
の筋肉痛が本日にひどく出
たりするのよー。
昨夜バイクで夜走りしている
時の西方面への帰還時に観た
尾道の夜景はこんな感じだっ
た。
ずっと見ていたくなるような
夜景。
むう・・・。
店名にまでジャンサー連合
国の言葉が侵出している。
というか、現在、広島県の
人たちはごく普通に「じゃ
ん」「さー」と「俺」を使
う。
使用法はチャンポンで、
「じゃけぇさぁ、おれが
ぶち言うとったじゃろ。
それでええじゃん」
というような感じ。
そのうちジャロケー国の
「じゃろ」は完全に「じゃ
ん」に変換するのではなか
ろうか。
「わし」はもう消滅しかけ
ている。
今の40才より下の世代は
まずほぼ全員が使わない。
広島県尾道は昼も良いが、
夜もまた良い雰囲気の街。
中国地方で一番古いのでは
なかろうか。古代の大和朝
廷の頃から町が存在した。
当然広島県では一番古い。
広島県の広島、三原、福山
などは戦国時代末期から江
戸時代初期に誕生した「若
い」町だ。
尾道は奈良時代から脈々と
続くとても古い町。
日本の中央政府が仏教を導
入するに従い、寺院が多数
造られて発展したが、元々
は古代瀬戸内海航路の重要
拠点だった。
広めの川よりも遥かに狭い
幅の海の通り道がある。
それを「水道」と呼んでい
る。
美しい街、尾道。
夜の散歩にもおすすめです。クリックで拡大(PC)
原動機付自転車。
これが本当の原動機付自転車。
モペッドなどとも呼ばれる。
これらは「30km/h以上出して
はいけませんよ~」という乗
り物。ブレーキや加速が他の
車両と性能差があるので、無
理に最高速30km/h以上出すと
交通上危険だからだ。
これも原動機付自転車。
どう転んでも原動機が付いて
いる自転車ではなくオートバ
イだ。
実際に速度は90km/h以上も出
る車だった。60km/h巡行など
は楽勝。
「原付速度規制30km/h」と
いうのは自転車に原動機を搭
載した頃の法律であり、1980
年代以降の交通事情とはまっ
たくそぐわない時代錯誤のも
のだ。
速度差がありすぎて、実際の
道路通行では危険すぎる。
日本で唯一の原付専用道路。
厳密には歩行者と自転車と
原付バイクのみが通れる道。
そのルートが延々と本州の
尾道から四国今治まで70km
程続く。
しかも、瀬戸内海に浮かぶ
島々を結ぶ高速道路の橋を
通って。
これはですね、瀬戸内海沿岸
に住んでたら、ここを走らな
いのはもったいないですぜ。
でもって実際に原付で走っ
てみると、とてつもなく面
白い。
この「しまなみ海道原付道
路」は、橋の中や橋の横を
通る事が注目されがちだが、
その橋へのアプローチロード
が森の中を抜ける曲がりく
ねった小路になっていて、
そこが最高に爽快なのです。
人気YouTubeチャンネルの
「原チャんねる」でも採り上
げてくれないかなぁ。
日本で唯一の原付専用道路
の「しまなみ海道」を。
私の周囲でしまなみ海道原付
走破を目指す地元原チャー増
殖中。
いい感じ。
あ~くたびれた、というので
あれば、途中の島からフェリ
ーで本州や四国に帰るという
事もできる。
そういう事ができるのもここ
「しまなみ海道」以外国内に
は滅多に無い。
原付にとって抜群の走行環境。
おすすめ。
原付1種の新規地元白ナンバー
を取得した時、若者のバイク
は自分の勤める職場に当ては
まるナンバーだった。
それは奇遇で面白いね、とか
言い合っていた。
その原付バイクのエンジンを
ボアアップして、今では絶滅
危惧種となってしまった黄色
ナンバーの原付2種枠に登録
変更した。
新たに新規原付2種黄色ナン
バーを市役所で交付してもら
った。
すると、その数字並びは今度
は何とその新婚の若者の奥さ
んの名前をドンズバで表した
数字だった。
「こんなことってあるの?」
「やばいねこれは」と二人
してそれを見て言い合ったが、
心底おったまげた。交付され
たナンバーを見た時、二人と
も目が点。
こんな事って連続であるの?
という。
「たまたまだろ」というには
たまたまが過ぎている。
一瞬背筋がスーッとなった。
無理やり語呂合わせのダジャ
レみたいなのとは全く別物。
チュドーン!とドンズバが
二連チャンだ。
フラッグが立ったとかでは
なく、いきなりズドン。
登録ナンバーが白と黄色で
連続ダブルでたまげた一件。
持ってるな~、この男。
単なる偶然にしては出来過
ぎだ。
うむ、持ってる。
7億円たからくじでも当たる
んじゃないだろか(笑
来年10月あたりから二輪車
にも希望ナンバー制度が開
始される動きがある。
だが、原付には適用されな
い。
交付された偶然のナンバー
を楽しむのも一つのバイク
の楽しみのように思える。
単なる機械的な数字の並び
に意味を見つけるというの
は、人間特有の発意でもあ
と思えるからだ。
その発見が生まれた時、車
という機械は単なる機械で
はなく、生き物であるかの
ような存在に変化する。
人の心の営みによって。
その時、人と車はさらに密
接な特別な関係に昇華する。