心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

なぜなんだろう

2017年06月12日 | ほんのすこし
今朝方、4時頃一度目が覚めました。まだ起きるには早いなと思ってまた眠ろうと思ったのです。

そして・・・
目の前に弟がスッと立ったのです。
「あれ、○一! どうしてここに? 母さん!母さん! ○一だよ。○一がいるよ!」と叫んでいました。

これは絶対母を呼ばなくちゃって思ったのです。母さん、元気だよ、元気になって帰ってきたよって。

その肝心の弟はというと、何も言わず微笑んでいるのです。どこかで見たことのある姿だなあと思ったら、弟が仕事していたワンディシェフの店でした。
そこでハッと気がついたのです。
これは夢なんだ、と。

夢の中で泣いていました。うれし涙でした。帰ってくるはずのない人なのに、帰ってきてくれたと、それがなぜかとてつもなく嬉しいことで、天と地がひっくり返ったぐらいの驚きで、当たり前ですよね。
でも夢はそんなことも夢ではないように感じてしまうのかもしれません。
弟はただ笑っているだけで、何をするでもなく、わたしは母を呼びながら弟の周りをピョンピョン跳びはねていました。

母さん、遅いよ。と思ったとき目が覚めました。

弟はなぜ夢に出てきてくれたのでしょう。今までそんなに夢に現れることはなかった弟です。ただ立っているだけでしたが、なぜか今朝方の夢はとても鮮明で、何かを言いたげな顔をしていたように思えたのです。
5時半に起き、そのまま歩きに出かけました。雨が降りそうな暗い空でしたが、わたしはウォーキングの間中、周りの景色やどんな花が咲いているだろうかとか、そんなことに目もくれずただひたすら今し方見た夢のことだけを考えながら歩いていました。
弟がなぜ夢に現れたのか・・・
わたしの心の中に昨日何が残っていたのか、考えても考えてもわかりませんでした。

ただ弟が静かに微笑んでいてくれた、それだけがなんだかホッとしたのです。
あぁ、BGMが・・・ もうドミニク・ミラーのギターが切なすぎます。弟の姿と一緒に泣いてしまいそうです。
悲しくて泣くわけじゃないけど、いないことへの渇望があるのかもしれません。

逝ってしまってから五年目の夏がやがてやってきます。季節は巡るけど、あの年の夏だけは今も特別な夏だと残された人たちは思うのです。
弟よ、夢に出てくれたのはなぜ?
その答えを聞けないもどかしさを感じながら今日は一日過ぎていきそうです。


ちょっとだけ虹

2017年06月12日 | ほんのすこし
土曜は変な天気でした。朝から雨が降ったかと思うと急に晴れたり、出かけようと車まで歩いているうちにバーッと降ってきたり。
同じ市内を運転している途中で雨が降っているところを過ぎるとカラッと晴れていたり。
めまぐるしく変わる天気でした。洗濯物を外に出していた方はいないかと思いますが、それでも出していたらならひっきりなしに出したり引っ込めたりがあったことだろうと思います。

そんな天気でも母の所から戻ってくると向こうの空に見慣れないものが。
あら~、珍しい。
最近、とみに見かけなくなった虹が南の空に出ていました。それも厚い雲の合間に。

なんだか嬉しくなってパシャ。

虹を見ると嬉しくなる、わたしだけかと思っていたら、昨日のゴスペルレッスンで隣にいた彼女がニコニコしながらスマホの画面を見せました。
見てみて、昨日見つけたのよ。
それはまさしくわたしも見つけて喜んだ虹でした。
あら~、わたしも見つけて写したのよ。
ふたりでフフフと笑い合ったのでした。

なんだか虹を見つけて嬉しくなるってわたしだけじゃないんだって。
そういえば母と見つけたときも二人ではしゃいだことを思い出しました。
虹って皆を嬉しくさせる究極のアイテムかもしれないなと思ったわたしでした。

母のイチゴが色づいてきました。もう少しでわたしの口に入るでしょう。



たくさん実がぶら下がっています。



よく忘れずに毎年このプランターで生まれてくれるなあと感嘆しています。
生命力、あるよね。