渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

年齢現象

2024年10月22日 | open
 


年寄りはよー、日曜日の朝
から夕方までの動き回り
筋肉痛が本日にひどく出
りするのよー。
困ったもんだね。


 
 

2024年10月22日 | open



たぬき顔。




ベレーのキノコ被り

2024年10月22日 | open



これぞ、正真正銘の
ベレーの
キノコ被り。

 


広島県尾道の夜景

2024年10月22日 | open



昨夜バイクで夜走りしている
時の西方面への帰還時に観た
尾道の夜景はこんな感じだっ
た。
ずっと見ていたくなるような

夜景。



むう・・・。
店名にまでジャンサー連合
国の
言葉が侵出している。
というか、現在、広島県の
人たちはごく普通に「じゃ
ん」「さー」と「俺」を使
う。
使用法はチャンポンで、
「じゃけぇさぁ、おれが
ぶち言うとったじゃろ。
それでええじゃん」
というような感じ。

そのうちジャロケー国の
「じゃろ」は完全に「じゃ
ん」に変換するのではなか
ろうか。
「わし」はもう消滅しかけ
ている。
今の40才より下の世代は
まずほぼ全員が使わない。

広島県尾道は昼も良いが、
夜もまた良い雰囲気の街。
中国地方で一番古いのでは
なかろうか。古代の大和朝
廷の頃から町が存在した。
当然広島県では一番古い。
広島県の広島、三原、福山
などは戦国時代末期から江
戸時代初期に誕生した「若
い」町だ。
尾道は奈良時代から脈々と
続くとても古い町。
日本の中央政府が仏教を導
入するに従い、寺院が多数
造られて発展したが、元々
は古代瀬戸内海航路の重要
拠点だった。
広めの川よりも遥かに狭い
幅の海の通り道がある。
それを「水道」と呼んでい
る。

美しい街、尾道。
夜の散歩にもおすすめです。


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ヘルメット

2024年10月22日 | open



真面目にヘルメットのサイズ
の話をしている時。
東京人「お前、頭どんくらい?」
大阪人「偏差値35」

頭が真っ白になりそうだった
わー。
いや、ほんとに白いのだけど
さ。




ロシアの思惑

2024年10月22日 | open
 
 
 


おれ、政治の事も軍事の事も
よく知らないんだ。
革命?
なんすかそれ。
カワイノチ?
あー、革ジャンが大事だよ、
っねことね。
わかります。
 
 
 
 

天気

2024年10月22日 | open
 


西の空が茜色に染まっている。
雲行きから見て、あしたは雨
ののち、午後あたりから晴
るかも知れない。
 
 
 
 

2024年10月22日 | open
 

昨日は天気だったが、きょう
雨しとしと。
 
英語圏の外国人の友人が昔私
に言った。
日本語は擬声語擬態語が多す
ぎる、と。
雨もしとしと、ザンザン、ザー
ザー等いろいろある。陽もさん
さん、カンカン、等々。
英語もあるにはあるが、イッツ
レイニーキャッツアンドドッグ
のように文章表現になる。
犬はワン、猫はニャア、鶏は
コケコッコーで日本語は定番
だが、多様な表現の擬声と
態言葉は確かに日本語に
は多
い。人が泣くのもしく
しく、
わんわん、きゃーぎ
ゃー、い
ろいろある。
お腹ペコペコとかギュー
ギュー詰めとか。
友人によると、ゾッとする(し
ない)のゾッとは何?みたい
外国人としては思うよう
だ。
長嶋さん語のように思うの
かも知れない。
「そこんとこガッと来るの
を狙うと駄目だからキュー
ッと来たらパーンと振って
バーンと持って行く」とい
うような。
全くわからんばい、みたい
な。
 
そうした日本語の特性を指し
「それは何なのだろう」と
言うので、よくわからんから、
「1本(いっぽん)、2本(にほん)、
3本(さんぼん)、4本(よんほ
ん)、
5本(ごほん)、6本(ろっ
ぽん)、
7本(ななほん)、8本
(はっぽん)、
9本(きゅうほ
ん)、10本(じっ
ぽん)、てや
つじゃね?」と
答えておいた。
外国人からすると、日本語の
その数の数え方の変化の多様
と整合性の無さには戸惑
らしい。
ちなみに六本木の事を東京
人はギロッポンなどとは言
わない。ポンギだ。
ギロッポンとかいうのは
ツェーマン族もしくは地
方の人が都内実勢を知ら
ずに使う言葉。

 

 
 
 

原動機付自転車

2024年10月22日 | open


原動機付自転車。

これが本当の原動機付自転車。
モペッドなどとも呼ばれる。
これらは「30km/h以上出して
はいけませんよ~」という乗
り物。ブレーキや加速が他の
車両と性能差があるので、無

理に最高速30km/h以上出すと
交通上危険だからだ。


これも原動機付自転車。

どう転んでも原動機が付いて
いる自転車ではなくオートバ
イだ。
実際に速度は90km/h以上も出
る車だった。60km/h巡行など
は楽勝。


「原付速度規制30km/h」と
うのは自転車に原動機を搭
載し
た頃の法律であり、1980
年代
以降の交通事情とはまっ
たく
そぐわない時代錯誤のも
のだ。

速度差がありすぎて、実際の
道路通行では危険すぎる。







しまなみ海道原付専用道路

2024年10月22日 | open






日本で唯一の原付専用道路。
厳密には歩行者と自転車と
原付バイクのみが通れる道。
そのルートが延々と本州の
尾道から四国今治まで70km
程続く。
しかも、瀬戸内海に浮かぶ
島々を結ぶ高速道路の橋を
通って。
これはですね、瀬戸内海沿岸
に住んでたら、ここを走らな
いのはもったいないですぜ。




でもって実際に原付で走っ
てみると、とてつもなく面
白い。
この「しまなみ海道原付道
路」は、橋の中や橋の横を
通る事が注目されがちだが、
その橋へのアプローチロード
が森の中を抜ける曲がりく
ねった小路になっていて、
そこが最高に爽快なのです。
人気YouTubeチャンネルの
「原チャんねる」でも採り上
げてくれないかなぁ。
日本で唯一の原付専用道路
の「しまなみ海道」を。


私の周囲でしまなみ海道原付
走破を目指す地元原チャー増
殖中。
いい感じ。
あ~くたびれた、というので
あれば、途中の島からフェリ
ーで本州や四国に帰るという
事もできる。
そういう事ができるのもここ
「しまなみ海道」以外国内に
は滅多に無い。
原付にとって抜群の走行環境。
おすすめ。







花の不思議

2024年10月22日 | open
 


夜になると、ショボーンと
花弁がつぼむように垂れる。
これが日中になると、シャ
ーンとする。
不思議ざんす~。



オートバイのアングル

2024年10月22日 | open
 


オートバイのアングルは
絵柄としていろいろな角
度がある。
斜め後ろからの二輪の姿
は言い知れない独特の雰
囲気を放つ。
写真や絵でも斜め後ろか
らの描写が多くみられる
のは、それは前や横から
とは異なるある種独特の
世界観を見せるからでは
なかろうか。



偶然にしては出来過ぎの一件

2024年10月22日 | open



原付1種の新規地元白ナンバー
取得した時、若者のバイク
自分の勤める職場に当ては
るナンバーだった。
それは奇遇で面白いね、とか
言い合っていた。
その原付バイクのエンジンを
ボアアップして、
今では絶滅
危惧種となってしまった黄色
ナン
バーの原付2種枠に登録
変更し
た。

新たに新規原付2種黄色ナン
バーを市役所で交付してもら
った。

すると、その数字並びは今度
は何と
その新婚の若者の奥さ
んの名前を
ドンズバで表した
数字だった。

「こんなことってあるの?」
「やばいねこれは」と二人
してそれを見て言い合ったが、
心底おったまげた。交付され
たナンバーを見た時、二人と
も目が点。

こんな事って連続であるの?
という。
「たまたまだろ」というには

たまたまが過ぎている。
一瞬背筋がスーッとなった。
無理やり語呂合わせのダジャ
レみたいなのと
は全く別物。
チュドーン!とドンズバが
二連チャンだ。
フラッグが立ったとかでは
なく、いきなりズドン。


登録ナンバーが白と黄色で
連続ダブルでたまげた一件。
持ってるな~、この男。
単なる偶然にしては出来過
だ。
うむ、持ってる。
7億円たからくじでも当たる
んじゃないだろか(笑



来年10月あたりから二輪車
にも希望ナンバー制度が開
始される動きがある。
だが、原付には適用されな
い。
交付された偶然のナンバー
を楽しむのも一つのバイク
の楽しみのように思える。
単なる機械的な数字の並び
に意味を見つけるというの
は、人間特有の発意でもあ
と思えるからだ。
その発見が生まれた時、車
という機械は単なる機械で
はなく、生き物であるかの
ような存在に変化する。
人の心の営みによって。
その時、人と車はさらに密
接な特別な関係に昇華する。










虹の向こう

2024年10月22日 | open
 




52年前に天地真理は歌った。
「虹の向こうは
晴れなのかしら」
と。
晴れとは限らないよ~。
心の描写を即物的に捉える
のはナンセンスだけどさ(笑

昨日久しぶりに虹を見た。
これはいいことあるかも、
など
と思っていたら、あっ
た。

驚きの事が。




ラーツー

2024年10月22日 | open
 




ただラーメンを食う為だけ
に走る。
それを某特定業界用語では
「ラーメンツーリング」通
称「ラーツー」と呼ぶ。
実際にラーメンを食いに行っ
たりする。

往復何百キロ走って。

徳島市内でラーメンを食べた。
かなりうまかった。
印象は煮込みラーメンのよう
だった。
同行者は気づいた。
私も気づいた。
地元では「徳島ラーメン」と
は呼ばない店が多い。
多くが自称は「中華そば」と
いう触れ込みで店を張ってる。
これは「尾道ラーメン」とは
違った傾向で興味深く思えた。
ただ、尾道のラーメン屋も、
古くからの店は「尾道ラーメ
ン」とは自称しないという事
実があるが、観光振興系の自
称「尾道ラーメン」キャッチ
フレーズを冠とする店が急激
に増えた、という歴史がある。

言語概念化は人に対してある
方向性を暗示的に示唆させる
現象がある。
「中華そば」と聴いたら、私
などは屋台ラーメンのような
醤油ベースのラーメンをイメ
ージしてしまうが、何もそれ
がスタンダードとは限らない。
九州では「ラーメン」といえ

ば豚骨スープが主軸であるよ
うに。

所変われば品代わる。
食べ物というのはそうした各
地の人々の生活密着性を帯び
るので、文化人類学的にも面
白い。
そうして日本にとどまらず、

世界の食文化に接すると世界
の人々の文化に触れ合える。
国内だけ見ても多くの人に知
られて
いない美味しい物はま
だまだ
日本全国に多くある。
それらの食文化に触れるとい
う事は日本各地の多彩な文化
に触れる事と直結するので非
常に世界観がふくよかになる。
人々の生きる日々を支える食。

そこには「息吹」がある。

例えば「ラーツー」などとい
う特定業界の特異行動などは、
そうした見知らぬ「息吹」を
感じることを自分でも知らぬ
うちに希求しているという、
一つ無意識の人としての喜び
の欲求行動として存在するの
では
なかろうか。
それは、狭い自己周辺の檻と
垣根を破りたいという人間的
な希求が、実は多くの人々に
内在しているという事の証左
なのではなかろうか。
旅行や観光に見られるような
「見知らぬ土地に行く」事を
人間の多くが求めるのは、そ
うした別文化を見知る事をし
たいという外に向けての欲求
と、殻を破りたいという内的
自発が存在するのではと思え
る。
元来、人は嵌められた枠を甘
受する事を拒否したい
自立的
な魂を心に宿してい
るのでは
なかろうか。