心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

なんてこった!

2017年06月18日 | 母のこと
今日は午前二時に起き出してから、ぐだぐだなスタートだったわけですが・・・

お昼過ぎに買い物し、そのまま母の所に。そっと入っていくと母も叔母もお昼寝中。台所に荷物を置き、中身を出しているとその音に気づいたのか、母が起き出してきました。
台所の椅子に座り、午前中に何をしていたかを説明。ご近所さんに頼んで冬でも水道管が凍らないようにしっかりとした準備をしたということでした。叔母もその手伝いをしたので疲れていただろうと。二人で静かに話していました。
わたしが買ってきた大きな蕪とキュウリを切り、それぞれに塩を振っていると母が
「すごく良く出来ているから裏を見てきたら」と言うので、これが終わったらねと。
そうしているうちに叔母も目を覚まし。
三人で午前中の成果を見に外へ。

さすがご近所さん、仕事師です。綺麗な仕上がりに母も大満足な顔でした。今までは冬が来るたびに裏を囲って水道が凍らないようにしなくてはならなかったのですが、これなら通年なにもせずとも大丈夫です。
最近、母はこうした家の外回りとか自分がもう出来ないことをわたしが何年もやらなくてもいいようにと万全を期しているように思えます。わたしにいらぬ迷惑をかけたくないという思いなのだと思ってみています。ちょうど叔母もいるので、なんでも頼んでいるみたいです。叔母には悪いなと思っていますが、母にとっては自分の妹の方が頼みやすいのかななんて思ったり。
子供に遠慮しなくてもいいのに、って思うのですが、どうなんでしょ。

裏を見終わって玄関に来たとき、昨日叔母と二人で玄関前のモミジと大きな柘植の木の剪定をしたことを思い出しました。母が
「やってもらってスッキリしたねぇ」と目を細めていましたが、玄関の左側の庭先にある少し小さな柘植も剪定が必要だと思ったらしく(もちろん私もそう思っていましたが)「あっちがいいとこっちが余計変に見えるねぇ」と言いました。暗にこっちもやってほしいということなのでしょう。
私もやろうと思っていたところなのですぐさま車庫から剪定はさみを持ち出して、ばさばさと。
手前は上手くいったのですが、後ろ側はお隣さんの方からでないと出来ません。なるべくお隣さんの敷地に入らずにチョキチョキしたかったので、玄関前の側溝に足をかけてチョキチョキしていました。その側溝、わたしが足をかけていた部分数枚が木の板でした。何度かそこに立ってはさみを入れていたのです。
そしてもう終わりにしようか、と少し離れてみたときに(離れてみると切るべきところがわかります)まだ切り残したところがあることに気づきました。そこでまたその板の上に立ってチョキチョキしようとしたそのとき・・・

なんということか、その板がわたしの体重の重みで割れてしまったのです!
私の右足が側溝にズボッと入り、左足は別の板の上に。不幸中の幸いは持っていた大きな剪定はさみが閉じたままだったということでした。
母も叔母も唖然とした顔で。
わたしがどこか怪我をしたのではないかと思ったらしいです。
怪我ということもなかったのですが、なんと穿いていたジーンズ(しかもお気に入り!)の右足後ろが裂けていたのです。まさか裂けるとは。穿いていた短い長靴は水浸し、それでもまだ流れていた水が少なくて良かったのですが。

明日になったら右足のどこかが黒く変色しているでしょう。痛みはその日ではなく次の日とかに出るようになったので、明日が怖いですね。願わくば何もないことを・・・
腐って崩れた板を見たら、側溝の両脇の上にシロアリの幼虫が沢山いました。ギョギョギョっです。
それを見た母が、わたしたちが外にいる間中、上の方でスズメや他の鳥が鳴いていたので
「この虫をあのスズメたちが食べてくれると一番いいんだけどなあ」と話していました。スズメにとっては好物かもしれませんね。

「それにしても落ちたのが私で良かったよ。母さんや叔母さんだったら大変だったね。どこか怪我していたかも。やっぱり体重が一番多いってことだわ」というと、母も叔母も
「わたしたちはそこは危ないから絶対歩かないし、避けて通るよ」と口を揃えて言ったのでした。
おいおい、それなら私がはさみを持って立っていたら一言危ないって教えてくれてもいいんじゃない?(笑)
母も叔母もまさかわたしが落ちることまでは想像してもいなかったのでしょうね。

なんというか、今日って大変な一日だったのかな。
でもわたしだったからまだこのくらいで済んだのかも。もう少しお年寄りだったら・・・そう考えると結果オーライなのかもしれないね。


山菜シーズン

2017年06月18日 | ほんのすこし
山菜シーズン、といってもわたしは採りに行くわけではないので地元のお店とか人からのもらい物になります。
今年はいつもよりも山菜の種類を多く食べていないなあと思います。もうボンナとかシドケとかの時期は終わってしまいましたが、それを食することなく終わってしまいました。今は根曲がり竹という地元で見られる孟宗竹とは違う細いタケノコが出ています。小さい頃からこの細長いタケノコを食べていたので、タケノコというとこの根曲がり竹がタケノコだとばかり思っていました。大きくなって世の中には全然違う孟宗竹というのがあって、それがいわゆるタケノコと言われているのだと知ったのです。でも、わたしの中ではタケノコといえば、こっちの細いタケノコがタケノコです(笑)。

そのタケノコ、近年大変な事態になっています。
特に昨年はタケノコ採りに行ってクマに襲われ亡くなった方が数名いました。それでも入山してタケノコを採ることは止められないと取材に応じた方が話していましたが。
そんな危険を伴ってまでも採ってきてくれたタケノコをお店で買い、こうして豚汁にして食べる・・・ 今後クマがもっと出てきたらこのタケノコももっと希少価値になっていくのかな・・・ そんなことを思いながら味わって食べました。
豚汁にはそのときどきの野菜を入れますが、今回は山菜のミズも入れました。ミズは豚汁に入れると食べたときにツルッとした感じが少しあって、シャキシャキ感とツルっがなんともいえずいいのです。
残ったミズはショウガの千切りと鷹の爪を入れて浅漬けに。わたしはこれが大好きです。

ミズは採れる期間が長いと言います。店頭にもしばらく置かれています。これは緑色ですが、根元が赤くみずみずしいとその赤い部分でミズタタキという料理を地元では好まれます。わたしはあまり好きではないので作りませんが。好きな方はミズはミズタタキでなくては! という方もいるようです。小さい頃に朝台所からまな板に響く包丁のトントントンという音がしばらく続くと、あ・・・ ミズタタキかあ、と思ったものです。ご飯に乗せてかきこむ感じを思い出しました。
ご飯に乗せてかきこむ、ということならわたしは母が作る「とろろ汁」の方がずっと好きでした。ほんとに何杯でも食べたくなる、そんな美味しさでした。あぁ、なんだか食べたくなってきました。そういえばしばらく食べていません。
今日、行ったら作り方を再度確認しようと思います。
大きなすり鉢でごりごりと沢山作ってくれたことを思い出します。

近年はスーパーに行けば野菜は一年じゅうあります。何がいつ旬なのかわからない感じになるときもありますが、やはり旬に食べる味というのがありますね。その最たるものが山菜かなと思っています。

豚汁、ミズの漬け物、美味しかったです。
ごちそうさまでした♪


目が覚めてしまった

2017年06月18日 | ほんのすこし
午前二時に目が覚めて、昨晩録画していた『ボク、運命の人です』の最終回が気になり起き出した。
で、そのまま見終わってからも『ソースさんの恋』を見てしまい・・・ だんだん目がランランとしてきて。
いったん見終わったら寝ようと思っていたのに。

でもたぶん寝ると思う(笑)。
なんたって今日は日曜日だし。
といっても普段も平日・日曜関係ないくらいの生活だけどね。

昨日はすごく調子良かったのになあ。こんな感じでフェイントがあると体調が崩れてしまう。自分に甘いんだな、きっと。

今日はバラ園公開最終日だと思ったから行って見ようかなと思ったけど、こんな調子では無理かも。
そんなマイナス思考になってしまいがちに。夜中に起きるとろくなことにならない。ぐだぐだついでにあれこれ考える。
テレビに毒されているなあ・・・ テレビがなかったらわたしどうなっていたんだろ。

小学校時代はテレビもあったけど、わたしはテレビより本だった。図書館から借りてくる本ばかりに夢中になって、母や弟がテレビを見ていても本を読むのが好きだった。そんなわたしを見て母は心配になったようだった。参観日に先生に相談した。家の子は全然テレビ見ないんですけど・・・ って。先生が笑って言ったそうだ。普通は本を読まなくて困るという相談が多いんですよ、と。
それが今はどうだ。朝から晩までテレビ漬け。一体わたしのどこに昔テレビなんて必要なかったことが見受けられるというのだろう。

それでも、もしこれからテレビの無い生活を余儀なくされたとしても生き延びることは出来るだろうなと思う。テレビに変わる媒体があるだろうと予測するから。
もちろん情報の早さに違いは出るだろうけど。その情報すら本当に必要なものなのかどうかという問題もあるし。

最近目が疲れているのか、目の違和感が半端でない。昨日も母に指摘された。これってパソコン? それともテレビ? それとも・・・

とめどなくあれこれと。
昨日、叔母が「トム」の話はどうなったの? と聞いてきた。
面白い話が書けるというのはすごいと言われ、やっぱりトムは書いて良かったと思った。誰が読んでも面白い話、それが一番なのだとも。それなら今自分が書いているものは・・・違うなあ。なんだか疑問がふつふつと湧いてきた。自分が面白いと思えない話を書いたって他の人は全然面白いと思えないだろう。一体何を書きたいの? そんな気分。
もう一度、最初から考え直してみよう。例え期限とか間に合わなくても自分が書きたいものに挑戦することが大事だと思った。

あらら、早く寝ようと思ったのに窓が少し明るくなっている。
どうしよ。寝ようか(はたして眠れるかどうか)・・・