川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

信州・東御(とうみ)市和(かのう)

2008-05-07 09:19:26 | 出会いの旅
 6日 正午到着。午前中に着けばAさん夫妻にお会いできるかと駆けつけてきましたが、残念ながら帰京したあとでした。ここを利用させて貰うのは4回目、一年ぶりです。かって知ったるなんとかで、妻はさっそく昼食準備、ぼくはソファにへたり込んで八ヶ岳の遠望。
 昼寝のあと、近くの日帰り温泉へ。

 湯楽里館http://www.yurarikan.com/yurarikan.html

 8年前この地に移り住んだという方に地域の情報を聞き乍らつい長湯。4月の選挙で前市長は敗北したという。お連れ合いはぼくの昔の生徒。病を克服し、司法書士をしながら夫を支えてきた。高校生の時から頑張りやさん。

 食事まで夕寝、食後も早く休む。病院生活のよう。

 東御市の空中写真がありました。千曲川を挟んで南北に山並みが連なっています。http://www.tomikan.jp/sora/index.html

 今日も天気がいいので千曲川の左岸の村里を訪ねて見ようかと思っています。

昨日は138人もの方がこのブログを訪れてくれました。一気に30人以上の記録更新なので驚きました。ありがたいことです。

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1 コメント

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新しい教科書(4) (カツヨシ)
2008-05-07 21:49:38
 「在日コリアン2世の文章をフィリピンをルーツとする少年と読む試み」は連休が入って一時中断でした。その間、授業時数に余裕があったらどんな組み立てにしただろうかと考えていました。……姜尚中さんの明快な論理展開を跡付け、暗喩を解きほぐしただけでは終わらないだろう。「出自への煩悶」や「絶滅収容所」「時の痛み」などの意味するものにぼくはこだわるだろう。前者については『指紋押捺拒否者への脅迫状を読む』の中のPさんの文章を読もうか。後者についてはやはりフランクルの『夜と霧』だろうか。

 久しぶりに『夜と霧』を開いてみました。(新版の池田香代子訳は平明で、新しい問題を提起してもいますが、ここでは旧版の霜山徳爾訳を見ています。ワルシャワの街角で親衛隊員たちに銃口を向けられて両手を挙げている、いたいけな少年たちと女性たちの写真が表紙に載っています)
 悲惨の極みとも言うべき十数葉の写真とともに、何度も教室で朗読してほとんど暗記しているような1頁に出会います。驚異的な沈着冷静さで、簡潔に的確に、凄惨な地獄図絵を描ききっています。以下引用。
「ガスかまどによる虐殺の目撃者、クルト・ゲルシュタインはその体験を次のように述べている。『…6700名の人間を乗せた45台の貨車が到着したが、その中の1450名はすでに死んでいた。死の不安におののきながら、子供や男女が鉄格子ののぞき窓から外を見ていた。……彼らは革の鞭で貨車から追い出され、全財産を放棄させられ、全裸にされた。女性は毛髪を全部そられた。そして列をなしてガスかまどへと向かった。最初に美しい若い少女、それから男女、子供たち、乳児を抱いた母親が全裸で進み、ためらいながらガス室におしこめられていった。一人の親衛隊員が猫撫で声で心配はないと言ったが、しかし多くの人々はガスの臭気で彼らの運命を知ったのであった。……多くの人々は祈り始めた。……ついに戸が閉められた。
入りきれなかった次の人々は全裸で外で待っているのであった。……しかしガスを注入するディーゼルエンジンが故障したために、すしづめになった内部の人はそのまま2時間45分待たねばならなかった。かれらの泣き叫ぶ声が聞こえた。ついにディーゼルが作動し始め、25分後には大部分が死に、28分後には生きているのはごく少数になり、32分後には全員殺されていた。それを小さなのぞき窓を通して人は見ることができるのであった。……やがて反対側の戸が開かれて死体を片付ける作業が始まった。死体は互いに密着して寄りかかっていた。死者の中の家族はすぐわかった。なぜならばそれは死の苦しみの中にも抱き合っていたからであり、それを解き放すのには骨が折れたからである。死体は汗や尿で濡れ、便で汚れ、月経の血が足の間に流れ出ていた。24人の歯科医が死体の口をハーケンでこじ開け、金歯を抜き取った。また宝石や金が隠されていないかと膣や肛門が調べられた……』」

 引用が長くなりました。このような「絶滅収容所」の体験を経てなおフランクルが「時の痛みとともに永遠の至福が訪れる」と言い切るのはなぜなのでしょうか。
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