1988 A250 Rd.7 "J.コシンスキー
本間利彦 YAMAHA YZR250
岡田忠之 HONDA RS250”
コシンスキーはこの1988年に
WGPスポット参戦でGP250に
デビューし、全日本にも参加
した。
1990年にはチームロバーツ
ヤマハからのエントリーで世
界チャンピオンになっている。
注目すべきはやはり本間選手。
ノービスの時は天才的に速か
ったが19才で国際A級に昇格
した時にはなかなか勝てなか
った。
だが、1986年WGPライダー招
聘レースの富士スーパースプ
リントで1ヒート目に世界チャ
ンピオンを抑えて優勝し、翌年
プライベートからヤマハ入り。
1987年は全日本3位。
1988年には全日本チャンピオン
になった。
本レースでも、ウォブルが
出ようが平気で走って行く。
実力は90年に世界チャンピ
オンとなるジョン・コシン
スキーと拮抗している。
本間氏の事をあしざまに悪く
いうヤカラが結構いる。
私は不思議でならない。
ジョンのように潔癖症で悪辣
な態度で、ケニーの秘蔵っ子
とされながらもどのチームか
らも途中解雇されるような人
ではないからだ。
また、ライディング理論や取
り組み方についてもとてもお
手本になるような本物のレー
シングライダーだった。
平さんに「箸の持ち方が悪い!」
と行儀を注意されるような若者
ではあったが。
ガッツと負けん気と冷静な理論
派。典型的な速いレーシング
ライダーの見本みたいな人だ。
本物の人。
本間氏を毛嫌いしたり、ネット
でねちねちと誹謗中傷したり、
対本間珍理論を匿名裏ネットの
悪所で書き立てたりしている
連中は、自分自身がライダー
としてレースに関わった事が
ない脳内妄想族たちなのでは
なかろうか。
私自身は1986年の富士スーパー
スプリントで100R内側とヘアピ
ンでつぶさに本間選手とカルロ
ス・ラバートの走りを穴の開く
程観察して、得るものが多かっ
た。
なるほど、あれをああしてそう
やっているのか、と。なぜだ?と。
待てよ・・・ああ、そうか、と。
まだ10代の本間選手に関しては、
「この人は来るね」と思ってい
たら、翌年途中からヤマハワー
クスマシンを貸与され、ワーク
ス入りした。
本来1988年の全日本チャンピオ
ンの後、1993年にワークスで
WGPフル参戦の予定だったが、
鈴鹿のクラッシュによりWGP
参戦カードとスタッフは原田
哲也選手に渡った。
そして、原田選手は激闘の末
その1993年には世界チャンピオ
ンになった。
本間選手はその後選手も続け
ながら開発ライダーとして多
くのヤマハの名GPマシンを開
発した。
いわば、車を作った歴史的な人。
本間選手がいたから、WGPでの
ヤマハのマシンの活躍があった
といえる。河崎さんのような大
仕事を本間氏はこなしていた。
本間氏を足ざまに悪く言う人は
オートバイの事を知らない人
だろう。これは間違いなく。
特に身分氏名も明らかにしない
匿名の陰に隠れて揶揄中傷する
連中は人間のクズ、世のカスだ。
レースの世界に首突っ込むな。
スポーツの世界が穢れるから。
コシンスキーはレース後のイン
タビューで「すべてが完璧だっ
た。バイクとタイヤが素晴らし
かった」と言っている。
「バイク」と言ってる。
この頃から、世界GPライダーも
日本語の「バイク」を使い始め
ていた事が動画から看取できる。