20日(日)
副作用出始める。緩やかな症状で苦痛はないが一日中横臥。妻と夕食。
21日(月)
午後、若い娘さんが現れたので誰だろうかと少しとまどった。よく見れば顔色のよい順子(すんじゃ)。高一で出会って31年が過ぎたという。夏の日にサンダル履きで錦糸町の家庭訪問をしたのがありありと思い出される。
ある時から僕は父のいないこの人のパパということになった。病気入院中のお母さんには申し訳ないことだが、僕もいいよということで可成りの年月が経つ。ただ存在するだけで、親らしいことは何もしてやれないが大切な娘である。苦労の続く人生をへこたれることなく生き抜いている。近頃は築地でも働いていて、様子を見に来てくれた。
5月17日には僕には孫に当たる美順(みすん)の結婚式。既にひ孫も生まれている。みんなの喜びの日に僕も存在する喜びをわかちあいたい。
22日(火)
勝義さん。久しぶりに元気な顔を見せていただいた。喉の手術も成功し、昔の声が蘇った。生まれと育ちは違うが、僕とほとんど同じ途を歩いてきた。今は週4日、工業高校で日本語を教える。今日は朝から3時間授業をしてこられた。インド、中国、フィリピンから来た生徒達。朝早くから出かけて、相変わらず、職人的完璧を期す授業を行っているのであろう。定年で解放感に浸って、遊んでばかりいた僕とは大違いである。
お見舞いに大相撲48手を描いた手ぬぐいをいただいた。僕は相撲は好きだが、こどもの時からまわしを締めたことはなく、技もよくは解らないままに、実況のまねごとをしたりする。小学校の時、朝の教室で治雄君がよく相撲を教えてくれた。土俵に上がる機会が一度もなかったことは今となっては残念な気がする。八代という町で子どもたちが大人の指導を受けながら、土俵に上がる風景を見たことがある。いいなーと思って立ち去れなかった。小学生が相撲を取れる環境を整えたらどうだろうか。なにか、大切なものが得られるような気がする。妻と夕食。食欲なし。
23日(水)
同室のHさんは僕と同じ治療。一日先行。もうスッカリげんき。僕はまだすっきりとは行かない。一日横臥。でも、夕方になってパソコンに向かう元気が出た。
副作用出始める。緩やかな症状で苦痛はないが一日中横臥。妻と夕食。
21日(月)
午後、若い娘さんが現れたので誰だろうかと少しとまどった。よく見れば顔色のよい順子(すんじゃ)。高一で出会って31年が過ぎたという。夏の日にサンダル履きで錦糸町の家庭訪問をしたのがありありと思い出される。
ある時から僕は父のいないこの人のパパということになった。病気入院中のお母さんには申し訳ないことだが、僕もいいよということで可成りの年月が経つ。ただ存在するだけで、親らしいことは何もしてやれないが大切な娘である。苦労の続く人生をへこたれることなく生き抜いている。近頃は築地でも働いていて、様子を見に来てくれた。
5月17日には僕には孫に当たる美順(みすん)の結婚式。既にひ孫も生まれている。みんなの喜びの日に僕も存在する喜びをわかちあいたい。
22日(火)
勝義さん。久しぶりに元気な顔を見せていただいた。喉の手術も成功し、昔の声が蘇った。生まれと育ちは違うが、僕とほとんど同じ途を歩いてきた。今は週4日、工業高校で日本語を教える。今日は朝から3時間授業をしてこられた。インド、中国、フィリピンから来た生徒達。朝早くから出かけて、相変わらず、職人的完璧を期す授業を行っているのであろう。定年で解放感に浸って、遊んでばかりいた僕とは大違いである。
お見舞いに大相撲48手を描いた手ぬぐいをいただいた。僕は相撲は好きだが、こどもの時からまわしを締めたことはなく、技もよくは解らないままに、実況のまねごとをしたりする。小学校の時、朝の教室で治雄君がよく相撲を教えてくれた。土俵に上がる機会が一度もなかったことは今となっては残念な気がする。八代という町で子どもたちが大人の指導を受けながら、土俵に上がる風景を見たことがある。いいなーと思って立ち去れなかった。小学生が相撲を取れる環境を整えたらどうだろうか。なにか、大切なものが得られるような気がする。妻と夕食。食欲なし。
23日(水)
同室のHさんは僕と同じ治療。一日先行。もうスッカリげんき。僕はまだすっきりとは行かない。一日横臥。でも、夕方になってパソコンに向かう元気が出た。
けいすけさんオススメ(?)の「湾岸の落日風景」を眺めながら帰途につきました。ゆりかもめから見る真っ赤な太陽、林立する高層ビル群、低く力なく波打つ海。気恥ずかしい表現になりますが、僕らが子どものころ思い描いていた「未来都市」がそこに広がっていました。けれど、その「未来都市」の光景も、山々のまばゆいばかりの新緑の命あふれる情景には及ばない、と「大自然」教の一教徒としては思ったものでした。
ところでこのコメント、南千住図書館のパソコンで打っています。勤務先から徒歩2分、ここで授業のあ
とのひとときを過ごします。昔読んだ本を探す・新しい作品に出会う・授業の教材を探す・予習をする・採点をする・ビデオやテープを借りる・パソコンをいじる……寡黙なひとびとのなかでゆったりとマイペースで.宝の山にいる気分です。
このところ「落語」にはまっています。円生、志ん生、柳橋、円歌、金馬、正蔵……とりわけ三遊亭金馬の話芸の見事さに唸りました。実はわが「声の会」の次回公演が来年(鬼が笑う)4月4日(土)彩の国さいたま芸術劇場で太宰治の『ヴィヨンの妻』をもとにしたものに決まったのです。そこで太宰の独特の饒舌体の研究というわけです。