1982年WGPアルゼンチンGP。
#3 ケニー・ロバーツ(米。
1978,1979,1980世界チャン
ピオン)、
#16 フレディ・スペンサー
(米。1983、1985世界チャン
ピオン)
#7 バリー・シーン(英。1976,
1977世界チャンピオン)
1980年代初期から2000年頃ま
での世界グランプリが一番面
白かった。
英、米、独、伊、仏、西、日
の先進国の選手がトップ争い
をした頃。
それはもう、熾烈なバトルだ
った。
今のMotoGPは、マシン制約、
タイヤ制約、出場資格制約が
大改編され、ごく一部の選手
たちの選手権になってしまった。
かつて、世界最高峰GPの500
クラスはプライベートでの勝
利は難しかったが、花形であ
り人気も高かった350と250、
登竜門である125では、市販
ロードレーサーを駆るプライ
ベーターたちがメーカーマシ
ンとライダーに勝てる素地が
あったし、実際に勝っていた。
もっとも、それもハーレーが
イタリア製2ストモデルをワー
クスマシンとして投入したり、
カワサキが自社純ワークスの
350と250を世界グランプリに
参戦させる事で連勝を続け、
やがてワークスマシンでなけ
れば勝てない素地に変容させ
た。
ホンダは1960年代初中期以降
は全く世界戦では勝てない
メーカーだった。
世界グランプリを牽引した日本
メーカーは2スト世界一の開発
力を持つヤマハだった。
そしてスズキ。
1970年代初期以降は2ストマシン
でないとレースでは勝てない速
度になっていた。
これは現在でも変わらない。
4ストマシンは2ストの排気量の
倍のモデルでないと2ストには
勝てない。
世界グランプリが廃止になり、
MotoGPとなって4ストと2スト
混走のレギュレーションになっ
た時、圧倒的に4ストが速かっ
たのは2ストが500ccであるのに
4ストモデルは990ccだったから
だ。
あれが同じ500cc排気量ならば
これは現在でも絶対的に2スト
のほうが速い。
4ストは排気量ハンデを貰わな
いと2ストには勝てない。
それゆえ、同排気量縛りの公正
なレギュレーション時代には
ホンダのNR500は楕円ピストン
という奇抜な構造からではなく
そのあまりの遅さゆえ全く勝負
にならず、2ストマシンさえ与え
れば世界チャンピオンが確実視
されていた片山敬済選手の最高
の時代の3年間を棒に振らせた。
1981年にホンダは4ストこだわり
を捨てて、1982年から本格的に
ホンダ史上初の新規開発2スト
500のNS500(3気筒)を世界
選手権に投入した。
10数年ぶりに世界戦のレースで
ホンダが復活する事を目指して。
それまでは、世界のレースは
ヤマハ、スズキ、カワサキが
独占独走していたからだ。
ホンダのみ4ストにこだわって
いたので蚊帳の外。
ホンダが新規2ストロークレー
サーを世界戦に投入してから
世界グランプリは本格的な群
雄割拠の戦国時代に入った。
この上画像の1982年は、250
と350クラスで絶対不動王者
を誇っていたカワサキのWGP
フル参戦最後の年で、国産メ
ーカー4社が出そろった最初
で最後の歴史的な年だった。
翌年1983年にはヤマハのケニー
とホンダのフレディが激闘を
展開した。伝説のシーズンが
1983年だった。
シーズン通して、優勝したのは
ケニーかフレディしかいないと
いう年。元350世界チャンピオ
ンの日本の片山敬済選手も徐々
に調子を取り戻して快走を見せ
た。特に1983年の第8戦オラン
ダGPアッセンサーキットでの
片山選手の走りは彼のレース
人生の中でも最高の走りだっ
たといえるだろう。
その年のチャンピオンとなる
爆速フレディさえも抜き去って、
アッセンのコースレコードを塗
り替えてトップを走るケニーと
ほぼ同着。
判定で0.18秒差でケニーがかろ
うじて優勝した。あとゴールが
50m先だったら片山選手が優勝
していた。
スズキはGPから一時撤退する
が、1980年代後半に再び復帰。
かつてはメーカーチャンピオン
を2年連続で獲得したり、1982
年にもフランコ・ウンチーニ
がスズキのワークスマシンで
世界チャンピオンに輝いていた。
そしてスズキの復帰マシンは
新人のアメリカ人ケビン・シュ
ワンツに託された。
ケビンはかつてのフレディより
もアグレッシブな走りで世界中
のファンを魅了した。93には
念願の世界チャンピオンにな
るが、ライバルだった世界チャ
ンピオンのウェイン・レイニー
がレース中のクラッシュで生死
を彷徨い、下半身不随になって
レースを引退したため、ケビン
自身も魂が抜けたようになり、
翌年1994年にシーズン途中で
あるのにやる気が消滅してレー
スを引退した。矢吹ジョーと
力石の関係のような心持ちか。
1970年代後半~2000年頃まで
のロードレースがなぜ面白かっ
たか。
それは、人間ドラマが見られた
からだ。
ネットも無い情報不足の時代な
のに、世界中の二輪ファンは
ロードレース世界選手権に夢中
になった。最大人気の頃には
NHKさえ「世界二輪選手権」と
題打って世界グランプリを生中
継していた程だった。
そして、世界グランプリロード
レースの世界は、様々な人間模
様が見られる事が非常に人々の
心に記憶を強く刻んだのだった。
今のMotoGPは記録だけで人の
心に刻まれる記憶を創出しない。
無味乾燥。
端的に言って、全く以てつまら
ない。
バレンティーノ・ロッシの時代
でグランプリの活力は消滅した
のではなかろうか。
グランプリは終わった。
終わっている。