川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

父のプレゼント

2007-09-28 11:55:08 | 父・家族・自分
 昨夜は山の端に出た満月が煌々として、風もさわやか、秋の気配です。子供の頃はご馳走を持って室戸岬に月見に行く習慣がありました。尖端に「月見が浜」は今もありますが月見の話題は聞きません。
 思いのほか、故郷滞在が長引きました。父の状態にかわりはありませんが、姉も日常生活に復帰しましたので、私たちはいったん川越に帰ることにしました。
 
 父の見舞いといっても僕は何をしたわけでもありません。妻は家事を引き受けましたから、姉にとっては大助かりです。東京で育って東京しか知らなかった人が、この39年間のうちに僕よりもこの町になじんでいます。家族に何かあれば飛んできて面倒を見てきたのです。いつの間にか、土佐弁も身について、僕の友人たちも驚いています。こんな「嫁さん」はどこにもいないのです。
 父がくれた長い故郷滞在(子供のとき以来でしょう)の間に、体験したことはあらましここに書いてきましたが、12歳の少年のまま忽然と消えた人間ですから、生活の襞(ひだ)にまで降りてこの村の人々を理解することは困難です。これがまた新たなきっかけとなって同級生たちとの交流が深まることを楽しみにしています。長く、鮪船に乗っていた人たちも今ようやく安穏な生活に帰ったのですが、友人たちと交流する機会は少ないようです。病気を抱える人も増えています。
 過疎の過酷な現実が進むばかりで、希望のもてる話は聞けません。そんな中で堀川さんとその仲間たちに出会えました。少しでも多くの人に知ってもらいたい人たちでした。都市に住む人間にどんな協力が出来るか、ぼくも心に留めておきます。
 他に加領郷の琵琶ケ瀧、北川村の不動の瀧、伊尾木川の源流部なども訪ねました。徳島県木頭村との境に近いところで、拡大造林が進む頃、ぶなの原生林を購入保存した人がいることを知りました。近年、その遺族が安芸市に寄付し今は森林公園になっています。歩いてみる時間がなく、その人の名を記録して帰りました。いま、高知県東部でぶなの原生林が残っているのはここだけだということです。この事実もここまで(物好きにも)いかなければわからないことです。せっかくの公園を知る人はほとんどいないようです。
 農民を煽動して拡大造林を進めた学者や役人(林野庁)の中でその責任を明らかにした人の名を聞いたことがありません。徹底的に自然を破壊したのみならず、山に人が住めないようにしたのです。NO!といった人を変人扱いにし、孤立させていったのではないでしょうか。村里であったおばさんはぶなは役に立たない木だから(しょうがなかった)といっていましたが。

 あちこちの村を訪ねたり、彼岸まで海洋プールで浮かんだりして僕は元気をたくさん貰いました。高校生になってもまだ、父についてもぐりに行っていた僕のことです。そのひ弱さを良く知っているので、人生の最後のときまでこんな機会を与えてくれたのかもしれません。「命ある限り生きなきゃならない」。父に聞いた最後の言葉です。今年4月のことでした。父は自分に言い聞かせながら僕を励ましてくれたのでしょうか。
 
 先日の稲刈りの様子が写真で紹介されています。
 http://www.neconote.jp/gc/p070923yonegaoka/


最新の画像もっと見る

コメントを投稿