4日から7日まで伊豆高原で過ごしました。ここには公立学校共済組合のホテル伊豆高原という保養所があり、若いときから利用してきました。定年後は10年間、年金生活者でもゆったり過ごせるサービスを受けられるので、気分転換に出かけたのです。
川越から西武新宿線、小田急線と安い私鉄を乗り継いで小田原へ。熱海までの東海道線で駅弁の昼食、2時頃には伊豆高原に着き、足湯に浸っているとホテルの車が迎えに来てくれます。昼寝をして、露天風呂にはいる。是で一日が終わりです。
5日は海洋公園から海沿いの道を八幡野という漁港めざして歩きます。蓮着寺をすぎると急に人影が消えます。大島を左に見ながら、岩に砕ける波の音を聞きながら進むのです。やまももの大樹が生命のちからを分け与えてくれます。昨年、抗ガン剤の治療のあい間にここを歩いたとき、タブの木の幹の周りをかじって傷つけるリスの姿に気づきました。おが屑のようなものが散らばっているので注意しているとリスの作業を目撃することができたのです。不思議なことにリスはタブの木のみを選び、しかも気に入った木を下から上までかじっています。長年にわたる作業の痕跡が木肌に傷跡のように残っているので誰にでもわかります。
太田区立雪谷小学校6年生の一行と出会いました。この付近に大田区の施設があり、ここを歩くのが野外学習の定番とか。落伍グループとおぼしき子どもたちに妻がリスの話をしています。先生が台湾リスは悪いことをしますねといっていました。悪いことかどうかはともかく、子どもたちが海辺の森を歩く楽しみに気づくといいのですが。
タブは僕の田舎では「どうねり」といいます。1973年に岩手県田老の「タブの木荘」という国民宿舎に泊まったとき、気づいたことです。黒潮の影響か、故郷の植生とあまり変わらない北国の海岸に懐かしさを感じたものです。
昼過ぎに橋立の吊り橋にたどり着いたので弁当にします。この日の午後はバスで一碧湖にいき、アシの茂った湿地の周りを歩きました。
気分転換というのは不思議なものです。うちに居るとできない(しない)ことができるようになるのです。一日中、歩いても爽快です。
夕食時にいやなことがありました。一人の女性がかかってきた携帯電話で話をします。その大声で静かでゆったりした気分が破壊されます。しかも、その人の顔が離れては居ますがぼくの正面に見えるのです。この人は60年も生きて、人々の中で生きる最低の気遣いも身に付いていないのでしょうか。友人なのか、夫なのか、グループの誰も注意しません。
心が傷つけられるような不愉快な気分で、食事を終えて立ち上がったとき、今度はその女性が自分から電話をかけ始めました。僕は思わず、みんなの目の前で、くだんの女性を指さして一喝してしまいました。何を言ったかは覚えていませんが反省なきものへの指弾です。この一件で「静養」は吹っ飛んでしまいました。翌朝、宿の方が「ありがとう」を言ってくれました。当の本人はみんなに謝ることもせず、何食わない顔で食事後、出発したようです。
保養所があることによって僕は助かっています。宿の人たちもとても親切で、いい雰囲気なのです。利用する人に特別のことは求めません。間違ったときには謝ってくれればいいのです。それができない人には断固として反省を求めてほしいとアンケート用紙に書いて提出しました。
6日は下田を訪ねます。通りがかった大安寺で16烈士の墓を見ました。薩摩・佐土原藩士が材木を江戸に運ぶ途中、嵐のため、積み荷を捨てたことが罪に問われ、少年を含む16人全員が自決したというのです。故郷で葬式を出すことも禁じられたとか。歴史の事実に怒りがわいてきます。
妻が開国博物館にいきたいというので寄ってみたのですが僕には高いだけで苦痛。館内のベンチで休む始末です。こういう箱ものはもともと苦手のところにきて、検証や説明を抜きにものを並べられても退屈なだけなのです。プチャーチンがバルト海のクロンシュタットから喜望峰を回って来たという航路図だけが記憶に残ります。恥ずかしながら、僕の頭の中では沿海州あたりから来たようになっていたのです。
城山に登るとどんどん元気が出てきました。紫陽花の山です。青い空、紺青の海。本丸跡に立つと下田港の展望も見事です。紫陽花はこれからが盛りです。暇がある方におすすめです。本当に全山が紫陽花山、しかも、ただ。おおらかで気分良し。
水族館の横から和歌浦という名の付いた海沿いを歩きました。下田港外の鏡のような入り江です。橋が架かっているのでわたってみた雁島には遭難した人々の供養のために建てたお地蔵さんが並んでいます。外国人の墓石のようなものもあります。ちょうど白人の家族と出会ったのですが興味はなさそうです。
ペリーが上陸したという所に出ました。この町ではペリーが開国の恩人とのみ喧伝されているようです。ペリーロードと名付けられた古い町並みを歩いたあと、朝から目をつけてあった30円也の甘夏かんを一個買う。ぎりぎりで間に合った電車で早速、賞味。是がまた美味。
7日。宿の後ろの大室山に挨拶をする気持ちで登ったあと、往路と同じ途をかえる。途中、妻が真鶴で下車してなじみの店で塩辛を買う。僕はホームのベンチで一休みして待つ。今度は甘夏かんを4個買ってきてくれました。
川越から西武新宿線、小田急線と安い私鉄を乗り継いで小田原へ。熱海までの東海道線で駅弁の昼食、2時頃には伊豆高原に着き、足湯に浸っているとホテルの車が迎えに来てくれます。昼寝をして、露天風呂にはいる。是で一日が終わりです。
5日は海洋公園から海沿いの道を八幡野という漁港めざして歩きます。蓮着寺をすぎると急に人影が消えます。大島を左に見ながら、岩に砕ける波の音を聞きながら進むのです。やまももの大樹が生命のちからを分け与えてくれます。昨年、抗ガン剤の治療のあい間にここを歩いたとき、タブの木の幹の周りをかじって傷つけるリスの姿に気づきました。おが屑のようなものが散らばっているので注意しているとリスの作業を目撃することができたのです。不思議なことにリスはタブの木のみを選び、しかも気に入った木を下から上までかじっています。長年にわたる作業の痕跡が木肌に傷跡のように残っているので誰にでもわかります。
太田区立雪谷小学校6年生の一行と出会いました。この付近に大田区の施設があり、ここを歩くのが野外学習の定番とか。落伍グループとおぼしき子どもたちに妻がリスの話をしています。先生が台湾リスは悪いことをしますねといっていました。悪いことかどうかはともかく、子どもたちが海辺の森を歩く楽しみに気づくといいのですが。
タブは僕の田舎では「どうねり」といいます。1973年に岩手県田老の「タブの木荘」という国民宿舎に泊まったとき、気づいたことです。黒潮の影響か、故郷の植生とあまり変わらない北国の海岸に懐かしさを感じたものです。
昼過ぎに橋立の吊り橋にたどり着いたので弁当にします。この日の午後はバスで一碧湖にいき、アシの茂った湿地の周りを歩きました。
気分転換というのは不思議なものです。うちに居るとできない(しない)ことができるようになるのです。一日中、歩いても爽快です。
夕食時にいやなことがありました。一人の女性がかかってきた携帯電話で話をします。その大声で静かでゆったりした気分が破壊されます。しかも、その人の顔が離れては居ますがぼくの正面に見えるのです。この人は60年も生きて、人々の中で生きる最低の気遣いも身に付いていないのでしょうか。友人なのか、夫なのか、グループの誰も注意しません。
心が傷つけられるような不愉快な気分で、食事を終えて立ち上がったとき、今度はその女性が自分から電話をかけ始めました。僕は思わず、みんなの目の前で、くだんの女性を指さして一喝してしまいました。何を言ったかは覚えていませんが反省なきものへの指弾です。この一件で「静養」は吹っ飛んでしまいました。翌朝、宿の方が「ありがとう」を言ってくれました。当の本人はみんなに謝ることもせず、何食わない顔で食事後、出発したようです。
保養所があることによって僕は助かっています。宿の人たちもとても親切で、いい雰囲気なのです。利用する人に特別のことは求めません。間違ったときには謝ってくれればいいのです。それができない人には断固として反省を求めてほしいとアンケート用紙に書いて提出しました。
6日は下田を訪ねます。通りがかった大安寺で16烈士の墓を見ました。薩摩・佐土原藩士が材木を江戸に運ぶ途中、嵐のため、積み荷を捨てたことが罪に問われ、少年を含む16人全員が自決したというのです。故郷で葬式を出すことも禁じられたとか。歴史の事実に怒りがわいてきます。
妻が開国博物館にいきたいというので寄ってみたのですが僕には高いだけで苦痛。館内のベンチで休む始末です。こういう箱ものはもともと苦手のところにきて、検証や説明を抜きにものを並べられても退屈なだけなのです。プチャーチンがバルト海のクロンシュタットから喜望峰を回って来たという航路図だけが記憶に残ります。恥ずかしながら、僕の頭の中では沿海州あたりから来たようになっていたのです。
城山に登るとどんどん元気が出てきました。紫陽花の山です。青い空、紺青の海。本丸跡に立つと下田港の展望も見事です。紫陽花はこれからが盛りです。暇がある方におすすめです。本当に全山が紫陽花山、しかも、ただ。おおらかで気分良し。
水族館の横から和歌浦という名の付いた海沿いを歩きました。下田港外の鏡のような入り江です。橋が架かっているのでわたってみた雁島には遭難した人々の供養のために建てたお地蔵さんが並んでいます。外国人の墓石のようなものもあります。ちょうど白人の家族と出会ったのですが興味はなさそうです。
ペリーが上陸したという所に出ました。この町ではペリーが開国の恩人とのみ喧伝されているようです。ペリーロードと名付けられた古い町並みを歩いたあと、朝から目をつけてあった30円也の甘夏かんを一個買う。ぎりぎりで間に合った電車で早速、賞味。是がまた美味。
7日。宿の後ろの大室山に挨拶をする気持ちで登ったあと、往路と同じ途をかえる。途中、妻が真鶴で下車してなじみの店で塩辛を買う。僕はホームのベンチで一休みして待つ。今度は甘夏かんを4個買ってきてくれました。
以前、電車の中でたばこを吸っていた二人組に注意をしたことがありました。このときは電車を降りてからも付きまとわれ、駅員さんも助けてくれず、怖い思いをしました。
また、電車の中でたばこを注意した人が絡まれていたので、「悪いのはあなたでしょう」と言ったら、外に連れ出され、顔を殴られたこともありました。いずれの時も、周りには人がいたのに誰も助けてはくれませんでした。
「小さな親切大きなお世話」といった個人主義がはびこり、他人の行動や周りの不正に無関心、という雰囲気が日本中に蔓延しています。昔のようにうるさいおやじが若者に文句を言うということもなくなり、物分かりのいいおじさんやおばさんが「若者だからありがちなこと」と、若者の歓心を買おうと若者に媚を売ったりしています。
勇気を持って悪いことは悪いと注意された行動に敬意を表します。一人ひとりの小さな行動の積み重ねが世の中を少しずつ変えてゆくのだと思います。
ブログの本題とは直接関係ないコメントでしたが、お許しください。良い旅をなされて良かったですね。
海洋公園から橋立の吊橋まで、あのアップダウンを半日で歩かれたのですか。私もずっと前の正月に、橋立の吊橋からボラ納屋まで歩いたので、まだ1年半という時期を考えると、想像を絶します。先生の気力には脱帽ですが、ちょっと心配になってしまいます。
matumotoさんのようにボラ納屋から八幡野まで歩き通すのは一寸無理です。此の道を歩くのはホテル伊豆高原ができてまもなくからですから、親しみのある道になりました。