富士山麓への移動教室がいよいよ明後日に迫ってきました。天気がよさそうなので一安心。今回の参加者は49人、中国残留日本人孤児とその配偶者が大半で、超高齢者集団です。初めて参加する人が多く、手続きが完了するまでに時間が掛かりました。今までの参加者が知友を誘ってくれるのですから嬉しい限りですが、郵便振替などの経験が無い方が多いのです。
昨日は保険会社への名簿提出の後、名前プレートの作成、部屋割りなどをしたあと資料作りに取り掛かりました。
恒例のテーマソングは
「ふじの山」作詞 巌谷小波 作曲 ?(明治44年文部省唱歌 小3)
一、
あたまを雲の上に出し、
四方の山を見おろして、
かみなりさまを下に聞く、
富士は日本一の山。
二、
青空高くそびえ立ち、
からだに雪の着物着て、
霞のすそを遠く曳く、
富士は日本一の山。
曲は→ ●http://www.youtube.com/watch?v=g1Ehepc4nU8
僕は富士山というと「背くらべ」の方が好きなんだけどちょっと難しいような気がする。粽・羽織の紐‥。同世代といってもほとんどが異郷で生まれ育った方々なのです。
「背(せい)くらべ」
海野厚作詞・中山晋平作曲
柱(はしら)のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
計(はか)ってくれた 背のたけ
きのうくらべりゃ 何(なん)のこと
やっと羽織(はおり)の 紐(ひも)のたけ
柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸(せのび) していても
雪の帽子(ぼうし)を ぬいでさえ
一はやっぱり 富士の山
古賀さと子の歌●http://www.youtube.com/watch?v=sHoit9X3nio&feature=related
大島高校が初任校だったので土佐生まれのぼくも富士山には縁ができた。学校の教室からも海を隔てた秀峰が朝に夕に見えたのです。一回だけ登りました。
1966年夏、学校の行事「富士登山」。信州上田の出身の森さんがリーダーになって生徒たちを連れていった。山中湖畔にキャンプを張って、5合目までバスで行き、夜9時ころから登り始めたのではなかったか。御来光を拝めた記憶はないが頂上はただただ寒かった。
「引率」に加えてもらったのだろうがついて行くのが精一杯。辛くて「二度とくるものか」と思ったものだ。須走口へだったか、「砂走り」だけは開放感があった。湖畔のキャンプに到着するや眠り込んでしまった。忙しく立ち働く同僚や生徒たちにはこっそり隠れて‥。
そんな恥ずかしい記憶があります。そんな僕でも生涯にただ一度「日本一」の山に登ることは出来たのです。森さんたち同僚のおかげです。
「砂走り」●http://www.youtube.com/watch?v=_JvQJ9a_jyE&feature=related