母は今年誕生日が来ると85歳になる。
自分でもこんな年になるまで長生きするとは思わなかったと、ことある毎に言うのは、長年、二つの持病に悩まされてきたからだろう。わたしが子供の頃もよく病院に通っていた母の姿が目に浮かぶ。それでも昔は痛み止めの薬も効いてくれて、飲むと病気を忘れるくらい動けたものだと言う。もう今は痛み止めなどなんの慰めにもならないのだろう。
そんな病気を抱えた母は、近年とみに動きが緩慢になり、そろりそろりと家の中も歩く。外を歩くのは至難の業でもあり、庭を見てきたりするとそれだけでもう疲れた顔だ。
少しだけ歩く、それだけで疲れるのだから外に行かなければいいのに・・・ と思うが、母にとって庭を見ることは楽しみでもあり、気休めでもあるようだ。庭といっても猫の額ほどの狭い場所だけど、ずっと一人で作ってきた。亡くなった父は庭いじりには無縁な人で家の中で囲碁を打ったり、野球観戦したりといったことが一番好きな人だったから、父に庭のことを頼むのはしなかったようだ。だから父は植物の名前を知らない。人の名前はしっかり覚えているけどね。
人には得て不得手があるもんだと母が言う。「父さんが庭いじり苦手だったから、逆にわたしは好き勝手にいじることができたんだよ」と笑っている。
母の庭にはどれも小さな花ばかり。大きな花はシャクナゲや鉄線くらいだ。
可愛らしい花がいいという。わたしもそうだ。特に母の好きな花は都忘れだと。わたしもそうだ。親子だね、好きな花が同じだね。
薄紫色が好きなのだろう。だから紫陽花もよく植えていた。雨に打たれた紫陽花はいいねぇと嬉しそうに見ている母の姿が目に浮かぶ。
母の好きな色、好きな花。そんなものが目に入るところにあるだけでなんとなく嬉しくなる。目を細めて見入る母の姿はなんだか可愛い。
わたしが台所に立っているときに、叔母とふたりでなにやら話をしている。時折ふたりの笑い声が聞こえてくる。わたしが顔をひょいと出すと笑っていた二人がわたしの方を見る、笑った顔のままで。
母の目が三日月のように見える。「笑うと目が三日月になるね。見ているだけでなんだかこっちも笑いたくなるよ」と言うと、母が「そうかあ? 三日月みたいだってが?」ときょとんとした顔をするのを目の端に入れて、わたしはまたガス台に向かう。わたしの後ろでまた叔母と二人笑う声が聞こえてくる。
あぁ、こんな何気ない時間が好きだ。
母が好きな都忘れ、まだまだ咲いていてほしい・・・
自分でもこんな年になるまで長生きするとは思わなかったと、ことある毎に言うのは、長年、二つの持病に悩まされてきたからだろう。わたしが子供の頃もよく病院に通っていた母の姿が目に浮かぶ。それでも昔は痛み止めの薬も効いてくれて、飲むと病気を忘れるくらい動けたものだと言う。もう今は痛み止めなどなんの慰めにもならないのだろう。
そんな病気を抱えた母は、近年とみに動きが緩慢になり、そろりそろりと家の中も歩く。外を歩くのは至難の業でもあり、庭を見てきたりするとそれだけでもう疲れた顔だ。
少しだけ歩く、それだけで疲れるのだから外に行かなければいいのに・・・ と思うが、母にとって庭を見ることは楽しみでもあり、気休めでもあるようだ。庭といっても猫の額ほどの狭い場所だけど、ずっと一人で作ってきた。亡くなった父は庭いじりには無縁な人で家の中で囲碁を打ったり、野球観戦したりといったことが一番好きな人だったから、父に庭のことを頼むのはしなかったようだ。だから父は植物の名前を知らない。人の名前はしっかり覚えているけどね。
人には得て不得手があるもんだと母が言う。「父さんが庭いじり苦手だったから、逆にわたしは好き勝手にいじることができたんだよ」と笑っている。
母の庭にはどれも小さな花ばかり。大きな花はシャクナゲや鉄線くらいだ。
可愛らしい花がいいという。わたしもそうだ。特に母の好きな花は都忘れだと。わたしもそうだ。親子だね、好きな花が同じだね。
薄紫色が好きなのだろう。だから紫陽花もよく植えていた。雨に打たれた紫陽花はいいねぇと嬉しそうに見ている母の姿が目に浮かぶ。
母の好きな色、好きな花。そんなものが目に入るところにあるだけでなんとなく嬉しくなる。目を細めて見入る母の姿はなんだか可愛い。
わたしが台所に立っているときに、叔母とふたりでなにやら話をしている。時折ふたりの笑い声が聞こえてくる。わたしが顔をひょいと出すと笑っていた二人がわたしの方を見る、笑った顔のままで。
母の目が三日月のように見える。「笑うと目が三日月になるね。見ているだけでなんだかこっちも笑いたくなるよ」と言うと、母が「そうかあ? 三日月みたいだってが?」ときょとんとした顔をするのを目の端に入れて、わたしはまたガス台に向かう。わたしの後ろでまた叔母と二人笑う声が聞こえてくる。
あぁ、こんな何気ない時間が好きだ。
母が好きな都忘れ、まだまだ咲いていてほしい・・・