昨日は、珍しいお客様が母のところへ。
わたしの年上の従姉妹が叔母がいるうちに会いたいからとやってきました。事前に来ることは知っていましたので、お昼を一緒に食べようとお弁当を買っていくことにしました。お弁当を準備するのはわたしの役目です。すでに従姉妹は来ていました。
ずっと従姉妹がわたしよりどのくらい年上なのかなと思っていましたが、昨日初めて二歳年上だということがわかりました。
なんとなくわたしの頭の中ではずっと上のような気がしていました。というのも小さい頃、従姉妹がとても大人びてみえて、いつも凄いなあと感心してばかりだったからです。社交的で自分にはできないことをスイスイやってしまう、そんな印象があって、ずっと上のような気がしていたのです。
わたしが中学生の頃あたりから彼女と会うことは疎遠になっていました。早くに都会に出ていってしまった彼女がたどった人生は波瀾万丈そのもので、彼女がどう生きてきたかということは最近になって、母や当人から聞いてわかったのです。そして自分のことや昔のことを話術巧みに話す彼女に、母も叔母もわたしも聞き惚れていました。
ときどき愛の手(合いの手)を入れるのが、叔母とわたし。ピンポイントでいい言葉を挟むのが母。
従姉妹は今、実家である自分の兄の家に戻ってきています。遠くに住んでいたのですが、旦那様が亡くなり、子供も遠くに住んでいて、ひとりで住むよりは・・・と、戻ってくることに。
母の実家でもあるその家を将来、従姉妹の子供が継ぐことで家系が繋がっていくことになります。
その点、母も叔母も安心したねと話していました。
まあ、その話が実現するのはずっと後になるのでしょうけど。それでも従姉妹が実家に戻り、兄や母親と一緒に暮らすことは互いの間にできた川を乗り越える(時間を飛び越える)ことになるのかなあ、とも思います。
彼女が話す内容は深刻なことも多々ありましたが、それを笑いに変えていくのは叔母でした。
四人の笑い声がずっとずっと外に聞こえていただろうなと思います。ほんとにお腹の皮がねじれるってこういうことなんだなと思えるほど笑った一日でした。
彼女がどんなに周りの人に助けられて暮らしてきたかを話します。困っていると助けの手をさしのべてくれる人が沢山いたようです。それは彼女が周りの人とどんな風に接してきたかを物語ることです。わたしたち三人は、それは彼女の誠実さが生んだ結果なのだろうと思って聞いていました。人に対して(例えば金銭の貸し借り)きちんとした行動をとってきたこと、決してルーズなことをしてこなかったこと、そんな話を聞きながら周りの人に可愛がられてきたんだなと感じました。
従姉妹は話の途中でときどきアカペラで演歌を数曲歌いました。叔母とわたしがヤンヤヤンヤと手拍子をいれたり。芝居がかったことをしたり。もう芸達者です。亡くなった従姉妹の父親がそういう方だったと、やっぱり似ているねと言われてすごく嬉しそうな顔をした従姉妹でした。
夕方、電車で帰るからという彼女をわたしが自宅まで送っていくことにしました。往復40分ぐらいかな。
途中で買い物をしたいというので、スーパーに寄り、兄と母親のためにお刺身とかを買いだしている彼女を見て、やっぱり家族のことを考えているんだなと思っていました。なんだかんだ愚痴をこぼしてもやっぱりね、って。
車中、隣で昔わたしが彼女と遊んだときのことやら、わたしの弟のことやら彼女の話はとめどなく、ほんとに楽しい時間でした。
思い出が蘇る、鮮やかに蘇る、いつもの人たち以外にひとり加わるだけで思い出の幅が広がる、そんな気がしました。
従姉妹と来年は叔父も呼んでまた語り合おうと約束しました♪