寝てばかりの生活でしたが、今日は少し楽になったので坂戸の「ふるさとの湯」に連れて行って貰いました。
夕方、琴欧州が白鵬を寄り切る一番を見ました。体調もよくなったのか、連日立派な勝利です。そして、笑顔が本当にかわいい。長かった試練に耐えて、よくぞ大成したものです。ぼくは白鵬が大鵬にならぶ大横綱になることを期待していますが、ユーラシア大陸の西と東からやってきた若者が日本人に相撲のおもしろさを教えてくれていることを喜んでいます。日本相撲協会を解体して、日本の若者が喜んで相撲の世界に入っていけるような組織になれたらいいなあ。
NHKはおかしい。大相撲の世界の頽廃に目をつぶり、業界の親分衆に御用解説をやらせるばかり。高校野球をおかしくした朝日新聞と同じだ。国技だというなら、地域や学校にどうしたら相撲が根づくかを考えなければ。大リーグの選手の一投一打や自然破壊のお遊びでしかないゴルフに異常な熱意を注ぐのはどういうことだ。
備忘録
17日(土)退院後、お台場から海上バスで日の出桟橋へ。アジュール竹芝というホテルでの結婚式。「孫」のミスンが見るからに堅実そうな28歳の青年と一緒になった。ユアンという10ヶ月のこどもの披露宴でもある。ぼくも言われるままに抱いてみたがずっしりと重たくて少し怖かった。
お婿さんの勤める会社関係の知友が多いのか大宴会場が満杯。家庭生活に恵まれたとはいえないミスンがこれらのひとびとの支援を受けながら堅実な家族を作っていってくれるように祈るばかりである。
母親のスンジャは15歳の時から31年のつきあいである。父が早くに失踪し、家族というものに恵まれることがなかったが、人一倍責任感がつよい。ある時からぼくが「ぱぱ」ということになった。だからといって何をするわけでもない。ただ存在するだけである。ぼくは今でもたくさんの困難に直面しながら、ときどき笑顔をみせてくれるスンジャがいてくれて嬉しい。母親になったミスンが格段の成長を遂げてきたと喜んでいる。ぼくは親としての責任を果たしたことを心から祝福した。
20日(火)夕方、matumotoさんがヤマメの塩焼きを届けてくださった。奥多摩からの帰りにわざわざ川越に寄ってくれた。抗ガン剤の副作用のせいで一日中横になっていた日で、玄関に出てお礼を言うのがやっとだった。たまには上がって貰ってあれこれと話したいが、お父さんの介護もあってなかなかゆっくりはできない。お隣のMさん夫妻もあちこちの野山で摘んできた野草やタケノコを差し入れて元気づけてくれる。
21日(水) 東京都の残留孤児支援相談員に合格したひとびとの辞令交付式(?)があったという報せ。20人の内、18人が残って今後の協力を約束しあったとか。都の斡旋で区市で働くことになるが自治体の姿勢はまちまちである。情報を交換しながら出発できるのはとりあえずよかった。
夕方、琴欧州が白鵬を寄り切る一番を見ました。体調もよくなったのか、連日立派な勝利です。そして、笑顔が本当にかわいい。長かった試練に耐えて、よくぞ大成したものです。ぼくは白鵬が大鵬にならぶ大横綱になることを期待していますが、ユーラシア大陸の西と東からやってきた若者が日本人に相撲のおもしろさを教えてくれていることを喜んでいます。日本相撲協会を解体して、日本の若者が喜んで相撲の世界に入っていけるような組織になれたらいいなあ。
NHKはおかしい。大相撲の世界の頽廃に目をつぶり、業界の親分衆に御用解説をやらせるばかり。高校野球をおかしくした朝日新聞と同じだ。国技だというなら、地域や学校にどうしたら相撲が根づくかを考えなければ。大リーグの選手の一投一打や自然破壊のお遊びでしかないゴルフに異常な熱意を注ぐのはどういうことだ。
備忘録
17日(土)退院後、お台場から海上バスで日の出桟橋へ。アジュール竹芝というホテルでの結婚式。「孫」のミスンが見るからに堅実そうな28歳の青年と一緒になった。ユアンという10ヶ月のこどもの披露宴でもある。ぼくも言われるままに抱いてみたがずっしりと重たくて少し怖かった。
お婿さんの勤める会社関係の知友が多いのか大宴会場が満杯。家庭生活に恵まれたとはいえないミスンがこれらのひとびとの支援を受けながら堅実な家族を作っていってくれるように祈るばかりである。
母親のスンジャは15歳の時から31年のつきあいである。父が早くに失踪し、家族というものに恵まれることがなかったが、人一倍責任感がつよい。ある時からぼくが「ぱぱ」ということになった。だからといって何をするわけでもない。ただ存在するだけである。ぼくは今でもたくさんの困難に直面しながら、ときどき笑顔をみせてくれるスンジャがいてくれて嬉しい。母親になったミスンが格段の成長を遂げてきたと喜んでいる。ぼくは親としての責任を果たしたことを心から祝福した。
20日(火)夕方、matumotoさんがヤマメの塩焼きを届けてくださった。奥多摩からの帰りにわざわざ川越に寄ってくれた。抗ガン剤の副作用のせいで一日中横になっていた日で、玄関に出てお礼を言うのがやっとだった。たまには上がって貰ってあれこれと話したいが、お父さんの介護もあってなかなかゆっくりはできない。お隣のMさん夫妻もあちこちの野山で摘んできた野草やタケノコを差し入れて元気づけてくれる。
21日(水) 東京都の残留孤児支援相談員に合格したひとびとの辞令交付式(?)があったという報せ。20人の内、18人が残って今後の協力を約束しあったとか。都の斡旋で区市で働くことになるが自治体の姿勢はまちまちである。情報を交換しながら出発できるのはとりあえずよかった。
ワイングラスを傾け、美味しい肉料理をいただきながら歓談。近況報告をし合っているうちに、またまたいつの間にか36年の時空を超えて、あの教室の、稽古場の、合宿の感覚が蘇ってきて、互いに胸を開いて何でも話せる場になっていました。病気・仕事・家庭・趣味・思い出……ボブ・ディラン、高田渡、『パッチギ!』、『走れメロス』(冒頭の一句「メロスは激怒した」をO君がぼくの物まねで再現、当時の青年教師のメッセージの熱さについて、ひとしきり話に花が咲きます)などと、話題は自在に展開して行きます。とりわけ、高校時代は寡黙だったT君の能弁に皆耳を傾けました。水戸市で介護老人保健施設(2箇所)の事務長を務めている彼は、42歳で食道がんを体験、生き方が変化したと言い、明快に介護論を展開します。
「介護はキレイゴトではすまない。老人の排泄物の処理ひとつで、甘い考えの人は、やめてしまう」
「リハビリをして体力を維持して、何をするのか、
どんな小さなことでも、やりたいことや願いを持っている人は強い」
……気がつくと、時計の針は深夜1時半を回っていました。