な人々に、日本語のみならず、英語の学習を義務づけ、朝鮮への侵略をなんら反省することのない日本史を強制してきたのではなかったか。
在日朝鮮人だけではない。身分差別に苦しむ被差別の人々、「本土」の差別政策のもとに呻吟してきた沖縄の人々、いや、それだけではない。朝から晩まで自分の労働力を売り続けなければ生きていくことの出来ない、私たちの父や母、祖父や祖母、兄や姉、それに私たち自身の苦しみや悲しみ、怒りや喜びを表現する力や、現状を打ち破って人間として生き抜いていく能力を形成していくなにかを教えてきたといえるだろうか。
私はそれなりに国家の思想からは自由であるつもりで何年かを教師として生きてきた。教科書をそのままに教えるということはたしかにしなかった。それなりに生徒とともに考えるというあり方をしてきたであろう。
しかし、今、諸君を前にして、私に教えることなど何もないと考える。
私の身につけてきた学問や思想は、つまり、真理は、公害を生み出す企業の生産第一主義に荷担してきたそれらと本質的にかわるものでないことを自覚してきたからである。平和と民主主義の精神を教えると言いながら、朝鮮人の諸君の苦悩にみちた問いを今なお自らのものとなしえていないのである。
私は、国家から自立しているつもりでいたが、決してそうではなかったのである。国家のほどこす初中等教育をうけ、さらに国立大学にまで学んだ(働く人々からそれだけ遠く自らを隔離した)人間が、そんなに簡単に、国家から自立など出来るはずはないのである。
多くの諸君が学校生活、なかんずく、授業に意欲を燃やせないのは、そこに自分たちのありのままの生活を持ち込むことが出来ず、一方的に教師の真理をのべたてられるからではないのか。
授業と生活がかけ離れているだけでなく、授業と生活が対立しているのである。学校へ来るときは、生活の服を脱いで、学生服を着てくるなどという慣習はそうした現実の象徴であろう。
公害問題に見られるように、既成の価値観では現状を打ち破っていくことが出来ないような現在、私たちにとって一番重要なことは、一人一人が価値観を創造することではないか。
そのためには、わたしたち一人一人の生活を見つめ、苦しみや、怒りや、悲しみや、喜びをお互いにぶちつけることである。
私は、教師として『資本主義の原理』などという講義をしているが、ここで述べる私の真理を、諸君が体験に基づいて、打ち砕くことである。資本主義の現実を一番よく知っているのは、汗水たらして働く人々なのだ。諸君は何よりもそうした人々に学び、私のように、言葉で学んできたものの真理を打ち倒すことがなければ、現実の問題は何一つ解決することが出来ないだろう。
私が教師であり続けようとするのは、諸君の手によって、打ち倒されることによって、私自身も、新しい真理に到達できると確信するからである。(つづく)