日本列島新規格「蕎麦ツー」
の誘いが来た。
先ほど地元のバイク乗りから
電話かかって来て、今月の蕎
麦ツーの誘いあり。
昔の御城の中に集まる城町通
輪俱同友会の定例蕎麦ツーリ
ングだ。
「ラーツー=ラーメンツーリ
ング」というのは世の中二輪
乗りの間に結構あるが、日本
蕎麦特化の蕎麦ツーはあまり
聞かない。
というか、たぶん首都圏では
無いだろう。東京などは辻を
曲がれば蕎麦屋だらけだから。
広島県のお好み焼き屋以上に
東京には蕎麦屋がそこらに
わんさかとある。
近所やそばに専門日本蕎麦屋
がない中国地方だからこそ、
蕎麦を食いに走るぞ~、みた
いな発想が生まれたのではな
かろうかと思っている。
発想も実走もなかなか面白い。
蕎麦ツー。
うちのMCの首都圏の連中は
その蕎麦ツーの話をしたらピ
ンと来ないのか、あまり喰い
ついてこなかったけど、東北
の奴はおもしれぇってんで結
構喰いついて来てた。
東北も東京のように蕎麦屋が
あちこちにあるのではないの
かも?数が広島の蕎麦屋並み?
中国地方の二輪乗りの新規格
「蕎麦ツー」。
やってみると結構面白いよ。
ドライブインでとんかつ定食
(もしくはカツ丼)狙いをや
ってるのは俺だけだけどさ(笑
ソロでのドラとん(ドラかつ
じゃねぇよ。かつはブーちゃん
に限る)も面白いけど、共走
りしての蕎麦ツーもなかなか
だぜ。いや、まじで。
今回の次の蕎麦ツーの目当て
の店も仲間内でもう話が出て
る。
次に行くのは十割蕎麦狙いだ。
蕎麦ツーといえばだ。うちの
MC8Cの走りの相方が俺を連れ
て行った店のこれはかなり参
った(笑
四国なんだけどさ。
蕎麦好きだから全部ひとりで
食ったけどさ~。
うまかったけど、多すぎだよ
な。前傾姿勢が苦しくなった
だす。
【ヤマハ】XSR125は至高の
原付2種バイク!
でも想定外の弱点が一つだけ・・・
道を観てすぐ分った。
土手から中原街道(綱島街道)
に上がっての横浜港方面への
下り線だ。
中原街道は40数年前、学生の
頃に毎日通っていた道。
懐かすぃい~。
五反田手前の大崎広小路前で
ニコク(国道1号)と合流する。
そこから上り車線は桜田通り
へと続く。
五反田の坂を登り、右手に清
泉、左手に正田邸のあった超
高級住宅街を抜け、坂の頂上
が高輪左コーナー。
坂を下りながら明学横を抜け、
慶應義塾横のS字を抜け、正面
にタワーが見えたら直線だ。
映画『オールウェイズ』の舞
台の街。昔の都電通りだ。
タワー横を通り、ドン突きは
桜田門外の変のあった江戸城
桜田門になる。左手に警視庁
がある交差点。
そこからは4km以内で早稲田
界隈に到達する。ルートは
二松学舎大方面から白百合の
そばを通って神楽坂を抜ける
近道がある。神楽坂は朝は一
通なのでそれをかわす形で。
大昔、その桜田門警視庁前の
信号でバイクで停止していた
らオカマ掘られた事があった。
警視庁のド真ん前で。
こっちは完全停止してんのに
ぶつけたオヤジは文句垂れな
がら逃げ去った。
見ていたパトカーの警官が寄
って来て、「見てたけど今の
は車が悪いよ」(発言ママ)と
言う。
当て逃げなんだからサイレン
回して追いかけろっつーの!
ケイシチョ~。
いや、あたしの場合、同じ
ヤマハXSRでも700にするん
だけどさ。
今は定年の無い企業経営者だ
けどさ(笑
これはXSR700誕生秘話に俺
の存在が関与しているとい
う自分本人も今でも信じ難い
事実関係から、人生の将来の
帰結として。
俺の人生最後のオートバイは
ヤマハXSR700の1型。
カワサキが死ぬほど好きだけ
ど、ヤマハとも高校時代から
遠からぬ縁もあるし、XSRを
最終選択とするのは、これは
もう人生設計の中で決めてい
る。
世代を超えて乗り継がれると
いうコンセプトのマシンだか
ら、あと数年後でも車は残っ
ているだろう。
それはまるで開発コンセプト
で開発総責任者が私に語った
伝家の日本刀の存在のように。
そうそう。
私の天正八年作の差料の一口
(ひとふり)が10/15から東
広島市立美術館で展示されま
す。
よろしかったら足をお運び
ください。
ミッキーマウスマーチを歌い
ながらドヤ顔をキメる風太くん
♪見切れてたので再投稿♪
ミッキーマウスを吹いて
カメラに向かってドヤ顔。
まじか?
めっちゃかわいいやんけ!
やっぱ、いいのはドライブイン
だぜ!
ドライブイン最高!
ドライブインでとんかつ定食。
これ至高なり。
とんかつ専門店みたいにはう
まかねぇけどな(笑
でも走行途中だとうまく感じ
るんだ、これがまた。
そこがまたいい。
カツ丼も良なり。
ネットでマップ検索すると、
街道沿いのただのレストラン
をドライブインと称して載せ
ているケースも多いが、そう
いうのはドライブインとは認
めがたい。
トラックドライバーなどにも
駐車場を解放していて、ご自
由に駐車してゆっくりお休み
ください、てのがドライブイ
ンだ。極めて開放的。
だからこそ、ドライブインは
街道のオアシスと呼ばれた。
中には銭湯とか宿泊所も完備
しているドライブインもあっ
たりしてさ。
広島県内ではR2バイパス沿い
に尾道トラックセンターとい
う浴場付ドライブインがあっ
て、私も仕事明けの帰還時に
よく利用していた。
尾道のトラセンは残念ながら
数年前に廃業してしまった。
やはり、全国的にドライブイ
ンの廃業が加速している。
冒険、探検、体験としても、
行くなら「今」だ。
年越しそばの正しい食べ方。
三つのタブーを避けて厄払い
日本蕎麦保存会jp
てなことらしい。
日本蕎麦はまじでうまい。
俺、毎日でもいいよ(笑
というか、虎ノ門新橋勤め
の時には毎日食っていた時
期があった。ほんと出勤時
の平日は毎日。
職場の近所に沢山ある日本
蕎麦屋のうち好きな蕎麦屋
は3軒あったが、2軒は廃業
しちまった。
1軒の老舗日本蕎麦屋はまだ
繁盛してやっている。こちら
は有名店でちょいとお高い。
好きだった2軒のうち1軒は
店主が高齢になったので80
年代末期に廃業、もう1軒は
数年前のコロナ禍によって
撤退した。
東京の場合、辻を曲がれば
お蕎麦屋さん、という感じ
なのだが、中国地区は日本
蕎麦屋が極端に少ない。
驚くほどに少ない。
それでも広島県内には何軒
か美味い蕎麦屋があったり
もする。
ただ、何十キロも車で走っ
てその蕎麦を食べに行かな
いとならないというのが玉
に瑕だ。
江戸庶民にも親しまれてい
た「ちょいとそこらで蕎麦
でも」という感じで蕎麦に
コンタクトする事ができな
い。
あとですね、なぜか知らね
ど、広島県内の蕎麦屋は店
主や店員の態度が極めて横
柄な店が多い。
味はよくてもね、それあかん
やつ。
広島県の飲食店は往々にして
店員の態度が信じがたい程
よろしくないが、蕎麦屋も
その例に漏れずのパターン
か。
美味しいお店多いのに、惜し
いよなぁ。
てか、何か大きな勘違いして
いる。
それでも客が入るから態度な
ど改めようともしないのだろ
う。
残念ちゃん。
飲み屋はそんな事ないんだけ
どね、これまた不思議と。
そういや、三原市内で大人気
だったもつ鍋屋さんの「博多
っ子」が惜しまれつつも最近
閉店した。九州出身の家族が
やっていた店。家庭的な店で
味は極上だった。
廃業閉店はかなり残念だ。
もつ鍋だけでなく、出て来る
料理全てが激ウマだったから
だ。
本当に残念。
スタジオ録音とライブ音源付
のセットパック新品を購入し
聴いてみた。
独特の退廃的な気だるい世界
観を出していて、なかなか良
い。
音楽系統としては1970年代初
期のプログレを感じさせる。
30数年前、ある居合の先生
二人と居酒屋で飲んでいた。
お一人は私を可愛がってく
れた高齢の先生で、某県警
退職警察官で元刑事。退職
時の階級は警部だった。
この先生は戦時中は北支で
戦闘をしてきて、戦後は中
共と戦うために現地に残り
蒋介石の国民軍と合流して
戦争を続けた人だった。
国民党の軍の事を「正規軍」
と呼んでいた。
幅員したのは昭和23年頃だ
った。
だが、絶対反戦主義者。
戦後は右翼にも左翼にも与し
ないが、「左翼が言う反戦は
正しい。ただやり方が過激な
んはあかん」と言い切る元警
察官だった。
居合を通してとても私に目
をかけてくれた方だ。
いろんな戦時中の話や警察
官在職中の裏話エピソード
も私に教えてくれた。
歴史にも詳しい方で、古代
史について意見交換しなが
らの二人での毎週の飲み会
はとても面白かった。
私の学生時代の来歴も知っ
ていたが「そら学生やったら
やるやろ(笑」と言って達観
していた方だった。
いつも稽古帰りに「おい。
一杯やってくか」と私を誘っ
てくれた。(平成18年以前
は剣道や居合の稽古帰りに
道具を持ったまま酒席に参
加するのも連盟で禁じられ
てはいなかった)
今は鬼籍に入られた方だが、
本当に私の事をまるで息子
のように可愛がってくれて、
有難い存在だった。
もうお一方は当時現職警察
官の剣道と居合の高段者で
某県警に在職されていた。
その現職警察官の先生が、
悩み事を聞いてくれと私た
ちに言う。
「先生、どうされました?」
と尋ねると、自分には一人
息子がいる。それがどうにも
こうにもバイク好きなのはい
いのだが、暴走族なのだ。や
めろと言ってもやめる気がな
い、という。
先生は「マル走」と警察用
語で語っていた。
私ともう一人の退職警察官の
先生はなんだか苦笑いした。
そして私もその元警部も「別
によいのでは」「ええんちゃ
うか」と同じ発言をほぼ同時
にした。
現職警察官の先生は「だって
マルソーだよ、マルソー。困
ってるんだよ」と。
私が「江戸時代にも旗本奴や
町奴というかぶく者たちもい
たのだし、それ以前にはバサ
ラの武将たちもいたのですし」
と言うと元警部も「そう、そ
れなんよ」と相槌を打った。
「そういう見方もあるかぁ。
でもさぁ・・・」と現職警官
の先生は言う。
退職警官の元警部の先生は言
った。
「永遠に続ける訳やない一過
性のもんやろ。ほら暴力団
みたいなんになったらあかん
けどな。そのうちやめるやろ」
と。
「悪事に手を染めとる訳や
ないやろ?」とも。
すると現職警官の先生曰く、
「それはないみたいだけど、
いつも休みになると爆音バイ
クで走り出して行くんだよな
ぁ」と。
止めても叱っても爆音バイク
で出かけると言う。
元警部は言った。
「それ、単に単車が好きなだ
けちゃうん?」と。
だが、現職警官の先生による
と、音の大きい集合管でいろ
いろ改造しているとの事だ。
私もバイクに乗るので少し
そのバイクの仕様を聴いてみ
たら、それは走り屋仕様だっ
た。
でも、現職警察官の先生から
したら、それはかつての集団
暴走型暴走族と同じく「暴走
族」なのだと言う。マル走規
定。
警察組織はそう見做していた
という事だ。
私と元警部の先生は「それは
暴走族と違うのでは」と言っ
たが現職警官の先生は「同じ
だよぉ」と言って顔を曇らせ
ていた。
元警部の先生は「そら親とし
たら心配やろな。ま、一杯
いこか」と言って現職警官の
先生に日本酒を注いだ。
そりゃあ、悩む筈だよなぁと
も思った。
現職警察官の先生は某県警の
交通課に勤務していたからだ。
ただ、自分の立場上云々では
なく、子を思う親としての面
で悩み事を語っていたのが印
象的だった。
そして、改めて「警察では旧
来の暴走族も走り屋もどちら
も暴走族認定扱いなんだなぁ」
と感じたのだった。
Z400RS。
これは専門誌の予想イメージ
CGだが、このままのスタイル
で発売されたら爆売れ確実か
と思われる。
最近、大型車格から旧ミドル
車格の400クラスに乗り換え
る人たちが増えていると聞く。
大型車格だと長距離等は出力
特性からストレスが無く楽だ
が、ちょい乗りや普段の街乗
りにはやはりあり余るパワー
と車体の大きさを持て余す傾
向があるからだろう。
400クラスはその点何かと便利
だ。
ライトウエイトの250クラスは
かつての2ストモデルでは乾燥
車重が120kg台というモデルも
あった程軽く、パワーも申し分
ないスプリントモデルだったが、
250での長距離走は目一杯頑張
っている感があり、車に負担を
かけすぎるきらいもあった。
現代の新車250では一般的には
非力過ぎて旧来の250を基準の
モノサシにはできない。別物。
旧車の2スト250は峠最速のよう
な戦闘力の高い車だったし、実
際に公道市販車改造クラスのス
プリントレースの競技車両の
ベース目的としても作られてい
た「速く走る事のみが目的の二
輪」だったからだ。
その点、400は250よりも遥かに
汎用性が高かった。
なので限定解除しようと、その
後の法改正後の大型二輪免許に
書き換えようとも、旧ミドルク
ラスの400クラスのモデルを選択
してあえて乗る人たちも意外と
多かった。
400クラスは50原付と同じく日
本独自のカテゴリーという印象
があるが、実はそうでもない。
350クラスというカテゴリーは
かつては世界グランプリの枠
にあり、欧米では人気があった。
その流れを受けて日本でも以前
は350というクラスが一つのカテ
ゴリーとなっていたが、1975年
の免許制度改定によって350ク
ラスという世界標準をベースに
して400クラスの新設二輪枠が
日本に登場し、新設自動二輪
限定付免許制度にマッチさせる
枠組みとして主として日本国内
で一般化した。
日本警察が免許制度を改変して
1975年10月から当時の国産最大
排気量の750=ナナハンに国民
を乗らせないようにしたのだが、
表向きの理由は「暴走族対策」
と「事故抑止」の為だった。
だが、実際に免許制度を変更し
て警察本体が認容した者にしか
免許を与えない限定解除という
枠を新設して自動二輪枠のうち
条件限定無し免許を国民に取ら
せないようにしても、一向に事
故は減少しなかった。効果ゼロ。
さらに、暴走族の員数は激増し
1975年10月以降は新設自動二輪
限定付枠内最大排気量の400ク
ラスのモデルで暴走族の若者た
ちは走りまくっていた。
別段750でなくともよかったの
だった。
1977年前後の都内の暴走族は
1チームの集会で二輪200台、
四輪400台とかがごく普通。意
外と知られていないようだが、
四輪のほうが数は多かった。
何かとバイクのみバイク=暴走
族=社会悪のような集中攻撃を
受けていたが。
その都内の暴走族の土曜の夜の
出撃は、1チームがその数で何
チームもが一晩に走り回る。
二輪は大抵は二人乗り。四輪も
3~4人乗っている。
どれだけの数の若者たちが土
曜の夜の都内を走り回ってい
た事か。
そして、警察は遂に1978年12月
に再び道交法を改訂して「共同
危険行為」という罰則を新設し
た。
それまでは暴走族の集会に参加
して一斉検問全車両停止で検挙
されても、「停止指示違反」と
「信号無視」のみの罰則適用し
か無かった。加点は両方で4点。
免停にはならなかった。
だが、1978年12月からは一発免
停もしくは免許取り消しとなっ
た。
しかし、1975年法改定の時と同
じで、国内の暴走族の最大ピー
クは1978年の法改定厳罰化以降
の1980年だった。
警察の一方的な法規制導入は
1975年、1978年の両方で何ら
実質的効果は無かった。
集団暴走型の暴走族の消滅は、
警察側の規制強化や取締によ
るものではなく、若者たちの
「興味の変化」によって消滅
していった。
かつてのマル走(警察用語)たち
はほとんどがサーファーやその
10年後にチーマーと呼ばれたよ
うな層の原型になっていった。
あるいは多くが市街地ではなく
山に行った。新たな「走りを求
めるの層」と合流する形で。
それにより本物の暴走する土
曜深夜の集団暴走族は消滅し
ていったのだった。
決して警察の手柄ではない。
そして、次には新たなる新型
暴走族が爆発的な数で登場し
た。
それが峠や埠頭や街中コーナー
狙いのローリング族だ。
警察内部ではそれらの走り屋
たちは「暴走族」規定になっ
ている。従来の集団暴走型で
はなく、競争型暴走族として
峠族や埠頭や市街地コーナー
爆走の二輪乗りたちは暴走族
扱いになっているのだ。(こ
れは現在も)
事実峠や埠頭や街中コーナー
で暴走していたのがローリン
グ族だった。爆走していた。
なのでバリ伝グンちゃんもそ
の後の峠マンたちも全員警察
からしたら「暴走族」なので
ある。
土曜の夜の市街地暴走ではな
く、速度重視で場所を峠や埠
頭や街中コーナーに移しただ
け。
実際に走り屋たちは実像も暴
走族だったし、今でもそうだ。
警察はそのように取り扱って
いる。1970年代に隆盛を見せ
た土曜深夜集団暴走型だけが
「暴走族」ではない。
むしろ、1980年以降に登場し
たチバラギ仕様の珍妙な外装
をつけてチンタラ蛇行運転だ
けしている連中は暴走族では
なく騒音族だ。爆速での暴走
はしていない(たぶん技量と
してもできない)ので暴走族
とは呼べない。やはり珍走団
だろう。ダッペの国からやっ
て来た。
集団暴走型の共同危険行為系
暴走族=土曜の夜の暴走族が
消滅したのは、彼らが警察の
取締によってやめたのではな
く、場所をサーフィン海域か
峠や埠頭に変更しただけだ。
取締強化さえすれば世の中変
わると警察が思っているよう
には人の世は単純ではない。
頭の固い頭があまりよろしく
ない官僚権威至上主義の警察
などに世の中を動かせる訳が
ない。
せいぜい、法改正等で弾圧強
化したり、暴力をさらに振る
ったり、ニセ情報発信によっ
て国民を謀る事しか警察はで
きない。
余計な事考えずに、国民から
給料もらって真面目に交通整
理や道案内してろ、という話。
せいぜい、拡声器で「丸の内
警察署長から重ねて君たちに
警告する。君たちの行為は道
路交通法ならびに東京都公安
条例に違反する。そこの指揮
をしている君。君からすぐに
やめさせなさい」とでも街路
で機動隊車両の上から放送で
もしてろ、という話。
400クラスの需要は今再び高ま
って来ている気運を見せてい
る。
カワサキが上掲画像のような
スタイリングで新型Z400RSを
登場させたら、さらなる新風
を巻き起こす事は確実かと思
われる。
この新型Zは旗本奴や町奴の
ような反骨の傾奇者たちにも、
そうでない人たちにも受け容
れられる新型機種ではなかろ
うか。
ゼファーと名付けないのは、
歴史を作った金字塔であるゼ
ファーの名声に影響を及ぼす
事を回避するためかも知れな
い。
あるいは、カワサキの基幹で
ある「Z」を冠する事による
再びの不動王狙いか。
【9/29】”別れを惜しむ斎藤知事”
を職員全員が完全無視した裏
側があまりにも…東大が生んだ
異次元モンスターの正体
06:59 訂正
東京大学法学部
東京大学経済学部
07:48 訂正
地元の進学校
️愛媛の進学校
別段東京大学だけでなく、
早稲田出身にも慶應出身に
もこうした人間たちは多く
いる。特に民間企業のオー
ナー会社の社長などに。
問題は「誰がこういう者に
投票したのか」という事だ。
兵庫県民は自らの行動にも
自戒の刃を向けるべきだろ
う。
民間企業のオーナー社長ら
と違い、県知事は投票によ
り選ばれるからだ。
日本の難関大学の教育問題
としては、とりわけ東大に
ついては「人を支配する層
を育成する」という性格は
確実に存在する。
日本の実効支配を成す官庁
のトップは東京大学卒であ
る事が常識となっているか
らだ。警察庁などはもろに
それ。
思考も実体もピラミッド型
が強固に打ち固められてい
る。
これは崩れない。
EQの問題指摘についてはこ
の動画は正鵠を射るものだ。