心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

お散歩

2016年02月19日 | ほんのすこし
お昼前にちょっとだけお散歩に出かけました。
何度か来ているので、ひとりでも歩ける範囲のところを。今日は青空が広がってお散歩びより。しかも風もそんなに強くなく、薄着でもよかったかもしれないと思ったくらいでした。きょろきょろあたりを見回しながら歩いているわたしは、おのぼりさんそのもの(笑)。
公園があります。ここは以前孫たちと来て遊んだ場所でした。



古くて太い木。ゴツゴツした幹がなんともいい感じです。





公園とかでつい見てしまうのはこうした木。ぐんぐん上に伸びている様子を見るのがすごく好きです。ここでも元気をもらいました。

公園のすぐ近くは松陰神社。





平日でしたが、案外いろいろな方が来ていました。


神社の説明でした。



松蔭像、なかなか凛々しいです。



なんとなく可愛らしい椅子、テーブル。



遠くから。



何種類かつばきが咲いていました。
そういえば歩いているとところどころの家の庭で梅が今を盛りに咲いていました。可憐でした。

帰り道の本屋さんで文庫本3冊と絵本2冊、二日前にも同じ店で水彩画集と着物リフォームの本と文庫本3冊買ったばかりでした。すでにそのとき買った『怒り」上下巻は読み終え、新しいものを読み始めているけど、帰りの新幹線でどれを読んでいこうか迷い中。残りは送る荷物に入れておかないと。
今度の旅は荷物を送ったので、かなり道中らくでした。帰りもそうしようと思っています。

本屋さんの帰りには、おいしいと評判のパン屋さん『sudo』に寄って、あれこれ物色。パンはもちろんですが、クッキーもたくさん買いました。これは荷物に入れてお土産に。母のお世話をしてくださった方たちにお礼をしなくてはね♪
それにしても本当に気持ちいい。母に電話したら、向こうは雪が降ったり雨になったり変な天候が続いているとか。
「こっちはわたしが来てからずっといい天気だよ。わたしがそっちに帰ったら天気もよくなるんじゃないの」と笑っていうと、「そうなってくれるといいんだけどな」と母が笑っていました。
毎日、母のところに顔を出してくれたご近所さん、本当に有り難い存在です。
ありがとうって、何回言っても足りないくらいです。

ご近所さんのありがたみを感じる瞬間です。

最後の夕飯は、たこ焼きにしようかと話しています。楽しみ、楽しみ。でもわたしはたこ焼きって作ったことないのです(笑)。今からわくわくしています。


どこだって同じ

2016年02月19日 | ほんのすこし
夕暮れ、保育園へのお迎え。
急ぐわたしの前で踏切がカンカンカン、足止めをくってふと見上げた空、眩しい光をまき散らしていたはずのそのものが、少しの余韻を残して消えて行くところだった。
オレンジ色がにじむように空に広がっていて、群青色の空にかすかな昼の忘れ物を思い出させてくれていた。
地元で見る空もこんなふうだったよなと思いながら、どこで見ても空は空、夕暮れは夕暮れだと感じていた。見知らぬ二人連れが他愛ない会話を楽しみ電車が通り過ぎるのを待っている。傍らに立つわたしとさほど違いはない年齢のようだが、そこには生活感がある。
わたしはここでは旅人のようなものであり、定着感のないふわふわとしたものを一日の終わりがやってくると感じる。たぶん、地元に戻ったら、なんてことない空と町並みに「ここがわたしの居場所」だと思うことで、無理矢理? 安心させるのだろう。

どこで生きるか、どこで暮らすか。
人生の岐路に立ち、数々の選択をしてきた。その都度、自分の居場所を決定してきたのは自分だ。
そして日々の暮らしの中に、どこかで安心するものがないかと探しているのだ。
たとえ、産まれてからずっと同じところで過ごしていようと、転々と移り住んでいようと、見上げる空はこんなふうで同じ空なのだ。

空を見上げた
見上げた空には ひっそりとお月さま
急ぎ足で向かう家 
背中にお月さまのやわい光があたってる
空を見上げた人だけにわかるよう
やわい光があたってる

あくせくと時間に追われるような気がしていたあの頃は、空を見上げることもあまりなくただただ一日をこなすのに精一杯だった。今は? 今はなんだか懐かしい。そんな若い時代があったこと、あの頃に戻れないけど思い出すことは出来る。自分に余裕などひとつもなく、それでも充実していたと思えた、それが若さだったのかもしれないと今になって思う。
若い時代にも今も変わらぬ、空でたたずむものがある。どこにいても見つけることができるものがある。ただ見上げるというだけで、ちょっと心を休ませて明日がやってくる方向を見つめていよう。
さあ、明日は帰る。この空とつながっている空と出会えるだろう。

都会の片隅で

2016年02月18日 | ほんのすこし
化粧を落とした。
まだ水からお湯に変わらないまま、待つのが惜しかったのはなぜだろう。少し待てばぬるま湯に変わっていくのに。
まるで素のままの自分がそこにいなかったということを打ち消すかのように、慌てた様子で化粧落としジェルを塗りこそげとるようにファンデーションを洗い落とした。洗顔料でさらに荒い落とすと、肌が呼吸している気がした。
基礎化粧品をポーチから出すと、旅用にと以前から用意していた携帯用の基礎化粧品セットが出てきた。使い慣れていたはずだったが、新品の携帯用のエキスと書いた文字が見える容器のふたはきつくしまってあり、新鮮な手応えがあった。いつも使っているのに、手の平にぽとりと落とし顔の数カ所に点々とつけたとき、その匂いが違っていることに気づいた。それは昔嗅いだことのある懐かしさを伴って鼻腔をくすぐった。ある種の葉っぱの匂いとでも言おうか、冬の最中に真夏を思わせるそんな新鮮な感覚を覚えた。

新しくなった化粧品です、と宣伝されていなかったか?
これが新しくなったということか。
懐かしさが漂う新しさというものも何か不思議な気がしたが、新しくて古い感覚がまだ自分の中にあるということに驚きを感じていた。この都会の片隅でわたしはひとり、誰ひとり知る人もいない。洗面台の鏡に向かって作り笑いをしてみた。確かに自分だ。少し笑い方がぎこちないが確かに自分がそこにいた。

一日、外に出ないで部屋に閉じこもっていると、せっかく都会に来たのに、どこかへ行って見ればと言われるが、人ごみが苦手だから黙々と作業に徹していたほうが性に合っている。窓から見える空の青さが、どこも同じだということに少なからず驚きを感じながら、都会の空だってきれいじゃないかと。
ほんの少しの日常のフェイントがこの都会への旅だったとしても、何らわたしにとって変化が訪れるとは思えない。確かに身体的にはいつもとは違う痛みもあるが、たぶんそれは一過性のものだ。元の生活に戻れば自然に解消される。
都会の雑踏に立つと、多くの人間が行き交うことに今更ながら驚く。どこから湧いてきたのかと思うほどの人間たち。ここを出てどこへ向かっているのだろう。わたしには行く当てがあるが、行く当てのない人間もいるのだろうか。
都会の片隅でまだ細々と行き急ぐ群れ、その中のたった一人でしかないわたしだが、新しい化粧品の匂いに古い記憶が混ざり合って解け合ったことにわたしだけの秘密を見つけた気がするのだ。

※※※

『怒り」吉田修一著上下巻
刑事物だとばかり読み進めて行くと、徐々に違和感を感じて行く。そこにあるのは人間として信じることがどれだけの意味を持つのかということだ。信じていたものがゆらぐとき、自分のそれまでの人生が変化していく。ひとつの事件はひとつではなく、それぞれの人生をも変えて行く。はたしてそれを無関係だと言い切れるのか、言い切れない何かが最後まで残る。謎解きなどではなく、人間模様の切なさが主体となった見事な小説だ。
テレビを見る時間がほとんどない。というより見る気持ちがわかない。ここへ来て小説を読む時間が増えた。こういう時間もまた楽しいものだ。

※※※


お月さまいたよ

2016年02月17日 | ほんのすこし
昨日、娘の代わりに孫の保育園に夕方迎えに行きました。
初めて孫とふたりだけで帰ります。ちょっとどきどきしました。大丈夫かしら。無事に家まで連れて帰ることができるのかしらって思ったら、どきどき。
保育園の玄関に立つと、孫がわたしを見つけてくれました。うれしそうな顔をしてくれたのでひとまず安心。
荷物を持って、孫の手を引いて歩いて帰ります。
すぐ大きな通りに出ます。信号だけは車の往来が激しいので、抱っこしてわたります。
そのあと歩道を二人で手をつなぎながら歩いていきました。

孫は言葉を結構話すようになり、会話が成り立っているので、話をするのが楽しいのです。
いつも娘と帰る道ではあちこち寄り道する場所があると聞いていましたので、どこかなあって思いながら行くと、なるほど、作り物のわんちゃんだったり、前よりずっと大きくなったメダカたちだったり、スノーマンの大きな照明だったり、植木だったり。それらのひとつひとつに挨拶をして過ぎて行きます。
ふと上を見上げた孫が、
「半分のお月様だね」と。ちょうど半分のお月様が群青色の空で輝いていました。
そのあと孫は歩きながらときどき見上げてはお月様に挨拶を。
ぴかぴかしてるね。
消えたのはどうして?と聞くので、何かなと思ったら、お月様が見える下にビルが並んでいて、窓の明かりが消えているところが結構あったのです。
「お仕事終わったからね、また明日ねっておやすみしたのね」
「そっかあ、おやすみかあ」

はんぶんこのおつきさま、見えないね
もうちょっと歩くと見えてくるよ
そっかあ、もうちょっとかあ

あっいた!

そんな風に何度も見上げてはお月様とお話して帰ってきた孫ちゃんでした。

その後家の中で風船投げをして遊びましたが、投げるときのフォームがなんともいえず面白くて、これを動画にうつしたら楽しいのになあと何度も思ったのでした。
投げるときに「行くよ!」というので、「よろしくお願いします」と言ったら、その宜しくお願いしますという言葉が気に入ったのか、何度も言ってましたが、何度言っても
「よんしくおねがいしましゅ」になり、深々とお辞儀をします。それがまた笑いのつぼにはまってしまい笑いながらのキャッチボール?になりました。」キャッチボールといっても二歳の孫が吹いた風船では小さすぎて風船にはなっていなかったのですが、それでも仮想キャッチボールはなかなか面白いものがありました。

さてさて、今日のお迎えは大丈夫かな。願わくは雨が降らないことを祈ります。
久しぶりにパソコン画面を開きましたが、マックの画面は見慣れなくて入力に手間取ってしまいました。

行ってきますね

2016年02月13日 | ほんのすこし
今回、娘の都合で上京することに。合間に息子のところにもお邪魔することに。
どちらの孫ちゃんにも会ってきます。
どのくらい成長しているのか、会うのが楽しみです。

昨日、母のことをご近所さんにお願いしてきました。
「いつ(頼みに)来るかって思ってたのよぉ」
って言われました。笑って、大丈夫だからって。
なんだかホッとしました。鍵も預けてきました。その方が母も安心だからと。

ご近所つきあい、難しいこともあるようですが、母はずっと仲良くさせていただいています。気さくな方で本当に心配していろいろ手伝ってくださいます。
ありがたい存在、そんな方とおつきあいしてきた母もまた相手として良い存在なのだと思っています。身びいきだといえばそうかもしれませんが。母は案外色々な方とのお付き合いの仕方がうまいのでは? と思っています。そんな母だからか温泉に行っても、若い方でも母のことを優しい目で見てくれている気がします。話しかけられることもたびたびあるようです。
「可愛らしい」と言われるのには、当人びっくりしているのですが、仕草とか話し方とか笑い方とか、そんなことが可愛らしいと思われるのではないかなと思います。見た目よりも中身? そんな気がしています。

無事にお役目を終えて帰ってきたら、すぐにも温泉に連れていこうと思っています。

さて、準備をしましょうか。
眠くなると困るのでコンタクトはやめてメガネです。マスクは必需品ですね。お化粧薄くてすみますから(笑)
娘に言わせると「誰も見ていないから」らしいけど、それでも周りの目がまだまだ気になるお年頃(笑)。
それにしても朝早いと冷え込むのに、向こうは気温が高いらしい。服装、どうすりゃいいのよって悩み中。

スマホから更新できるといいのだけど…… 無理かなぁ。


誰がいたの?

2016年02月11日 | ほんのすこし
朝のゴミ出しに出たら、眩しくて。
冷え込んでいたけど、青空が出ていて気持ちが良かったのです。
庭にある樹、名前はなんだかわかりませんが、その樹はわたしがここに入居して以来11年経ったのでずいぶん伸びました。幹も太くなって、今ではわたしが入っている階の窓からすぐてっぺんが見えるぐらいまでになりました。
たまにその樹のてっぺん辺りで小鳥のかしましい声がするときがあります。
なかなかいいものです。

そんな樹の根元から白い雪の上に二種類の足跡が。
一体誰のあしあとなのなのでしょう。ちいちゃくて、ちょんちょんとついている足跡。細い線が続いてチョンってぽつんとある足跡。きっと朝方、まだ誰も起き出していない頃に遊んでいたのでしょうね。
最近は朝日も少し早めに出てくるようになりましたから。寝ぼすけ鳥さんではないのでしょう。
雪が少ないから、いつもだったら雪に覆われている樹も今年は枝を見せています。格好の止まり木になっています。どこかに餌はないかしらとみんなで情報収集している様子が目に浮かんできそうです。

それでも、これは困ります。



せっかく白い雪が舗道にありましたが、たくさんのカラスのフンで見事な汚さに。
フン街道みたいな雰囲気です。
白い雪が三月の雪解けで溶けて行く様は泥が混じって汚く見えるのですが、それよりもずっと汚いのです。カラスも生きるために仕方ないのでしょうけど、こんなにたくさんのフンを撒き散らかしていかれると、人間は憤慨(フンガイ)してしまうのですよ。

冒頭の可愛らしい足跡を残していくぐらいが、許容範囲かなぁなんて思ってしまいます。


あぁ、苦しかった

2016年02月10日 | ほんのすこし
最近、どうも調子がいまいち。
朝からまたまた失敗。

BSでニューヨークのカウントダウン番組を見ていた。2016年のカウントダウンの前後の人間模様を写しだしたものだったが、映っている人々の顔が輝いてみえた。見ながら片付けをし、ちょっと休憩とばかりに少し前に淹れた珈琲を口に運んだ。

その途端、あろうことかむせてしまった。
むせると同時に口いっぱいに入った珈琲が鼻に逆流。慌てて口を押さえ台所へ。
少しこぼれたものの間一髪でシンクの中に収めることができた。セーターにこぼれた珈琲はすぐ落し、乾かした。

その後が問題。
それからしばらく経つが、いまだに鼻の中がグスグスする。しかもなんとなく珈琲臭い(笑)。
しかもずっと喉が変。咳が頻発。そのたびに鼻の中で珈琲臭。

こんな風にむせるなんてこと、今までなかったから内心かなり動揺している。
これも老化現象なのか?
そういえば母がよく別のほうに水ものが入ったりするとぼやいていたなあ。誤飲がお年寄りにはあるという。今はゼリー状にして薬を飲めるものがあったりする。
わたしもとうとうそのお仲間か? といっても飲む薬はないのでいいのだけど。

まだ苦しいのよ。
鼻も喉も。

こういう苦しみも味わってみないとわからないものね。
ということで、今度からは決してテレビの画面にくぎづけになっているときは口に入れないようにしよう。
ちゃんとカップを見て口に入れるようにしよう。
今日の反省一つ目なり。

それにしても鼻に珈琲とは、汚い話でごめんなさい。

計画するのはいいけれど

2016年02月09日 | ほんのすこし
着々と出発までのタイムスケジュールは進んでいる。
昨日は一日ごとの計画を立て、メモ。

あれ?
今日の予定が…… 夕べどういうわけか9時半には眠くなり、ほんとに珍しいことに布団の中へ。ストンと寝入ったあと、目が覚めたのは1時半。それからまた眠ればいいことを。目がらんらんと輝き、もう寝ていられず。
起き出して録画できていたものを3本も消化してしまった。それから明け方に眠り、目が覚めたときにはすでに8時半。細切れ状態の睡眠では頭がぼぉーっとするのも無理はない。

で、今日の予定だけどね。
朝早くバス停まで歩いてどのくらい時間がかかるかって検証する予定だったの。
すっかり忘れていたというか。なんのためのメモなんだかなって。
しかも今日は寒いよ。歩く? ちょっと悩む、って言っても当日どんな天気でも歩いていくつもりなんだから、こんな寒さにめげていられないよ。
仕方がないから後で歩いてみる。どのくらい時間がかかるか逆算して当日の行動をとらないと。

で、明日までに一つ仕事を片付ける、それも予定に。
明後日は荷物を送る。この荷物が困る。暖かいらしく、友人はTシャツが必要だと言う。そんなことあるのか? セーターを着込んでいるわたしにはそれがピンとこない。着替えをどうするか、それが問題だ。
前日は母のところの最終点検。足りないものはないか確認し買っておく。

で、一番肝心なのはガスとストーブの消化。電化製品のスイッチ抜き。戻ってきたときにストーブが燃えていたなんてことあってはならない(この冬、二回やってしまった。日中だけだけどね)。
あぁそうそう、その日に限って朝起きれなかったらどうしよう。それが一番心配だな。
計画は立てたけど、もうすでに今日から予定消化できていないわたし。トホホ。

ようやくプリンターが…… そしてお願い

2016年02月08日 | ほんのすこし
あぁ。ようやくプリンターが復活!
かなり遅速ではあるけど、なんとか印刷してくれそうだ。ほっ、良かった。
新しいプリンターに買い替えしたのは、昨年12月。以前より格段に印刷する機会が少なくなったとはいえ、それでも要所要所でプリンターのお世話になる。
今年も何度も長文の印刷機会が出てくるかもしれない。それを見越しての買い替えだったが、こんなにもスピードが遅いとは思ってもみなかった。以前のプリンターの性能が結構良かったのだなと思った。しかも給紙トレイの使い方とかも簡便だったし。
ただ、若干プリンター自体の大きさに不満があって、もっとコンパクトなものにしたいという願いがあった。それだけのために買ってしまったのだけど。

まあ、これからなんとか仲良く付き合っていかなくては。
元来、機械音痴というか、説明書を詳しく読まないというか、行き当たりばったりな使い方をする。車だってそうだ。そんなわたしに運転されている車の方がはた迷惑な話だとは思う。丁寧に使ってさえいれば、シートだってハンドルだって、悲惨な状態にならなかったはず。
そのことを母に話したら、
「お前、ハンドルもシートも車が新しいときにカバーを用意するもんだよ」
「えー、そうなの? 今までシートカバーやハンドルカバーを用意するなんて考えたことなかったあ」
「そうだろうねぇ。お前はこれまですぐ別の車に乗っていたから、そんなこと考えるなんておもいつかなかったろうね」
そう言われて、納得。わたしはこれまで支給されてきた車に乗っていたので、案外短いサイクルで新しい車を運転してきたのだった。それが支給される最後の車になった今の車はもう何年も経っている。シートが汚れたりする前にカバーを取り付けたりすることに考えが及ばなかったのだ。といってもカバーは取りつけできない車種だと言われたので、仕方なくクッションを敷いてしのいでいる。

あと数年この車に乗らなくては。返却するときに汚れが目だつままなのが気になるのだけど、いかんせんシートの汚れはとれないらしい。人の手の脂というのはすごいものだとつくづく思う。
いかにもものぐさなわたしらしい結果。今さら後悔しても遅いのだ。

今朝から冬らしい日になった。寒々とした外の光景。白が目立つ。外に出るのが億劫になるが、行かなくては。

※※※

先の記事にも書いたが、心配ごとが。
ずっと読むのを楽しみにしてきたブログが、なんにもないままになっていた。前にもそんなときがあったのだけど、そのときはちゃんと戻ってきてくれた。あのときはほんとに嬉しかった。
あのときのように戻ってきてくれる?
お願い、ろこさん。
ろこさんのおちゃめな文章も、真摯な文章も、心に沁みる文章も、読めないなんて寂しいよ。

エッセイとはこういうものなんだなと改めて襟を正して読ませていただいた数々の言葉。その珠玉のこぼれんばかりの言葉の輝き、その感性の豊さに驚きながら、先を歩く人として憧れを抱いていたのですよ。
どんな言葉でもろこさんが書かれているそのことが読む側のわたしにとって刺激を与えてくれていたのですよ。
お願い、ろこさん。
また、さりげなく飄々と現れて元気な姿を見せてください。

※※※