89年式NSR250Rを脇阪寿一が
十国峠で走らせたらあの頃に
タイムスリップした…
バイクが停まっていたら、
タイヤを観るのは当たり前
の事だ。
タイヤを見られるのが嫌なら
車を停めた時にカバーでも
かけておけ。
四輪レーシングドライバーの
脇坂さんが二輪解説している。
マスターGTだ。
89式NSR-SPロスマンズには
私もよく乗った。レーシング
逆シフトにセットした個体。
SPはサスが良いだけでなく、
ホイールもマグネシウムで
保安部品を外せば即コース
を走らせられる車体だった
(オイルポンプは外して混合
にするのは常識)。
同じMC18でも88式よりも
89式のほうが格段に進化し
ていた。次のMC21では更に
熟成されていた。
何が?
あの最悪ハンドリングが型が
新しくなる程徐々にネガ部分
が捨象されて来ていたのだ。
だが、それでもヤマハの良質
ハンドリングにはホンダは最
後まで追いつけなかった。
これは事実だ。
ホンダの車でヤマハを置いて
いく走りが現実に起きていた
のは、それは乗り手が超絶職
人技を発揮していたからだ。
フロントブレーキをあてなが
ら加速とか。それを限界速度
域で行なう。
それだけでなく、いろいろな
事をしないとヤマハに勝てな
いのがホンダだった。
そこに往年の王者スズキが
絡んできて、ある年はスズキ
が最速の年度もあったりした。
1980年代末期~1990年代の
初期は激戦時代で非常に面白
いシーンが観られた、いわば
パラダイス時代だった。
1984年以来2ストレーサーから
撤退していたカワサキさえも
がワークスマシンをGPレース
でテストランさせる程だった。
カワサキ X-09(1992)純レーサー
市販車改造車のF3(フォーミュ
ラ3)レースの人気は、本家本
元のGPマシン(純レーサー)
のレースよりも人気があった。
ある全日本選手権などは1レース
のエントリーが500台、ノービス
クラスの祭典である鈴鹿4時間
耐久レースのエントリーは1500
台(ライダーだけで3000人以上)
という時もあった。予選は1秒の
間に数百人いたりした。
日本国内限定レースのF3の人気
は市販車の人気上昇に直結した。
国産各社は熱いモデルを次々と
登場させていたのが1980年代末
期~1990年代中期だった。
だが、そのブームはF3レース
自体が消滅することにより、
沈静化した。同時に日本の歴史
的な空前絶後のバイクブームは
消滅したのだった。
そして、レース人気の衰退と共
に、一般車においても「乗れな
い人間」が大量発生する社会
現象が登場し、現代に至る。
彼らは別段オートバイが好きな
のではない。単なる移動手段と
して二輪を利用しているだけだ。
極言すれば、「バイク乗り」で
はない。二輪の操作や操縦につ
いての興味は無い。
郵便配達や新聞配達や出前デリ
バリーの人たちをバイク乗りと
は呼ばない。それと同じ。
オートバイに乗るのが目的では
なく、別な目的の為に二輪を利
用流用しているだけ。
それらはオートバイ乗りでは
ない。これガチで。
バイク屋の店長でさえ上体直立
肘張り硬直載りをしている。
見てられない手羽先硬直載り。
二輪の乗り方を知らないのだ。
つまり受験戦争時代を知らない
世代が何の勉強も研究も対策も
無く、大学はボーダーフリー
大学入学時代に生きて来たのと
同じ現象。自分自身での自立的
かつ能動的な傾向と対策努力
もなく、学問に興味もないの
に形だけ大学卒を求めるよう
な時代の人間の二輪の載り方。
一切乗れてはいない。それを
ネットや動画で曝している。
二輪走行偏差値が低すぎて話
にならない。
こうした二輪界の現状の傾向
は、そのまま現代人がどんどん
学力が低下しているのと連動
している。
ある特定世代以降は「作られ
た世代」であるので、頭を弱
くさせられたのだ。
そして、二輪にさえもまとも
に乗れない。
その世代でまともに乗れている
のは、自覚して覚醒して自己変
革した人間だけだ。
この動画のNSRが登場した頃、
ほぼ全員がごく普通に二輪に
乗れていた。
だからこそ、こういうレーシン
グマシンのようなオートバイが
各社から出された。
当然の事だ。
現代のような芸能人が所有欲を
満たす為だけの虚栄心に訴える
オートバイなどはハーレー以外
存在しなかった。
日本車は実動能力と乗り人とが
実走行という現実において密接
な結節を構成する関係にあった
のだ。
それがオートバイの本来の在り
方である。
ゆえに当時は生産者と運用者が
極めて健全な関係、健康的な二
輪環境だったといえるのだ。
それは二輪の根本存立意義であ
る「走り」を追求した車作りを
していたから。
レーシーな車において前傾姿勢
のクラウチングスタイルは当た
り前であり、そのフォームを
自分ができないからと「前傾は
きつい」とか「腰が痛い」など
という誤った自分の乗り方を
自問自省しない寝ぼけた人間
などはレーサーレプリカ大流行
の時代には一人もいなかった。
現代においてもSSモデルやカウ
ル付きモデルで「きつい」だの
「痛い」「疲れる」など言って
いる人間は、一言でもその類の
言を発したら「二輪の乗り方を
一切知らない人間」と断定でき
る。たとえバイク屋だろうと
自称モータージャーナリスト
だろうとだ。
メーカーはタイヤの付いた拷問
器具を作っているのではない
からだ。
自分の乗り方が根本的に悪いの
に車のせいにする。
そうした恥知らずは、かつての
NSR登場当時の日本にはいなか
った。
これ、現実であり、事実。