心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

自分という奇跡

2017年06月24日 | 朝のことば&つぶやき
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いつか通り過ぎた日を思い出すことがあるでしょう
そこにあなたは確かにいて
そこであなたは静かに笑ってる

いや
ひそかに泣いていたかもしれません

どんなに泣きたくても
我慢してやり過ごしてきたこともあったかもしれません

何もしたくなくて
そんな自分が嫌になって
この世に自分なんて必要ないと思いつめたこともあったかもしれません

でも
いつかそんな自分がいたんだなあと
それでもこうして生きてきたんだなあと
思える日が
必ずやってくるのは

自分がこの世に生を受けたことが
奇跡以外のなにものでもないという衝撃が
体中を駆け巡るときがあるから

そのときは理もなく突然やってきて
自分という存在が
たったひとりの他とは比べることのできない存在なのだと
感じる瞬間があるから

たぶん
わたしたちはこの世に生まれたときから
奇跡の存在だと知るように作られているのだろう

それが新しい自分が生まれる瞬間でもあると思えてならない

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なんという花、樹なのだろうか。一本の樹で花の色がこんなにも違うとは。

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女三人、問わず語りする

2017年06月24日 | ほんのすこし
女三人、母と叔母とわたし。
それぞれちょうど10歳以上の年齢差で、三人が一緒の家に住んだ時代の話をしていました。
叔母は若い頃から姉である母の家に一緒に住んでいたのです。それはわたしが幼いとき、二歳か三歳頃からだったのです。その当時住んでいた町では一緒にいたという記憶が全然なく、わたしが小学校に入る少し前に移り住んだ町で一緒に住んでいたとばかり思っていました。

昨日はそのわたしが思い出せなかった時代の二歳か三歳頃の話になり、叔母がその当時のことを話していると、母が
「あのときはびっくりしたなあ」と。
わたしの弟○一を産むというので、母の実家にわたしを連れて里帰りしていて、妹である叔母を家に置いてきていたのです。叔母は母の家の近くの学校に通っていたのでした。
父は朝早く仕事に出るので、叔母は不安になり、どこをどうやって行ったのか今は思い出せないけど自分の親がいる(母が里帰りしている)家に戻ったのでした。妹が目の前にやってきたので本当に驚いたと話していました。

それから叔母が結婚するまでどんな道をたどったかを母と語っていましたが、ところどころ母が覚えていることが違っていて、事実を付き合わせるのに二人で首をかしげたり、笑ったり。
母にしてみれば遙か遠くの昔、覚ろげなのもわかります。

「自分たちの若い頃ってすごく大変だったってことはあるけど、どんな風に過ごしてきたかは案外忘れているもんだね~」と三人で言いました。わたしが
「忘れているというよりも、ちゃんと記憶にはあるけど、それを思い出さなくてもいいくらい今がいいんじゃないの?」と言うと、母も叔母も口をそろえて
「そうだなあ。今がいいから思い出して悩むこととかしなくていいんだろうなあ」と。

母も叔母もそれぞれ苦労を抱えて生きてきただろうに。辛かった日々のことはすっかり忘れたかのように笑ってやり過ごしています。笑い話にできるのが生きてきた証拠だと。
その当時は無我夢中でなんとしてでも生きていこうと、家族を守ろうと、そう思っていたのでしょう。自分の居場所を守りたいと思う気持ち、それが親となって生きる原動力になっていたんだなあと思います。
自分もかつてあんなに一日が24時間以上あってほしいと思った多忙な日々をどんな風にやりくりして生きていたのか、思い出そうとしても所々がぼんやりして思い出せません。辛かったことも沢山あるはずなのに、後悔したいことばかりが沢山あったのに、そのことだけに目を向けずに今はこうして穏やかな気持ちで過ごしています。

渦中にあるときは時間の過ぎるのが遅くて、なんとかして前に進もうと思っていた気がします。今日をやり過ごせば何かが見えてくる・・・ 諦めずに・・・ そう思わずにいられなかった日々もありました。
でも今考えると、あんなに苦しかったことよりももっと若い幼い頃の親に守られて育った頃のことの方が懐かしく優しい気分に思えるのです。
そんな親の気持ちをないがしろにして生きていた時代もありました。

今になって親のありがたみを感じているなんて、遅すぎるなあと思うのですが、若い頃はそれが若いってことなのかもしれません。
人間はうまく出来ているなと思います。月日が経つにつれて周りに目を向ける、その目が育つということ、幼い頃には幼いままの、年を取ってからは年取ってからの人間だけが味わう良さがあるのでしょう。

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紫陽花が少しだけ色づき始めました。

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