小学校の校歌はおぼろげにし
か覚えていなくとも、横浜市
歌はソラで歌えるという横浜
の人間たちの現実。
自分でも不思議だが、こりゃ
一体なんなのか。
そういう横浜育ちはかなりい
るのではと思う。
というか、横浜出身者はほぼ
そうかと思う。
一例だけ、似た例を知ってい
る。
それは茨城県人だ。
なぜか茨城県民歌を歌える。
学生の時、宴会になると茨城
県出身の連中がいつも歌って
いた。
茨城県出身でない奴らもそれ
を覚えて一緒に歌ったりする。
不思議な現象だった。
横浜人が横浜市歌をいつまで
も歌えるのは、これは小学校
時代に徹底的に横浜市歌を歌
う教育が横浜市内では行われ
るからだ。神奈川県でも横浜
だけ。
なので、たぶん、鎌倉市民や
藤沢市民や相模原市民たちは
自分たちの市の歌を知らない
だろうが、横浜市民はほぼ全
員が横浜市歌を歌えるだろう。
小学校では毎朝歌うのだから。
横浜市民なら誰もが知っている
「横浜市歌」とは!?
【秘密のケンミンSHOW極公式
2022年3月3日放送回】
日本全国でも珍しい横浜の
ジモチー文化。
横浜市歌はハマっ子ならば
誰でも歌える。これほんと。
(横浜の住宅街)
16才、湘南。
結構、波が高い。
たまにはバイクではなく、
電車で行く湘南もなかなか
良い。
この日は北鎌から由比ヶ浜
まで歩いた。
鎌倉散歩だ。
今も当時と駅舎も線路も変
わらない。
ジェントリーな大人の走りに
はそれなりに。
また、荒々しい野性味溢れる
アグレッシブな走りには、そ
れにも十二分に応えてくれる。
そして、鉄フレームは剛性の
中にもしなやかなシルキーさ
を醸し出す走りを乗り手に届
けてくれる。
ほんとにベスパはオススメの
125スクーターだ。
私のこの3バルブエンジンの
タイプは、発進から暫くは
ドトトトと力強く前進し、そ
してある一定速度以上になる
とまるでタービンが回るよう
なヒューンというエンジン音
を奏でて加速する。
旋回性能もブレーキ(スポーツ
モデルに比べるとやや甘い)も
サスもこのクラスでは充分。
走り自体がとんでもなく面白
い二輪に仕上がっている。
これ、良いす。
私のはノーマルで総排気量が
125ccぴったりという変なモ
デル。
現行車は124ccになっている
模様。
私の個体は神戸のベスパ屋さ
んで購入した。
納車の時、新幹線で行って広
島県まで乗って帰った。
途中雪が降っていて、凍え死
にそうだったよ(笑
防寒対策バッチリやったつも
りだったが、帰りにあまりに
寒いので、24時間ファミレス
で暖を取っていたら寝そうに
なった(笑
熱いコーヒーおかわりして、
気を取り直して走り出した。
したっけ、また途中で♪こな~
ゆきーてなもんよ。
もうね、雪でも雨でも槍でも
降っておいで、てな気合で走
って帰った。
距離は240km程なので大した
事はないものの、2月末に購入
しに神戸に行って3月に乗って
来たが、3月なのに海岸線の一
般道と内陸山間部越えの国道は、
とにかく寒すぎた(笑
もうね、笑っちゃう程。
とはいっても、身体の中心は寒
くはないのよ。防寒対策で。
電熱グローブ電池切れのあとの
指先とブーツの爪先が凍傷にな
りそうだったのよ。
そして、どんどん体温が奪われ
て行く。
指先と爪先の防寒対策は重要だ
よね、と感じた次第。
あんなくそ寒いのは高2の時の
正月に東京竹芝からフェリー
で四国徳島に着いて、松山まで
四国を横断した時以来だった。
あの時も海岸線は雪が降ってい
た。
出鱈目にさぶかった。
信号で止まって足を地面に着こ
うとしたら、膝がパリパリに曲
がった形で凍ってただよな。
検索サイトにリンク張られて
ドン!
3,195,625ブログ中3位?
昨日は18,451名が来訪?
なんだそれ(笑
YouTubeやインスタじゃねぇ
んだからよ(笑
皆さんレトロ四輪軽バンには
ご興味がおありの模様。
というか、かつてほぼ刀剣
ネタオンリーの頃は1日平均
訪問閲覧数は昨日と同じ程度
で、18,000人来訪で30,000
ヒット程だった。
「刀剣ブーム」と呼ばれた
10年程前のオハナシ。
昨日数年ぶりの3万閲覧/1日
となった。
以前は検索サイトにはリンク
貼られずに自然発生的に来訪
者がそれ位いたので、やはり
刀剣ブームというのはあった
のだなと感じる。
日本刀の考察所見については、
「教科書的」ではない視点か
ら私は発信をしていたので、
珍しくて面白がられたのかと
思う。総括としては。
引退していた刀工斬鉄剣刀工
小林康宏を復活させるプロジ
ェクトも結論的には成功した。
一切公募はしていないのに、
私のウエブ日記を目にしたと
ころから発生した作刀注文希
望者は一気に80名を超えた。
刀工は1年で24口しか作刀し
てはならないと文化庁からの
お達しがある。
年齢的な問題もあり、1月に
2口製作は厳しかったが、数
年ですべての受注をこなして
全作品が注文主に渡された。
幕末の源清磨の武器講ではな
いが、諸事情等鑑み厳選させ
てもらい、約60口(ふり)弱の
二代目小林康宏作新作日本刀
を製作した。
すべての段取りと企画は私が
執り行った。
私は最初から最後まで無報酬
で業務をこなした。
二代目小林康宏は体調の事情
により、実質上一部の工程か
らは今は引退した。
右腕の神経がほとんど切れて、
このまま続けると右手が完全
に動かなくなるからだ。
ドクターストップ。
本人自身は今でも頭脳明晰、
いたって元気で、大好きな純
米酒(吟醸ではなく純米酒一
択)を飲んでいる。
うちの刀友会のメンバーとも
よく神田駅前の馴染みの店で
今でも一緒に飲んだりしてい
る。
「もはやこれまで」の時まで
長生きしてほしい。
私のようなのとは違い、大昔
から温厚で争いを好まぬ人だ。
世の中、良い人と悪い人がい
るとしたら、小林康宏は良い
人。善人。俺なんざぁ、地獄
の三丁目が口開けて待ってる
クチだ。
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